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ジョブズがピクサーに与えた迷戦略 〜スティーブ・ジョブズの成長物語 ピクサー篇(4)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
(写真:Shutterstock/アフロ)

「CG映画の制作なんて儲からないことは止めてCGワークステーションを売れ」それがジョブズの与えた指示だった。そのせいでピクサーは大赤字の会社になってしまう。だが社長のキャットムルはCG映画を創る夢を捨てていなかった───。

音楽産業、エンタメ産業そして人類の生活を変えたスティーブ・ジョブズ、没後十周年を記念した集中連載、第十四弾。

■ジョブズは学ぶチャンスを得た

「はやく引っ越してこい」

 買収早々、ジョブズはそう言って何度もせっついてきた。イノヴェーターは、既成の枠組みから物理的にも心理的にも外れたがる。初代Macの開発時もそうだった。若きジョブズは、早くも大企業病の兆候を見せ始めたAppleの本社ビルを嫌って、敷地の外れにある建物に籠もって開発を続けた。

 おなじく「スターウォーズ」のルーカス監督はハリウッドの伝統に巻き込まれることを嫌い、スカイウォーカーランチをカルフォルニア州の外れに建てたのだった。その一部門だったピクサーのオフィスは、中心地サンフランシスコの近郊にあるジョブズの家から車で軽く二時間はかかった。

 だがキャットムルたちはなんだかんだと理由をつけて、引っ越しをせずにいた。そうすればジョブズが会社に来て荒らし回ることは減るだろうと考えたのだ。ふだんはキャットムルが車で赴くと説得した。

 実際、ジョブズが来ると大変なことになった。

 会議に入るやメンツを見回して、こいつはできる、こいつは間抜けとすぐ色分けしてしまう。間抜けと決めた相手には容赦ない言葉を浴びせかけ、当然相手は気分を害するのだが、キャットムルによると「ときどき『なんであいつは怒っているんだ?』ときいてくることがあった」という体で、人の気持がまるで分かってないのだ[1]。

 キャットムルの作戦はうまくいった。すぐにネクスト社の経営で忙しくなったジョブズは、自宅から遠いピクサーには年に一度ぐらいしか来なくなり、ときどき電話をかけてくるだけになった。

 禅から学んだ「集中」がジョブズの仕事哲学だったから、ライフワークであるコンピュータの製作に直接関わりのないピクサーの扱いは、それくらいで丁度よかったのだ。

 後に、本業のネクストよりも副業のピクサーに個人資産のほとんどを注いでいる矛盾にジョブズは悩むのだが、当時の彼が知る由もない。そうと分かれば買収しなかったと後でこぼしている。

 ともあれ距離の関係でピクサーをほとんど野放しにしたことは、すべての仕事を細かく管理せずにはいられなかった完璧主義のジョブズに、「史上最強の経営者」へと変身する得難い学びの機会を与えることになるのだった。

 ジョブズがこのクリエイター集団から学ぶ機会を得たことは、初代iPhoneの誕生、ひいては音楽産業、エンタメ産業の歴史的転換につながっていくのである。それがこのピクサー篇を設けた理由だ。

 そして彼の教材となったピクサーは、日本から学んでいた。

■ビジョナリー、ジョブズの誤算

 プロデューサー気質の強かったジョブズは、まばゆい才能に出会うと顰め面から晴れやかな顔に変わったものだった。

 だから一千万ドル、現在価値で三十億円弱[2]の大金をはたいて稼ぎのないCG集団を手に入れたとき、「気でも触れたか」と揶揄されたわけだが、彼が気にすることはなかった。ジョブズには自信があった。彼はヴィジョンを得ていた。

 やがてCGは万人のものになる、誰もがCGで写真のような絵を描く時代が来る、と───。

 そのヴィジョンは、前半は当たっていたが後半が外れていた。が、その錯誤ゆえにAppleから追放された彼の流離譚には、復活の種子が植えられることになる。

 彼は考えていた。ピクサーには才能をカネに変えるマネージャーがいない。じぶんが仕切ればいいが、自主独立を重んじることが買収契約の条件だった。約束は守らねばなるまい。

 ならばじぶんのかわりに、創業者のキャットムルを一流の経営者に仕立てよう。そう考えた。「一人前のビジネスマンになる手助けが出来ると思う」とジョブズはインタビューに答えている[3]。さっそくジョブズは、ビジネスモデルを考えてやった。

 コンテンツからハードウェアへの業転。それがジョブズの指南だった。

 映画制作を手伝っているぐらいだから儲からないのだ。この最新鋭のCGワークステーションをそのまま売ればいい。値は張るが、いずれムーアの法則が味方して安くなるはずだ。そうやってじぶんは人類にコンピュータを解放したのだから。

 実はキャットムルの方もしたたかに考えていた。彼もまたムーアの法則を味方につけようとしていた。ただし先に説明したとおり、ハードウェアではなくコンテンツで、だ。

 いまは稼ごう。稼いでこのチームを温存すればきっとチャンスが巡ってくる。フルCGの映画をいま創れば天文学的な予算が要るが、いずれ常識的な金額に収まるはずだ。そう思い、キャットムルはジョブズの戦略を受け入れた。

 一〇歳年下のジョブズは、兄のように振る舞った。(続く)

■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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[1] Schlender, Tetzeli “Becoming Steve Jobs” Chap. 5, p.136 

[2] measuringworth.comで計算し、近日のドル円で換算。以下同 

[3] ヤング+サイモン『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』 第6章 p.257

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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