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iPodに見るジョブズ流の製品開発〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(3)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
(写真:ロイター/アフロ)

 去る10月5日、スティーブ・ジョブズが亡くなって6年が経過した。人類の生活を変えた彼の足跡を讃え、全7回に渡ってジョブズが音楽産業に残した影響を振り返ってゆく。第3回は、iPodに見るジョブズ流の製品開発だ。

■音楽生活を変えたジョブズのアイデア

 iPod開発のプロジェクトが実行段階に入ると、ジョブズは毎日、細かいところまで参加するようになった。『アイデア病』を恐れたのだ。

「ジョン・スカリー(元Apple CEO。かつてジョブズを解雇した)がかかったひどく深刻な病がある。多くの人がその病にかかったのを見てきたよ。すばらしいアイデアが出れば仕事の9割が片付いた気になって、アイデアをスタッフに渡せば作業に入って実現するって勘違いするんだ」

 復帰する2年前にジョブズはインタビューで答えている(※1)。アイデアの実行に入ると、様々な障壁にぶち当たる。問題が想像以上に複雑だったと気づく。それはわれわれ人間の不完全な知性が、はじめ問題を単純に見せるからだ。だから答えも簡単に見える。

 この段階では、問題に右往左往している連中がバカに見える。当時、ファイル共有の席巻でインターネットの対応に右往左往していたレコード産業の世間的評価がそれにあたる。

 問題の複雑さに気づいた人間は、まず複雑な解決策を思いつくものだ。だが実行段階で、それが表層的な対応策の絡み合いに過ぎず、本質的な解決策になってないことに気づく。ファイル共有を否定するあまり、「音楽のシェア」までも否定しようとしたNapster裁判や違法ダウンロード取締でCDを守ろうとした時代がこの段階だ。

 そうしてようやく複雑な問題をすべて均衡させる、シンプルな答えに再び辿り着く。たとえばファイル共有の対策として、Sonyミュージックは他社と共同して2001年には定額制配信を発明していた。だが、この実行段階で、再び気づいてなかった複雑な課題を発見することになる。ユーザー体験の構築という、音楽業界が経験したことのない課題だった。初の定額制配信プレスプレイの出来上がりはひどく、使い物にならずに消えていった。ジョブズにとって、iPod開発のきっかけとなったSonyのメモリースティックWalkmanもそうだったのだろう。

 かくて問題とソリューションを何度も分解・再構築することになる。何度も新しいアイデアが必要となる。このプロセスこそが真のアイデアの創出であり、真の創造性なのだとジョブズは言う。シュンペーターは「イノヴェーションは再結合である」と定義した。その再結合が誕生する瞬間を、ジョブズはそうやって導き出してきた。

 神経をすり減らす作業だ。

 卓越を目指す精神だけがこの作業をやり抜く。音楽制作や映像制作にかぎらず、サービス、アプリ、エンジニアリング、事業企画など創造的な活動に深く関わる方々なら、ジョブズの言うこの「アイデア病」の真意も、納得しやすいかもしれない。

 しっくりくるまで何度もアイデアを分解・再構築する作業は、限界突破に欠かせないのではないだろうか。

 ジョブズが復帰する前の94年に、Appleはデジカメのパイオニアとも言えるQuickTakeを出したが、このプロダクトはまさにアイデア病の典型で売れなかった。いっぽう翌年に日本のカシオから出たQV-10には、液晶ファインダーと「自撮り」が出来る機構が備わっていた。「自撮り」という新しい文化の提案だった。アイデアの磨きこみでカシオのデジカメは閾値を超えた。90年代の日本から始まったデジタルガジェットの繁栄は世界へ広まり、2000年代初頭まで日本のエレクトロニクス陣営は繁栄した。

「これならいけるぞ」とジョブズを確信させたホイールスクロールのアイデアも、そこから更に突き詰められていった。もっとシンプルに。もっと簡単に。それだけが非消費者のマスを消費者のマスに変えてくれるからだ。Sonyがテープレコーダーから機能を切り捨て、再生専用のWalkmanを創った時、人の歩くところすべてが音楽の市場に変わった。

 Appleの競合は、Appleの製品に無い機能を足し算して戦おうとした。だが、その時点で不利を呼び込んでいるのだった。Appleの戦略は余計な機能を引き算して、なるべくシンプルにして非消費者を取り込むことにあるからだ。日本勢が得意だった、スペック表やカタログで戦う「足し算」の戦略は、漸進的イノベーション向きだが、新市場の創出には「引き算」のアイデアが向いているのだ。それこそジョブズがSonyのWalkmanから学んだことだった。

「独創性を引き出す有効な方法は、目標を設定することである」

 盛田昭夫(Sony創業者)が書籍『MADE IN JAPAN』で語った言葉だ(※2)。高い目標設定がもたらす様々な課題を解決するアイデアが独創的な飛躍を生む。ジョブズの求める高い水準は、Appleのスタッフから新しいアイデアを導き出した。

まず、スクロールホイールに、慣性モーメントを導入した。クルクル回すのがいくら便利だからといって、1000曲もあったら辿り着くまで何度も回さないといけなくなる。これを、ホイールを速く回したら、一気にスクロールが進むようにしたのだ。

 この慣性モーメントの概念は、後にiPhoneを生むきっかけに連なっていく。

■「3回以上、ボタンを押させるんじゃない」

 ユーザー体験をこだわりぬくジョブズの要求は厳しかった。

「3回以上、ボタンを押させるんじゃない」

 どうすれば実現できるか。ジョブズが社内から集めたエリート・チームは頭を絞りぬいた。そして出たアイデアは、みずから創り上げたコンピュータ産業の常識を覆すことだった。つまり、ファイル管理からフォルダの階層を撤廃することにしたのだ。

 小さな液晶の中で何度もフォルダに潜っていくのはストレスが溜まる。テープレコーダーを限りなくシンプルにして「カセットを入れて、再生ボタンを押すだけ」にしたSonyのWalkmanを超えるには、極限までボタン操作を減らさなければならなかった。

 だからジョブズたちは楽曲ファイルのIDタグで自動的にアーティスト名、アルバム名で並ぶようにした。今では当たり前の表示だが、概念的にはWeb2.0時代に訪れるタギングと同じアイデアだった。

 もともと「回す」UIはSonyのジョグ・ダイヤルやMicrosoftのマウス・ジョグなど、珍しいものではなかった。が、背後のアイデアを磨んだことで、iPodのホイールは「革新的」と賞賛されるUIになったのである。

デジタルガジェットにはPCと異なる設計思想が要る。iPodの開発でのその経験は、後にiPhoneのiOS誕生へ繋がっていく。

 ジョブズ自身もアイデアをいろいろ出した。

「ON/OFFボタンって要らないんじゃないのか?」

 チームは驚いた。非常識だった。が、確かに言われてみればスリープで十分だ。ボタンがひとつ減れば、さらにシンプルになる。さらにシンプルになれば、さらに非消費者を新市場に変えることができる。ジョブズのアイデアを受けて、スタッフは「段階的スリープ」という技術を開発した。Appleの技術陣はボタンを取るだけでは、アイデアの磨きこみが足りないと考えたのだ。

 ボタン一発で持ち歩く曲を一気に入れ替える、『オートシンク』もジョブズのアイデアだった。

 PCにiMacをつなぐ度に、どの曲を入れて、どの曲を削除すべきか考えさせるのは面倒すぎる。ユーザーに最高の体験を与えないアイデアはクソだ。

 ジョブズはこの問題をシンプルに解決するために、Palm(携帯情報端末)のHotSync(PalmとPCの各データを同期させるアプリケーション)をイメージした(※3)。

「Appleは音楽プレイヤーをやるべきだ」と気づく前、ジョブズはSonyのCLIE(Palm OSを搭載するPDA)などに追従してPDA(Personal Digital Assistant、携帯情報端末)に参入しようとしたことがあった。Palmの、つないでボタンを押せば他に何も考えなくていいシンプルな同期は気に入っていた。同じことを音楽でやりたい、と彼はイメージしたのである。実はそれこそが、iPodを革命的なガジェットにした核心的なアイデアだった。

 iPodは一見、「曲がたくさん運べるWalkman」というだけで、音楽生活にさしたる変化は無いように見える。実際、メディアは当初そう勘違いした。だがiPodのオートシンクは、WalkmanにもCDにも出来なかった新しい音楽生活を実現していたのだ。

 それは制作したAppleよりも、ユーザーたちのほうが先に気づくことになった。ジョブズがそれに気づいたのは、自身がiPod shuffleを着想した頃だったように思う。後述しよう。

 ジョブズはオートシンクに、違法ダウンロード対策を施すアイデアも埋め込んだ。

 iPodをMacと同期した時、iPodからMacへは曲を移せないようにしたのである。iPodを友だちのMacに挿して、mp3を交換するということが起きないようにしたのだ。消費者のウケだけを考えるなら、この機能制限は儲けを減らす判断だったが、それは彼の美的感覚から出たものだった。

 純白に輝く工業デザインの傑作、iPodに盗品が詰め込まれるのは、彼の美的感覚には耐え難いことだったのだ。パッケージを開けると、「音楽を盗まないで下さい」というカードが入っているように指示した。この感覚が合法のオンライン音楽ストア、iTunes Music Storeへとつながり、ひいては映像・本・ゲームまでも網羅する「配信の時代」を切り開くことになった。

■iPodのデザイン〜シンプルは洗練の極み

NY現代美術館に飾られた初代iPod。Flickr.  by Max Erd's
NY現代美術館に飾られた初代iPod。Flickr. by Max Erd's

 様々な天才との出会いに彩られたジョブズの人生だが、復帰後の時代を代表するAppleの天才といえば、ジョナサン・アイブを超える存在はいないだろう。

 ジョブズは、エンジニアにアーティストであることを求め、プロダクトに芸術品の水準を求めた。アイブには、Appleのプロダクトをほんとうに芸術品にしてしまう巨大な才能があった。彼の手がけたプロダクトは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の常連になっている。

 Appleの創業時。ジョブズは最初の事務所に、Sonyの営業所の上のフロアを選んだ。そしてよく営業所からSonyのパンフレットをもらい、デザインを研究していたという。

 Sonyのデザインに大きな感銘を受けたジョブズだが、Macintoshを生み出す頃から、デザイン面で脱Sonyを目指し始める。その際、ジョブズが道標にしたのがシンプルさと機能美の融合を謳うバウハウスのデザイン思想だった。

 MoMAに飾られたiPodの隣には、バウハウスの流れを汲むディーター・ラムスのデザインしたポケットラジオ(ブラウン社)が展示されている。形状がiPodとよく似ている。対照的に、質感に大きな個性差を感じさせる。Appleが、バウハウスを学びつつさらなる高みへ飛翔したことが伝わる、そんな展示だ。

 Sonyを超え、バウハウスを超えたい。限りない卓越を目指すジョブズの渇望を実現してくれたのが、アイブの才能だった。

 ポリカーボネートの透明感の中で、純粋なまでに輝くホワイト。継ぎ目なく連なるステンレスの背面。手に持つと、新潟県燕市の職人たちが極限まで磨き込んだ質感と丸みを楽しむことができ、それは官能的ですらある。

 デジタルガジェットを見ていて、ポイ捨てしたくなるような安っぽさが嫌だった、というアイブは、iPodに高貴なまでの存在感を宿らせた(※4)。

 ジョブズの渇望は、イノベーションでも満たされなかった。イノベーションを超えるものを常に目指した。「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」こそがジョブズが人生を通して追求してきた理想だ。アイブのデザインは、ジョブズの理想を結実し、イノベーションとエモーションを結びつけてくれるものだった。

ジョブズはアイブを「スピリチュアルフレンド」と呼んだ。それほどまでに、アイブとの出会いに感謝していた。

 SonyのWalkmanが創りあげたヘッドフォン文化は、若者の耳から垂れる漆黒のケーブルが目印だった。アイブのホワイトケーブルも文化的アイコンとして機能することになる。ピュアホワイトは文化現象までに高まってゆく。

 卓越を目指すアイブのデザインを実現するため、ハード責任者のルビンシュタインは、ハードの設計を何度もやり直すことに付き合った。設計は分解・再構築を繰り返し、ハードウェアエンジニア陣の創意工夫が結晶していった。あのクオリティはそうやって現実のものになった。

 iPodの組み立ては、デスクトップPCの組み立てよりも日本の薄型携帯電話のそれに近かったという(※5)。極限まで工夫した組み込みをジョブズの精神は追求した。

 すごいエンジニア、すごいクリエイター、すごい技術、すごいパーツ、すごいEMS(組立)、すごい職人。

 ジョブズはiPodのために、世界中からそれをかき集めた。その卓越への情熱は統合モデルを進化させ、後にAppleを時価総額で世界一の企業に押し上げる。白く輝くiPodのデザインは、歴史的到達の象徴でもあった。

■音楽への愛情、プロダクトへの愛情

 創ったこともないジャンルのプロダクトを、たった6ヶ月で完成させるために、チームは休日返上でがむしゃらに働いた。だがインタビューを読むと、口々に「つらかったけど、楽しかった」と答えている。

 その理由もみんな同じだ。

 Appleはコンピュータをデザイナーのため、ミュージシャンのために創っている。最高にクリエイティブなコンピュータで、世界のクリエイターを助ける、という社是は、Appleに音楽好きのスタッフを引き寄せていた。だからiPodの開発は、自分がほんとうにほしいものを創っている実感があったので、楽しくて仕方なかったのだ。

「デザイングループの全員が、iPodほど欲しいと思った製品が過去にあったかどうか、よくわからないくらいです」とアイブも語っている(※6)。

 しかしお約束というべきか。開発は終盤に入り、テストの段階に入ると大トラブルに遭遇した。スリープの不具合で、たった3時間で電池が切れてしまうことがわかった。

「すでに生産ラインが組まれ、緊迫した状態でした」とポータブルプレイヤー社のクナウスは振り返る。

 問題はひと月たっても解決せず、2ヶ月後にようやく解決した。6ヶ月のうちの2ヶ月は、きつかったと思う。

発表の1ヶ月前には、911事件に遭遇した。発表が1か月後に迫っていたが、「家族といるべきと思うなら、ぜひそうしてほしい」とジョブズは社員にメールした(※7)。

 製品発表の数日前に、さらに問題が発生。プリント基板に欠陥が見つかった。Appleの社員は総出で台湾をタクシーで駆け巡り、町工場で基盤を創って、ほんとうにギリギリで解決した。

「あのときはぞっとしたよ」とルビンシュタインは笑った(※8)。

■iPodの命名

 iPodという名前は、フリーのコピーライター、ビニー・シエコが着想した(※9)。iMacをガジェットのハブにする、ジョブズの『デジタルハブ』構想から宇宙ステーションを想像したという。ハブに繋がったポッド。それにiをつけた。

シエコは他の案も含め、名前をカードにして持っていった。ジョブズはカードの山を合格、不合格に分けていく。シエコの自信作『iPod』は、あっさり不合格の山に分けられた。だがジョブズが最後に意見を聞いてきたので、シエコは『iPod』がジョブズの求めているものに一番近いことを力説した。

 ジョブズは「考えておく」とだけ言って部屋から出て行ったが、プロジェクトの会議に出た時、「決めたぞ! iPodだ」と宣言した。ジョブズは自分が何でも考えたように言う癖があったが、それはいつものことだった。問題はアイデアの質だ。

 iMacの時は「Macmanがいい」と言い出して、周りが止めた経緯がある(※10)。あまりにSonyっぽいからだ。ジョブズは反対意見を受け入れ、iMacに決まった。イメージとは違い、話をよく聞くリーダーなのだ。

「自分が間違っていることにはこだわらない」とジョブズは言う。目標は卓越だから、チームが卓越したアイデアにたどり着けば、自分のアイデアが否定されてもこだわらないのだろう。その割になんでも自分の手柄にしたがるのは、ジョブズの複雑怪奇な側面だ。

 ジョブズの持ってきた『iPod』の命名は、チームもすんなり納得した。かくて「21世紀のWalkman」は「iPod」となった。

 2001年10月。メディアに、Appleから新製品イベントの招待状が届いた。

「ヒント。Macじゃないよ」

 招待状にはそう書かれていた(続く)。

■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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iPod誕生の裏側~スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(1)

※1 『スティーブ・ジョブズ1995 ロスト・インタビュー』

※2 『MADE IN JAPAN』第4章

※3 『スティーブ・ジョブズの流儀』第7章

※4 『スティーブ・ジョブズII』第29章

※5 iPodの開発(第5話)http://nkbp.jp/1a8gJUf

※6 『iCon』第11章

※7 『iPodは何を変えたのか』第8章

※8 『iPodは何を変えたのか』第3章

※9 『スティーブ・ジョブズの流儀』第7章

※10  『Think Simple』第6章

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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