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研究者4500人雇い止め危機〜「稼げる大学」ファンドでは遠い解決〜

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
2023年春には4500人もの研究者が雇い止めの可能性(写真:イメージマート)

研究者大量雇い止めは4500人

 最近理科学研究所の研究系職員の600人雇い止めの件が大きな話題になっている。私もその件を記事に書かせていただいた。

理研600名リストラ危機が示す研究現場の疲弊 (榎木英介)

 記事にもこれは理研だけの問題ではないと書いたが、衝撃的な数が明らかになった。

 2022年5月17日の参議院内閣委員会において、日本共産党の田村智子議員の質問に答えた文部科学省の担当者が、国立大学や国立研究所において2023年に雇い止めになる可能性がある研究者が4500人近くにのぼることが明らかにしたのだ。

国立の大学・研究機関の非正規雇用の研究者のうち最大4500人が、無期転換逃れのために2022年度末までに雇い止めにされる恐れがあることが17日の参院内閣委員会でわかりました。

出典:国立大など 4500人雇い止めの恐れ/非正規研究者 田村智子議員の追及で判明/参院内閣委| 「しんぶん赤旗」

 田村議員の質問に対する回答は以下。

文部科学省提出資料

任期付き研究者のうち、2023年3月31日までに雇い止めの恐れがある研究者数

国立大学(PDF) 

国立研究開発法人(PDF)

 国立の大学や研究機関に所属する研究者のうち約3000人も来年度末で雇い止めになる可能性があるという。これはかつてない規模の「研究者リストラ」といえよう。日本の研究力のさらなる低下が心配される。

 解雇されるかもしれない研究者は、決して成果をあげていなかったからではない。多額の研究費を獲得している研究者でさえ、解雇の危機に直面しているのだ。

 フラスコや顕微鏡、無菌状態にする装置などがところ狭しと並ぶ東京大のバイオ系の研究室。中には1億円以上する機器もある。この研究室は、人件費を含め企業からの寄付金で運営されている。

 しかし、来年3月にこの研究室を引き払う可能性がある。研究を仕切る特任教授の任期が切れるからだ。

出典:国公立大や公的機関の研究者 来年3月に約3000人が大量雇い止め危機 岐路の「科学立国」(東京新聞)

 大学や研究機関でも理研の件と背景は同じで、研究者の任期の定めのある有期雇用を繰り返すことによる無期雇用への転換権発生に関するいわゆる「10年ルール」を避ける意図がある。

 前回記事で私が指摘した通り、この問題は理研だけではなく大学をはじめとする公的研究機関全般で発生しうる

 さらにいえば、現状のままでは来年度以降も毎年発生する。

2013年に改正された労働契約法では、継続して5年間有期雇用契約が更新された労働者に対し、無期雇用への転換を申し出る権利(無期転換権)が生じる。「無期転換ルール」、いわゆる「5年ルール」だ。

研究者も同じで、当時これでは研究者が雇い止めされ、日本の研究環境に壊滅的な被害を与えるのではないかという声が高まり、私自身、内閣府の総合科学技術会議(当時)に出席し、意見を述べさせていただいたりするなど、様々な場所で問題を訴えた。

こうした訴えもあったのか、いわゆる「研究開発力強化法」(現科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律)が改正され、5年の無期転換権付与は研究者に限り10年となった。これが「10年ルール」だ。

出典:理研600名リストラ危機が示す研究現場の疲弊 (榎木英介)

 無期雇用転換権発生を避けるための雇い止めは、労働契約法の趣旨に反する行為であり、安易な雇い止めを行う研究機関の責任は重い。

無期転換申込権発生前の雇止めについて

 有期労働契約において、使用者が契約更新を行わず、契約期間の満了により雇用関係が終了することを「雇止め」といいます。 雇止めは、労働者保護の観点から、過去の最高裁判所の判例により一定の場合にこれを無効とするルール(雇止め法理)が確立しており、労働契約法第19条に規定されました。

 無期転換ルールを避けることを目的として、無期転換申込権が発生する前に雇止めをすることは、労働契約法の趣旨に照らして望ましいものではありません。また、有期労働契約の満了前に使用者が更新年限や更新回数の上限などを一方的に設けたとしても、雇止めをすることは許されない場合もありますので、慎重な対応が必要です。

厚生労働省「無期転換ポータルサイト」より抜粋

出典:文部科学省 大学等及び研究開発法人の研究者、教員等に対する労働契約法の特例(無期転換申込権発生までの期間)に関する経過措置について

 ただし、この雇い止めについて個々の大学や研究所だけに責任を負わせても問題解決にならない。

 2004年の国立大学法人化以後から続いている国立大学や研究機関に対する運営交付金削減や、それと並行して進められた「選択と集中」政策により、大学の側に教職員を安定して雇用できる資金がないのだ。

 いわゆる競争的研究費の額を合わせると、科学技術、学術関連予算は削減されていないように見えるが、これらの資金は継続的に獲得し続けられるか不安定なため、研究者を無期雇用化することは難しいと研究機関は判断しているのだろう。

 定年退職した教員の後任人事を凍結せざるを得ないのが、昨今の国立大学や研究所の現状だ。

国立33大学で定年退職者の補充を凍結 新潟大は人事凍結でゼミ解散 (THE PAGE)

海外流出の危機

 4500名もの大量雇い止めが現実になれば、海外流出、特に中国への人材流出が加速するだろう。先述の東京新聞の記事に登場する東大の特任教授も、中国への移籍の可能性を口にしている。

男性は、自身と日本の研究環境の将来を悲観する。「もちろん今の研究室で続けたいが、背に腹は代えられない。中国からオファーがあれば考える」と吐露。「将来の仕事がないなら、学生も博士課程に進まず就職してしまう。腰を据えた基礎研究はやはり大学が中心。しっかりした基礎研究の土壌がなければ、企業もよい研究・開発はできない」

出典:国公立大や公的機関の研究者 来年3月に約3000人が大量雇い止め危機 岐路の「科学立国」(東京新聞)

 これをみれば明らかだろう。中国への人材流出の背景は、一部メディアで盛んに喧伝されているような「高給により研究者が次々と中国に引き抜かれている」といった状況ではない。今回のような雇い止めのように、日本側がむしろ積極的に追い出しているのが実情なのだ。

 このような状況の中、中国に渡った研究者を高待遇で引き抜かれた「売国奴」とバッシングするのは、百害あって一利なしだ。実際のところ中国へ渡った大学研究者の多くの給与は、年600万円から800万円程度と巷で想像されているような高待遇とは異なるのが実態だ。

日本で「役に立たない研究」として予算削減されている分野の研究者が中国で研究した途端に「軍事研究!」「技術流出!」とまるで「役に立つ研究」をしているかのようにバッシングするのは滑稽でしかない。

出典:「日本からの応募が増えました」読売「千人計画」バッシングが加速させる「人財」の中国流出 (榎木英介)

「選択と集中」路線の大学ファンド〜状況を改善させることはできない

 このような現状を打開する策はあるのだろうか?

 大学再生への起死回生策として最近期待されているのが、いわゆる「10兆円大学ファンド」だ。今年5月に正式に法案が通過した。サイエンス誌が取り上げるなど、海外からも注目されている。

国際卓越研究大学の研究及び研究成果の活用のための体制の強化に関する法律

「10兆円大学ファンド」~「選択と集中」「毒まんじゅう」で日本の大学は再生できるか? (榎木英介)

世界トップの大学づくりへ、10兆円基金で10年以上支援…「国際卓越研究大学法」成立 (読売新聞)

Japan tries—again—to revitalize its research (Science)

 この大学ファンドの「発案者」を自任する自民党の甘利明議員も大学ファンドが中国への人材流出への対抗策であることを公言している。

 しかし大学ファンドは今回のような大量雇い止めに対する対策にはならないだろう。理由は単純で、総額3000億円を目指すとされる支援の対象となるのは国立大学のごく一部のトップ数校に限られるからだ。

 地方大学を対象とした「地域中核・特色ある研究大学総合振興パッケージ」は、令和4年度予算で462億円。つまり、地方大全体への支援総額が大学ファンドの支援対象となるトップ大学一校分の支援額と同等なのだ。これでは、「選択と集中」がさらに強化されるだけで、ほとんどの大学の雇い止め問題の解決にはならない。

 中国の人材流出を阻止するために「選択と集中」路線を支持するのは甘利議員のような政治家だけではない。

 読売新聞は昨年の記事で、「(中国移籍を発表した藤嶋昭氏のようなトップ研究者を国内に引き留めるには)日本国内で世界水準の待遇や潤沢な研究費を用意することが必要となる。」と「選択と集中」路線を支持する論陣を張っている。

[経済安保 見えない脅威]<4>「極超音速」 和製技術も…流出阻止へ新制度導入

 だが、これは誤解だ。

 そもそも藤嶋昭氏にしても東京理科大の学長退任および光触媒国際研究センターの閉鎖後は、研究者として自身の研究を行う場所を持つことは日本でできず、それが上海移籍の一因になっているという。日本国内で世界水準の待遇や潤沢な研究費を用意できなかったから中国へというわけではなく、そもそも日本に自身の研究を行う場がなかったのだ。

 同様の声は中国へ渡った若手やシニア研究者から一様に聞こえてくる。

「稼げる大学」改革とノーベル賞候補の中国移籍(榎木英介)

 読売新聞自身もそういった声を実は過去に紹介している。

日本で就職かなわず、中国の「千人計画」に参加…若手研究者らの現状 (読売新聞)

 「選択と集中」こそが日本のアカデミアの荒廃や人材流出を招いていることは、多くの人たちの一致した意見だ(選択され、予算が集中している研究者以外は)。

 にも拘らず、中国へ渡らざるを得ない苦境にある研究者を「売国奴」とバッシングしつつ、「中国への人材流出を防ぐにはさらなる選択と集中を」というのは、マッチポンプにもほどがあるといえよう。

「選択と集中」を批判する中国在住研究者

 実際中国にいる日本人研究者からは「選択と集中」に否定的な意見が聞かれる。

 復旦大学の服部素之氏は東洋経済の取材に対し、「選択と集中」とは逆の幅広い研究支援を訴えていた。

上海の日本人研究者が見た「日本の大学の危機」 (東洋経済オンライン)

日本人研究者の「中国への流出」脅威論の真実 (東洋経済オンライン)

 今回の雇い止めや大学ファンドの件について、服部氏に意見を伺ったところ、以下のようなお答えをいただいた。許可を得て掲載する。

 大学ファンドに象徴されるような今の日本のやり方はやや極端だと思います。「一部の限られた大学やプロジェクトにばかり資金を集中すれば、世界トップの研究大学がつくれる」という考えは、リンゴ栽培で例えると、リンゴの世話を真面目にやりたくはないが、リンゴの実だけはほしいと言っているようなものです。

 リンゴは木の幹とか根っこがあってはじめて実がなるわけで、「リンゴの木の幹や根っこはいらない。水やりもしたくないが、実だけはほしい」といっても、うまくはいかないのは明らかでしょう。アメリカもハーバードやMITのようなトップ大学だけがあるというわけではなく、非常に幅広い裾野があって、ハーバードやMITのような世界トップ大学があるわけで、研究者人口や研究分野といった裾野を広げていくことが大事なのです。

 実際、中国も既存の有名大学へばかり集中支援しているのではなく、むしろ地方の大学を研究大学へと育成強化する支援のほうが最近は盛んです。日本の大学ファンドも地方大学支援をもっと強化すべきでしょう。そのあたりのバランス感覚が日本に欠けているのではないかと心配しています。

 中国への警戒は怠るべきではない。だが、警戒すればこそ中国に対する高い解像度が必要だ。メディアや政治家は、実態を捉えて発言してほしい。

責任のなすり合いを超えて

 話を雇い止め問題に戻そう。

 現在研究者の雇い止め問題に対する文科省や政府の腰は重い。大学の自治の問題だからと及び腰の対応しかしていない感じだ。

文部科学省としても、引き続き、理化学研究所におきましては、職員の方々と対話を継続してほしいということと、丁寧にやっていただきたいと、そして、適切な人員の運営を行っていただくことが重要であるというように、そのように認識をいたしております。とにかく丁寧な対応をして話合いを重ねてほしいというのが、私の考えです。

出典:末松信介文部科学大臣記者会見録(令和4年3月29日):文部科学省

 しかし、4500人もの研究者が雇い止めされようとしているのだ。党派や立場を超えて、関係者が自分ごととして、責任を持ってこの問題に取り組むことを強く求めたい。私も要請があれば、時間が許す限りどのような立場の方々の会にでも登壇する予定だ。

 この問題の解決に向けて、以下の会が開催される(6月4日夕方)。私も話題提供させていただく予定だ。関心のある方は是非ご参加いただけたら幸いだ。

「国立大学・研究機関における大量雇い止めについてのOnline懇談会」

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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