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日本人研究者が見た「上海ロックダウン」の真実

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
ロックダウンが市民生活に大きな負担を強いている。(写真:ロイター/アフロ)

日本人研究者も巻き込まれた「上海ロックダウン」

 中国の主要都市上海で、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻な状態になっている。

 3月末に始まったロックダウンだが、当初の予定を大幅に上回り、5月に入った今でも継続されており、上海在住の邦人も苦しい状況に追い込まれている。

 そんな中、上海在住の日本人研究者A氏から、ロックダウンの実態やその背景にある問題点について貴重な話を聞く機会があった。本人了承の上、インタビュー形式でご紹介したい。

問題は中国製不活性ワクチンではなく高齢者のワクチン接種率の低さ

ーーこれまでゼロコロナ政策を推進してきた中国政府ですが、今回ここまで感染が拡大し、多くの方が亡くなっている原因はなんでしょうか?中国製の不活性化ワクチンの有効性の低さに原因を求める報道もあります。

A氏:明らかに政策の問題だ。だが、意外に思うかもしれないが、(新型コロナウイルスの)オミクロン世代では中国製の不活性化ワクチンと海外製のmRNAワクチンの有効性の差は小さい。問題はそこではない。新型コロナへのワクチンの実用化当初、つまり1年半くらい前の段階では、ワクチンによる感染予防効果が注目を集めたため、その印象が今でも残っているのだろう。その点では中国製の不活性化ワクチンと海外製のmRNAワクチンに確かにかなり差があった。ただ、重症化や死亡の防止という点では実は差が小さい。重症化や死亡の防止という点では中国製ワクチンも効いている。

ーーそれは中国国内のデータでしょうか?国内のデータだと政府によるプロパガンダという要素もあるのでは?

A氏:中国国内のデータではなく、中国製ワクチンが用いられた他国のデータとしてもまとめられている。特にオミクロン世代では免疫回避能が高く、感染予防よりも重症化や死亡への予防効果が重要となっている。そのため、中国製の不活性化ワクチンと海外製のmRNAワクチンの差が相対的に小さくなっている。オミクロンが感染爆発した最近の香港でも同様の傾向だ。中国製ワクチンが効かないということはない。

 例えば、オミクロンが感染爆発した最近の香港をみても、中国製ワクチン2回接種で死亡率を大きく減少させている。60歳以上の高齢者の死亡リスクはワクチン未接種の場合、2回接種者と比較し20倍以上あった。ただ、こういった事情はあまり報道されておらず、中国ワクチンの有効性について海外ではある種のイデオロギー論争となっている感がある。

ーーそれでも上海で毎日多数の方が亡くなられているのを報道でみますが、どういうことでしょうか?

A氏:一番の問題はワクチンのタイプではなく、高齢者のワクチン接種率の低さだ。上海での死亡ケースのほとんどはワクチン未接種の高齢者だ。中国では、若年層のワクチン接種率が9割を大きく超えているにも関わらず、高齢者のワクチン接種率が低く、全国平均で80%程度、上海は特に低く60%程度しかない。他国では高齢者のワクチン接種率のほうが高い状況とは対照的だ。この点は同様にオミクロンが感染拡大した最近の香港でも同様で、死亡者の多くはワクチン未接種の高齢者だった。

ーー新型コロナは高齢者のほうがリスクが高いのに。高齢者接種率が低いというのは奇妙な状況だと感じますが、何か原因があるのでしょうか?

A氏:中国の高齢者のワクチン忌避が原因だ。中国の高齢者は西洋医学よりも伝統的な中国医学を信じる傾向があり、ワクチンや一般的な治療薬に忌避感がある。それが大きく裏目に出ているのではないかと推測している。

有効性の実証されていない中医薬が全戸に配布

ーー高齢者のワクチン接種率が低いとなると、治療の段階での対応がより重要になってくると思われますが、その点についてはいかがでしょうか?

A氏:そこがまさに深刻な状況だ。あまり報道されていないが、実はコロナ治療薬に関しては中国も海外製のものを今年の2月に認可している。日本でも認可されているPaxlovidだ。ただ、圧倒的に不足しているという話を病院関係者から聞いている。その一方、政府が推しているのが中医薬(日本の漢方薬に相当)だ。最近の上海では「連花清瘟」という中医薬が全世帯に配布された

ーー全世帯配布とはかなりの数ですね。どの程度効果があるのでしょうか?

A氏:連花清瘟がちゃんとした治験で効果が実証されたことはない。実は中国国内でもこれから二重盲検試験を始めるという段階だ。それにも拘らず大量配布されているという不思議な状況だ。伝統的な中国医学は高齢者のワクチン忌避の遠因ともなっており、中国の新型コロナ対策にはマイナスなのは明らかだが、政治的な影響力が大きく、上海での全戸配布へとつながっているのだろう。海外メディアも中国のコロナ対策の問題点として、実際には効果がある中国製不活性ワクチンに対してではなく、高齢者のワクチン接種率の低さや効果の実証されていない中医薬が推進されているといった真の問題点にもっと着目すべきだと思う。批判すべきポイントがズレていると感じる。

食料供給よりも深刻〜コロナ以外の医療体制の崩壊

ーーロックダウン生活はいかがですか?日本では食料の確保に関するニュースを多く見ます。

A氏:もちろん深刻な問題だ。ただ、私の周囲をみても飢え死にレベルの状況にある方はほぼみなかった。苦労しつつも何とか食料確保していたというのが多くの方にとっての実情だろう。それより深刻なのは医療体制だ。医療体制といってもコロナ治療ではない。コロナ以外の医療へのアクセスだ。身近でも出産予定日なのに病院に行けない妊婦さんの話を聞いた。持病の薬がなくなっても薬を確保できないという問題もかなりあったようだ。著名人の家族が病院に行けず亡くなった報道もあった。これらはすべて生きるか死ぬかの問題だ。これらの原因でなくなった方は確かにコロナ死にはカウントはされないが、それでいいのか。ロックダウン下で一番深刻な問題だと思う。

オミクロン株の登場でゼロコロナを維持するのは無理

ーーこれらの状況を踏まえた上で、何か提言はありますでしょうか?

A氏:高齢者のワクチン接種率を上げることが急務だ。また、中国医学重視の路線から転換し、有効性が実証されている治療薬を十分に確保することも同様に重要だ。それらの条件が達成されれば、たとえ感染が広まってもコロナによる死者を大きく減らすことができる。その上でゼロコロナ政策から徐々に事実上脱却していくことが必要だろう。オミクロンの前、既にデルタ株の段階で既に中国国内の地域限定ロックダウンの頻度はかなり増えており、それが中国の経済やコロナ以外の医療体制に深刻な影響を与えていた。ゼロコロナ政策がコロナ対策の初期の段階では一定の成果を上げたという面は確かにあり、中国が他国に先んじて経済を回復させるきっかけとなったといえるだろう。だが、感染力が強まったデルタ株の時点で既にマイナス面が目立ち始めており、コスパに見合わないものとなりつつあった。オミクロンとなればなおさらだ。そのためにもまずは高齢者のワクチン接種の推進と有効な治療薬の確保が急務なのは間違いない。上海には多くの日系企業が進出しており、この状況が続けば日本にも大きなマイナスだ

(終わり)

 以上、基礎研究者であるA氏の視点から見た上海の様子をお伝えした。厳しい状況のなか率直に答えてくれたA氏に御礼申し上げる。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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