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理研600名リストラ危機が示す研究現場の疲弊

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
理化学研究所は大量雇い止めを行うのか?(写真:西村尚己/アフロ)

理研で大量「雇い止め」危機

理化学研究所(理研)といえば、自他ともに認める日本を代表する研究機関だ。1917年の設立以来、組織形態を変えながら戦前戦後を生き延び、優れた研究を生み出し続けている。

 ときに問題も起こることがあり、私もこのYahoo!ニュース個人の記事で何度か取り上げたSTAP細胞事件を記憶している方も多いだろう。

 このようにその動向が一挙手一投足が取り上げられる理研だが、衝撃的なニュースが駆け巡った。理研の研究系職員が今年度末で約600人も雇い止めになるというのだ。

 以下は理化学研究所労働組合(理研労)のツイッターから。資料が公開されている。

 ほかにも重要な内容のツイートがあるので、参照されたい。

 理研労によれば、500以上ある研究チームの12%が解散し、神戸市中央区の生命機能科学研究センターが約4割の24チームを占めるという。

 しかも、ビルごと消失する部署もあるという。

 とにかく規模が衝撃的だ。この経緯については弁護士ドットコムが詳細にまとめている。

理研の非正規研究者、「無期転換逃れ」で大量雇い止めの危機 労組が撤回求める (弁護士ドットコム)

雇い止め危機の理由

 なぜ来年の2023年に大量の雇い止めが行われるのか。この記事と理研労の発表資料をもとに考えてみたい。

 2013年に改正された労働契約法では、継続して5年間有期雇用契約が更新された労働者に対し、無期雇用への転換を申し出る権利(無期転換権)が生じる。「無期転換ルール」、いわゆる「5年ルール」だ。

有期労働契約が更新されて通算5年を超えたときは、労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できるルールです。

はじまります、「無期転換ルール」 - 厚生労働省

 本来ならば労働者に対し安定した雇用を提供するはずであるこの「無期転換ルール」だが、法律の改正案が公表された当初から、雇用者がそれを嫌って5年になる前に雇い止めを行うのではないかという懸念の声が国民の間に沸き起こった。

 研究者も同じで、当時これでは研究者が雇い止めされ、日本の研究環境に壊滅的な被害を与えるのではないかという声が高まり、私自身、内閣府の総合科学技術会議(当時)に出席し、意見を述べさせていただいたりするなど、様々な場所で問題を訴えた。

科学技術政策担当大臣等政務三役と総合科学技術会議有識者議員との会合(平成24年度) 平成24年4月19日

 私のプレゼン資料はこれだ。

 こうした訴えもあったのか、いわゆる「研究開発力強化法」(現科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律)が改正され、5年の無期転換権付与は研究者に限り10年となった。これが「10年ルール」だ。

(労働契約法の特例)

第十五条の二 次の各号に掲げる者の当該各号の労働契約に係る労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第十八条第一項の規定の適用については、同項中「五年」とあるのは、「十年」とする。

科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律

 では、この特例が適用されるのは誰か。

一 研究者等であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で期間の定めのある労働契約(以下この条において「有期労働契約」という。)を締結したもの

二 研究開発等に係る企画立案、資金の確保並びに知的財産権の取得及び活用その他の研究開発等に係る運営及び管理に係る業務(専門的な知識及び能力を必要とするものに限る。)に従事する者であって研究開発法人又は大学等を設置する者との間で有期労働契約を締結したもの

三 試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者が試験研究機関等、研究開発法人又は大学等との協定その他の契約によりこれらと共同して行う研究開発等(次号において「共同研究開発等」という。)の業務に専ら従事する研究者等であって当該試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者との間で有期労働契約を締結したもの

四 共同研究開発等に係る企画立案、資金の確保並びに知的財産権の取得及び活用その他の共同研究開発等に係る運営及び管理に係る業務(専門的な知識及び能力を必要とするものに限る。)に専ら従事する者であって当該共同研究開発等を行う試験研究機関等、研究開発法人及び大学等以外の者との間で有期労働契約を締結したもの

科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律

 上に示したように事務系職員などは特例が適用されない。ただ、非常勤講師は研究者に入るのかなど曖昧な部分があり、それによって混乱も生じている。

専修大学、30年勤務の非常勤講師を雇い止め…東京地裁「無期雇用転換権」認める判決

 理研労が問題視しているのは、理研独自の雇用ルールが導入されたのが、研究開発力強化法(当時)で「10年ルール」が定められた2013年ではなく、2016年という点だ。2016年に「5年ルール」「10年ルール」を定めた際、2013年にまでさかのぼって適用しているのだ。

 2018年に「5年ルール」による事務系職員の雇い止め問題が発生した際は理研労

の交渉により撤回されている。

「雇い止め」の真の問題点

 上記を踏まえたうえで、理研の雇い止めの問題点について深掘りしてみる。

 雇い止めの対象となる研究系職員といっても立場は様々だ。研究室を主宰する「チームリーダー等のPI(研究主宰者)」、その研究室に所属する「ポスドク研究員」「技術補佐員」、そして「共同利用施設の運営管理者」あたりが主であろうか。

 まずPIの場合だが、必ずしも10年ルールが悪いとは限らないだろう。例えばドイツの名門研究機関のマックスプランク研究所のPIもそのほとんどが7-8年程度の任期制だ。その期間中に活躍し、国内外に教授として転出することが期待されている。任期のないテニュアポジションを取れる人もいるが、将来のディレクター候補といったごく一部に限られている。この仕組みにより常に人が入れ替わり、若手研究者にPIとなるチャンスを与えることができる。

 理研としても同様のサイクルを考えているのだろう。さらには理研も同様に任期制から定年制への移行となるテニュア登用制度はある。

 だが、10年ルールの導入前に採用された人たちに対して、過去にさかのぼってそのルールを適用するのは無理がある。

 また、10年ルールの導入後の採用ケースについても、採用期間中に業績を積み重ね、外部に栄転したくとも、昨今の日本国内の(国立)大学は運営交付金削減により採用が減らされており、異動が極めて困難な状況だ。

 研究室所属の「ポスドク研究員」「技術補佐員」については、そもそもPIが雇い止めとなり、研究室が解散した場合、それに伴い所属メンバーの雇用もなくなるものだ。その点において、PIの10年ルールにダイレクトに影響される。

 「共同利用施設の運営管理者」も深刻な影響を受ける

 例えば、和歌山毒物カレー事件の鑑定で研究者以外にも有名になった大型放射光施設SPring-8は、世界的に重要な共同利用施設である。その一部の管理運用は理研が行っているが、その管理運用に携わる研究職員の中にもこの10年ルールが適用される任期制職員は少なくないという。

 共同利用施設は研究のインフラだ。仮に電力会社の発電所の管理運営に携わる社員が10年で雇い止めされると聞けば、その危険性、おかしさに気がつくと思う。共同利用施設の研究職員が雇い止めされるというのは、それと同じだ。共同利用施設の運営管理には雇用の安定性は欠かせない。

雇用の安定化を

 こういった雇用の不安定さは、研究の中断を引き起こし、場合によって断念せざるを得ない研究者も出てくる。それは研究力の低下という形で日本自身が代償を払うことになるのだ。

 また、理研労のツイートで指摘されているように、雇い止めにより理研を離れることになる研究者の中には海外、特に最近ではポジションが豊富な中国へと移籍する研究者が出てくることもあるだろう。

 中国への人材流出の背景として、高給により研究者が次々と中国に引き抜かれているといった理由より、日本側がむしろ積極的に追い出しているというのが実情だ。

「日本からの応募が増えました」読売「千人計画」バッシングが加速させる「人財」の中国流出

 今回の「10年ルール」による研究者雇い止め問題は、理研に限らず他の研究機関や大学も同様であり、法改正から10年となる「2023年問題」が迫る。理研だけで600人というのであれば日本の大学全体では一体何人になるだろうか。

 本来は有期雇用労働者の雇用の安定のための無期雇用転換権だったのが、逆に雇用を不安定化させる皮肉な結果となっている。特に(国立)大学については、運営交付金の削減が進んでおり、財源は深刻な問題だ。

 頼みの綱の10兆円大学ファンドもごくごく一部の大学への支援に限定されている。このような状況では若者がアカデミアを忌避するのも無理はない。

「10兆円大学ファンド」~「選択と集中」「毒まんじゅう」で日本の大学は再生できるか?

 結局、研究者の特例「10年ルール」は、5年が10年になっただけで、根本的な問題が先送りされただけだったのではないか。

 5年や10年になる直前に半年ほど雇用されない期間を作るという「クーリングオフ」も常態化しているが、小手先の手段はもう限界だ。

千葉大「10年勤務」の有期職員、無期転換できず…組合は「5年ルールの潜脱」主張

 理研は無期雇用の割合を将来的には4割まで高める方針を打ち出しており、雇用の安定性の重要さは認識している。

理研、無期雇用を1割から4割へ長期の基礎研究支援

 この4月から東京大学の総長として評価の高かった五神真氏が理研の新理事長に就任した。

新理事長就任のお知らせ

 五神新理事長の手腕に期待したい。

 しかし、理研の問題が解決すれば終わりではない。理研にだけ多額の予算が投じられ、安定雇用が達成されたとしても、不安定な雇用を生み出す構造が解決されなければ、日本の研究は低迷したままだろう。

 国会でも日本共産党の田村智子議員が理研の雇い止めを取り上げ、日本の研究者が置かれた問題の解決を訴えている。

第208回国会 内閣委員会 第2号 令和四年三月八日(火曜日)議事録(参院)

論戦ハイライト 参院決算委 田村副委員長の質問

 田村議員の発言には、与党議員からも賛同の声が飛んだという。

「重要なご指摘」文科相、共産田村氏に謝意 国立大改善で

 日本の研究現場の疲弊を喜ぶ人は(国内には)いないはずだ。超党派での取り組みに大いに期待したい。

 そして、不安定雇用に苦しむのは研究者だけではない。

 実は医師である私も、3月末にある仕事を雇い止めになった。雇用の不安定さが心にどれだけ負担になるかを身をもって体験している最中だ。

 医師は探せば仕事が見つかるのでまだ恵まれているといえるが、事務系の職員の雇い止め問題はすでに大きな問題となっていたわけで、「10年ルール」のような研究者だけが問題を回避できればよい、という意識では、研究者に対する国民の支持は低下するだろう。

東大、職員4800人雇い止めで失職も…組合と大学側が全面対決、国の働き方改革に逆行

 今回の件を、あらゆる立場の有期雇用労働者の安定、不安払拭という形での解決につながるように導くのも、関係者の責務ではないだろうか。

2022年4月4日追記

 国立研究開発法人である産業技術総合研究所(産総研)は、採用時から任期の定めがない定年制の「パーマネント型研究員」を募集しており、SNSでも話題になっている。

 昨年度まではテニュアトラックと呼ばれる、任期付きで採用したのち業績を審査し、任期がない職に移行するか決めるという制度もあったが、それをなくしたという。安定して研究できることが、優れた研究者を呼び込むことにつながるか注目したい。

 研究者が定年制だと、採用後に業績が乏しくなるという批判は常にあるが、研究に従事しないいち国民としては、研究者の能力を最大限に発揮できる仕組みを望みたい。そして、たとえ職業として研究を行わなくても、社会の様々な場所でその能力が活用できるようになる、才能を使い捨てることのない社会を作っていきたい。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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