開いた"パンドラの箱"〜ALS嘱託殺人医師逮捕が示す「死因不明社会」の闇

解剖は死因を明らかにするが、解剖率は低い(写真:WavebreakMedia/イメージマート)

 衝撃的な事件だ。筋萎縮性側索硬化症の患者を死に至らしめたとして逮捕、起訴されていた医師らが、過去にも同様のことを行ったとして逮捕されたのだ。

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者への嘱託殺人罪などで起訴された医師2人が、うち1人の父親を殺害したとして、京都府警は12日、殺人容疑で医師の大久保愉一(43)=仙台市=、山本直樹(43)=住所不定=両容疑者と、山本容疑者の母親淳子容疑者(76)=長野県軽井沢町=を逮捕した。

ALS事件の医師ら3人逮捕 10年前、父親殺害容疑―京都府警

  10年前に行った行為で逮捕されたのだが、父親は解剖されなかったという。

捜査関係者によると、山本直樹容疑者(43)の父親=当時(77)=の遺体は司法解剖されなかった。当時は事件性が疑われず、捜査対象にならなかったという。

「遺体なき10年前の殺人」立証難しく ALS事件医師ら逮捕、府警は慎重な姿勢

 これから捜査が行われるが、遺体が解剖されていないことが大きな障壁となる可能性がある。

解剖の条件

 遺体が解剖されるためには、どういう条件が必要だろうか。容疑者の父親は解剖される可能性があったのだろうか。

 まず、病死だった場合、主治医が遺族に解剖してよいか申し出て、遺族が同意すれば解剖できる。しかし、日本において病死の遺体が解剖される率は極めて低い。

日本病理学会によれば、1985年に40247件の病理解剖が行われていたが、年間11,809件(2017年)にまで減少した 。同年の日本人の死者は1,340,397人であり、全死者数に対する病理解剖数は0.9%に過ぎない。

 今回のケースの場合、遺族が容疑者であり、病理解剖が行われる可能性はゼロだろう。しかも、たとえ解剖をしたとしても、病理解剖では毒物を検査することは日常的には行わない。

 では事件性があるとして、司法解剖はされるのか。

警察庁刑事局資料より
警察庁刑事局資料より

 上図は警察庁刑事局が作成した資料からの引用であるが、死体を警察に届け出るか、遺族が承諾しないと解剖されることはない。

 それは難しかったのではないか。亡くなった父親の配偶者である母親も今回逮捕されている。家族が加担し、かつ医師まで家族であったとしたら防ぐことは難しい。

府警が捜査した結果、靖さんの死亡診断書に名前が記載された医師は診断に関わっておらず、病院も実在していなかったことが判明した。

父親の死亡診断書偽造 逮捕医師ら関与か 京都府警

 入手しにくい死亡診断書でも、医師なら入手できてしまうのだ。

低い解剖率、乏しいヒトモノカネ

 亡くなったときは事件性を疑わず、死因が丁寧にしらべられなかったために、のちに問題となるケースがある。

 2002年に京都府宇治市の男性が行方不明になった事件では、発見された血痕や微量の人骨などをもとに約1年後、府警が強盗殺人容疑で男を逮捕した。男が否認し、明確な物証や目撃証言もない中、捜査当局は男の車の移動経路など状況証拠を積み重ねた。京都地裁が06年に無期懲役判決を言い渡し、最高裁で確定した。

 一方、14年に発覚した京都府向日市などの青酸連続不審死事件では、捜査当局が男性8人を殺害したとして、被告の女=死刑判決、上告中=を逮捕、追送検したが、司法解剖されなかったケースが多く、殺人罪などで起訴されたのは4人だった。

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 こうした状況を防ぐためには、事件性がないと思われる場合もできる限り解剖を行う必要がある。

 しかし解剖される遺体は日本では極めて少ないのが現状だ。

 司法解剖は2017年に8,157件。調査法解剖(死因・身元調査法に基づいて行われる解剖)、行政解剖(監察医が行う解剖)の数は2,844件、9,582件である(死因究明等推進計画検討会(第1回)資料) 。病理解剖を合わせても、解剖される遺体は32,392件であり、全死者数に対する割合は2.4%でしかない。

 これは世界的にみてもかなり低い率だ。全死亡に対する解剖率は、ヨーロッパをみてみると、WHOヨーロッパの統計では、アルメニアは全ての死者の82.6%が解剖される(2018年)。ハンガリーでも全死者の35.8%が解剖される。その他の国も10−20%程度はある 。

 こうした状況では、本当の死因が分からず、隠された病気が分からないままになってしまうケース、そして犯罪などが見逃されてしまうケースが相当数あるのではないか

 作家の海堂尊氏は、こうした状況を「死因不明社会」と呼び、警鐘を鳴らしている 。

 今回のケースでも、医師たちがALS患者さんを死に至らしめた件で逮捕されていなければ、発覚しなかったと思われる。今回のケースは、死因不明社会が予想以上に広がり、深刻な状況であることを世間に知らしめた。死因不明の闇の扉、「パンドラの箱」を開けてしまったかもしれない。

余裕がない現場

 しかし、解剖を増やそうと思ってもマンパワーが足りない。病理医不足、法医学者の不足は深刻な状況だ。病理は2000人程度、法医解剖医に至っては150人程度しかいない。

 私も含め病理医は、手術材料や生検など、解剖以外の業務に追われて、とてもではないが、これ以上の解剖を行うと業務が破綻する。病理医よりはるかに多く解剖を行っている法医学の医師の方々も、極めて多忙な毎日を送っており、これ以上の解剖を行うのは厳しいという。

 さらに言えば、前回記事でも触れたが、日本人は解剖に抵抗がある人が多い。そして、解剖にかける予算も潤沢にあるとは言えない状況だ。予算も限られている。空調設備も整っておらず、ヒトモノカネいずれも足りない。

死亡時医学検索を

 こうした状況では、解剖にこだわる必要はない。解剖とともに、亡くなった人をCTやMRIなどで調べるオートプシー・イメージング(Ai;人工知能の略であるA Iと違って小文字のiで表記する)も活用するなど、「死亡時医学検索」(海堂尊氏)にヒトモノカネを投入していく必要があると思う。

 新型コロナウイルス感染症の蔓延で明らかになったように、日本の医療現場には余力がない。こうしたなか、死亡時医学検索を今以上に充実化させることは厳しいと思わざるを得ない。

 しかし、死因検索を放置し、犯罪を野放しにすることは人々の安全、安心にとって深刻な危機をもたらす。

 おりしも、2020年施行の死因究明等推進基本法に基づいて、推進計画が立てられようとしている。

厚生労働省は死亡した理由が分からない事例を減らそうと、死因究明を進める新しい計画案をまとめた。自治体ごとに差のある解剖件数を増やすためのマニュアルを策定することなどを盛り込んだ。新型コロナウイルス対応も明記。今月中の閣議決定をめざす。

死因究明推進へ新計画案 今月閣議決定 コロナ対応も

 死因究明体制の充実化は急務だ。読者の皆さんも、今以上に死因の究明に関心を持ってほしい。

#本記事は著者の本「病理医が明かす 死因のホント」をもとに考察した。