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本当につらい「ワンオペ」医療

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
医療の現場でも「ワンオペ」が蔓延している。(写真:アフロ)

「ワンオペ」は医療でも

「ワンオペ」が大きな社会問題となっている。「ワンオペ」とはワンオペレーションの略語。一人でなんでもこなすという仕事の形態を示す。牛丼チェーン店すき家での深夜一人勤務が問題視されたときに一般に知られるようになった。

最近では、育児に苦労するお母さんたちが「ワンオペ」なのではないかと言われている。

「ワンオペ育児」。母親たちの間で、そんな言葉が広まりつつあります。牛丼店などで従業員1人が全ての業務を切り盛りすることで問題になった「ワンオペ(ワンオペレーション)」が語源で、育児や家事を1人で担い、破綻(はたん)寸前の状況をあてはめています。

出典:「ワンオペ育児」専業主婦もブラック企業並み 夫も長時間労働で破綻寸前

こうしたワンオペ報道に深く頷く職業の人たちがいる。それは医師だ。

バンバンドラマ化もされており、高収入、やりがいで憧れの職業と言われる医師がどうして「ワンオペ」に苦しむ?その理由は…

意外に多い一人診療科

大学病院はさておき、市中の病院では、一人の医師しかいない診療科が結構ある。とくに、「マイナー」と呼ばれる、皮膚科、耳鼻科、眼科といった科だ。

しかし、一人の医師しかいないからと言って、必ずしも「ワンオペ」に陥るわけではない。大学病院などからの医師の派遣などの支援がある場合も多いからだ。学会出席なども、手術や外来の日程を調整すればなんとかなったりもする。

ところが、大学病院からの支援もままならない状態におかれると、途端に「ワンオペ」となる。ドラマやドキュメンタリーでも取り上げられる僻地医療は、本当に厳しい。たった一人の医師が、いつなんどきやってくるか分からない患者に対応しなければならない。

私が所属する病理診断科は、とくに「ワンオペ」が蔓延する科だ。いわゆる一人病理医という存在だ。

私も2年間、一人病理医というワンオペ医療を経験した。

一人病理医という「ワンオペ」医療の実態

平成26年(2014年)医師・歯科医師・薬剤師調査の概況によると、「従事する主たる診療科」が病理診断科である医師は1766人。医師全体のわずか0.6パーセントだ。

一方、平成26年(2014)医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況によれば、日本に病院(20床以上のベッドがある)は 8493 ある。うち、300床以上ある中規模以上の病院は1528。病理診断科を標ぼうする病院は784だ。

1766人の医師が1528の病院にいるとすれば、多くの病院が一人しか病理医がいない、いわゆる一人病理医、ということになる。実際、日本病理学会のアンケート調査(2009年)では、全体の24%が一人病理医だった。ということは、300床以上の病院でも、病理医がいない病院が多いということだ(詳細は拙稿「忘れられた医師不足~病理医不足」参照)。

私も2009年から2011年まで、兵庫県の赤穂市民病院で一人病理医として勤務した。

仕事量としては、決してこなせないわけではなかった。けれど、問題は仕事量ではなかったのだ。

まず、一人しかいないので、診断をダブルチェックしたり、誰かと議論することができない。単純なミスなども起こりうるが、誰かが指摘してくれることがない。もちろん、分からない症例は誰かに聴きに行くということはできるが、地理的にもそう簡単に行くことができない。

24時間、365日、連絡があれば解剖を行っていたので、遠出はなかなかできない。帰省もできず、元旦に大石神社(大石内蔵助を祭ってある)に一人詣でたのはほろ苦い思い出だ。全国的に病理医は不足しているので、休むときの支援もあまり期待できない。

急な体調不良のときは本当につらかった。日常の診断はとりあえず後回しにできるが、迅速診断(手術中に出された組織に対して、急速冷凍して標本を作製し診断すること)は休めない。発熱したときは、診断する部屋の床に登山用のマットを敷いて休み、標本ができたら診断して対応したこともある。

こうした「ワンオペ」状態は、なかなか周囲に理解されないこともある。当直業務が免除になっているのだから楽ではないか、と言われたりもした。一人で育児するお母さんが、夫から「どうせ一日中家にいるんだから楽だろ」と言われブチ切れする理由がよく分かる…

病院の名誉のために言っておくと、学会期間中、迅速診断をなしにすることを許してもらったりと、最大限の配慮をいただいていた。病院によっては、学会出席も簡単ではなく、専門医の維持、取得のための単位取得がままならないという一人病理医も多いと聞く。

日本病理学会のアンケート調査では、「仕事量(日常業務)が多く、疲れている」「病理医を増やしたいが、増やせない」、「休みがとれない(土日の剖検待機のため) 」「休めない(術中迅速診断、生検、手術業務のため) といった悩みを持つ病理医が多いことが明らかになっている。

ギリギリのマンパワーでは破たんする

昨今、医師をどれくらの数にすべきか、議論が続いているが、どうも議論は迷走しているようだ(参考;医師偏在対策の議論が暗礁 需給検討会の中止状態で、厳しい意見も)。

医師の数を考えるときには、単なる数が足りているというだけでは不十分だ。診療科に一人しかいないという状態は、診断、治療の質が落ちるとみるべきだ。過剰労働だけが問題ではないのだ。

一人にすべてを任せている状態では、その一人に不測の事態が発生したときに、業務が立ち行かなくなってしまう。そのうちAIが病理診断を行う時代も来るとは思うが、その前に医療は破たんしてしまうかもしれない。

医師を増やせば医療費が増える。遠隔で診断が出来るシステムの導入にも数千万円かかる。なんだか繰り返し言っているようだが、こうした状態を改善するには、国民の決断が必要になる。

本日12月14日は、赤穂義士討ち入りの日(赤穂では浪士ではなく義士という)。医師たちが厚生労働省に討ち入りする日も近い…なんてことがないことを切に願うが…

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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