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最強のチャンピオンの命を奪った敗血症性ショック

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
ボクシングの元チャンピオン、ムハマド・アリ氏が「敗血症性ショック」で死去した。(写真:ロイター/アフロ)

最強のチャンピオン逝く

元ヘビー級チャンピオン、ムハマド・アリ氏が6月3日死去した。享年74歳だった。

代理人によると、アリ氏は呼吸器系の病気でアリゾナ州フェニックスの病院に入院、当初容体は安定していたが悪化し、家族にみとられながら3日午後9時10分に亡くなった。

出典:日経新聞

私たちの世代(1971年生まれ)は現役時代のアリ氏の記憶が乏しい。アントニオ猪木氏との異種格闘技戦(とはいっても、1976年6月26日に行われたそうで、4歳の私がリアルタイムで見ているはずはない)の印象と、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という言葉が心に刻まれている。

御冥福お祈りする。

入院中のアリ氏を最後に死に至らしめたのは、「敗血症性ショック」だった。

死因は、敗血症性ショックだったと明らかになった。

出典:FNNニュース

敗血症性ショックとは何か

最強のチャンピオンの命を奪った「敗血症性ショック」とは何か。

敗血症は、菌血症や他の感染症に対する重篤な全身性の反応です。敗血症性ショックは敗血症によって引き起こされる低血圧症(ショック)で、生命にかかわります。

出典:メルクマニュアル

体内の病原体が増えて血液中や全身に広がると、血液中の水分が血管の外に漏れ出して血圧が低下する

どんな種類の感染症も原因となることがある

出典:MEDLEY

敗血症性ショックは、以下のような人がかかりやすいと言われる。

新生児

高齢者

妊婦

免疫力が低下した人

・免疫抑制療法を行っている

・がん、HIV感染症、免疫の病気がある

人工の医療機器が体内と外部をつないでいる状態

・静脈カテーテル

・尿道カテーテル

・人工呼吸器

出典:MEDLEY

アリ氏の場合も呼吸器の疾患で入院していたというから、おそらく人工呼吸器やカテーテルなどを外からつながれていたのだろう。つながれた管や呼吸器が菌の侵入経路になるのだ。

敗血症と闘う医療現場

私も何度かこのYahoo!ニュース個人の記事中で、この病気について触れてきた。がんや長期の入院の最後に敗血症性ショックが起こったことが、直接の死因になるケースが多いからだ。病理解剖(剖検)を行うと、長い間の病との闘いの最後に敗血症性ショックが起こったと考えられるケースにしばしば遭遇する。

厚生労働省の人口動態調査(2014年)では、敗血症で亡くなった人は1万2千人程度であり、このなかに敗血症性ショックも含まれる。決してまれな疾患ではない。

最近、敗血症および敗血症性ショックの診断基準が変わった。

敗血症の定義が変わった。「敗血症および敗血症性ショックの国際コンセンサス定義第3版(Sepsis-3)」が2016年2月22日,第45回米国集中治療医学会において報告され,JAMA誌にも同時掲載)されたのである。敗血症は集中治療室のみならず,一般病棟や救急外来,急性期病院以外の場においてもよく遭遇するため,定義・診断基準の改定内容を把握することは,多くの医療者にとって重要である。

出典:週刊医学界新聞記事「敗血症の新定義・診断基準を読み解く 2001年以来の改定で臨床・研究はどう変わるか」

診断基準の変更はあくまで医療者の問題であるが、元世界チャンピオンの命を奪う疾患に対し、医療現場が必死の闘いをしていることはご理解いただけるだろう。

最近気になることがある。

近年、抗生剤が効かない耐性菌の問題が、人類の今後を左右する深刻な課題として認識され始めている。

つい先日も、どの抗生剤も効かない菌が現れたことが大きく報道された。

今後重症者が入院する病院で、抗生剤が効かず、敗血症性ショックの治療に苦闘する可能性が高まっていると言える。

ところで、アリ氏のような著名人の死因がオープンになることは、今医療現場で何が問題になっているかを考えさせてくれるという意味で、私たちにとってとても重要なことだと思う。ご遺族にとってはお辛いことではあるが、死因を正確に知ることで、今後の医療をどうしていくべきか考えることができるし、医療にかかわりのない人たちも、誰にでも訪れる死について考えを深めることができる。

死をタブーにしすぎてはいけないのだ。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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