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有意義な人生を送りたければ「みんなの幸福」を目指すべきという研究

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 8月4日、Forbesに「「他人を幸せにするほど、人生の意義を見いだしやすくなる」という研究結果が発表」と題する記事が掲載された。

 クイーンズランド大学のブロディ・ダキンは、人生の意義を求める人びとは、犠牲の大きい、あるいは困難な、社会性のある行動をとることに魅力を感じていると述べている。ダキンによれば、人生の意義とは、生きる目的、重要性、一貫性という個人の感覚を組み合わせたものであるが、なかでも重要性は、他人の人生によい影響を及ぼす程度に応じて決まるのだという。

 犠牲や困難さと人生の意義との関係を調べるために、ダキンらは他人の幸せを高めるために被る痛みや努力、支出を伴なう一連の実験の中で、人びとの行動を観察した。その結果、意義を探す行為は他人の幸せを高めようとする意志と明確に相関しており、それが困難で痛みを伴うものであるほど、そこに意義を見出す可能性が高くなることが分かったようだ。ダキンによれば、それらの行動が意義深さを感じるのは、達成したときに達成感と自尊心につながるためだ。また、社会的つながりを促し、生きがいの源にもなるのだという。

 眉唾と感じる人のために、他の研究結果も紹介したい。ブリティッシュ・コロンビア大学のエリザベス・ダンらは、600人以上のアメリカ人を対象とした調査で、支出のなかで他人に金銭を使う割合が多いほど、幸福度が高まることを明らかにした。一方、自分のために使ったお金の額は、その人の幸福度全体には関係がなかったという。

 これまで人びとの幸福について何度か記事を書いたが、基本的にいいたかったのは同じことだ。幸せ=ハッピーな感情は、個人が瞬間的に感じるもので、主観的なものである。ダキンの言い方でいえば、幸せとは、喜びや楽しみといったポジティブな感情があり、ストレスや悲しみなどのネガティブな感情がほとんどない体験のことである。よって、自分本位で自己中心的な面が強いのが、幸せな感情である。

 一方で、ただ幸せに生きることを超えて、有意義な人生=本当の幸福を送ることは、社会性を発揮し、他者へと貢献することを意味する。それは、他者の不幸や悲しみに心を痛め、解決に向けて尽力することであるから、どうしても犠牲や困難を伴うのである。自分のもつ様々なリソースを他者へと向けることは、今日の自分の幸せのために用いないことを意味する。

 とはいえ、だからといって他者のために延々と自己犠牲の人生を歩むべきだと結論づけるのは早計である。もう少し、議論を展開することとしたい。

二種類の「不幸せ」な人

 すでに「都道府県別幸福度、平均年収が最低の沖縄が1位で最高の東京が46位の理由」の記事で述べたが、他者よりも金銭や地位などを所有することで得られる満足は、長続きしない。他者よりも多くを「もつこと」は、より多くをもつための努力を必要とする。しかも、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンがいうように、人が損をするときの痛みは、得をするときの嬉しさを上回る。「もつこと」による幸せを維持するのは大変である。

 持続的な満足は、健康や愛情、自主性、帰属意識、よい環境など、幸せな状態で「あること」によって得られる。それらは他者とは関係なく得られる満足であるが、ゆえにまた、他者の満足への貢献には目が向いていない。たしかに快適でハッピーではあるが、「もつこと」による幸せと同じく、自己の幸せの追求に基づいている。

 都道府県別幸福度の調査では、年収が最も高い東京や神奈川の人が「幸せ」だと感じたのは、ワースト2、3位である。ところで東京の人は、より多くを得るために仕事をしている人ばかりではない。沖縄のような、海や空の美しさ、見知った人間関係、家族愛の尊さによる幸せが充分に得られる場所から出てきた人もまた、少なからずいる。例えばそれは、自分の人生を全うしたい人であり、何らかのやり遂げたいことがあって出てきた人である。

 彼らは、成長や社会貢献のために困難を抱え、日々悩み、努力している。よって、彼らに「幸せ」かと聞くと、必ずしもそうとは答えない。そもそも人は、何かに献身するプロセスを歩んでいるうちは「幸せ」を感じることは少ない。それを感じるのは、何ごとかを達成し、振り返ってみて幸福感をかみしめたときである。かくして東京の人は、いまこの瞬間に「幸せ」を感じてはいない。「もつこと」に生きる人も自分の人生を志向する人も「幸せ」ではないのである。

他者とともに生きる

 気づいた人もいると思うが、筆者はアリストテレス以来の目的論を基礎として幸福とは何かを述べている。たしかにアリステレスは、知覚し、自らの存在を意識する生き方には、苦しみを伴うと述べている。

 アメリカ心理学会の元会長であるマーティン・セリグマンは、幸福とは何かと考えるために、楽しい人生、よい人生、有意義な人生を区別した。簡潔にいえば、楽しい人生は快による人生、よい人生とは強みを活かして没頭した状態に至る人生、そして有意義な人生は、強みを活かし、自分を超えた大きなものへと献身する人生である。

 有意義な人生とは、言葉の通り意義のある活動に従事する人生である。したがって、貢献すべき他者とそうでない他者を見分けることもまた必要となる(ギブ&テイク)。悪人はお人よしの集団に近づき、お人よしから奪っていくものだが、奪われたものは本来、善いことのために使うべきであった。悪しき行いのために犠牲や痛みを感じることなど、まったく有意義ではない。善い行いを望む人に貢献することが、有意義な人生の道である。

 金銭を他者貢献の道具と考えるとき、増やすことでより他者に貢献できるようになる。そして人は、自己の強みと他者の強みとを掛け合わせ、より大きな成果を上げることができる。かくして善人に貢献することは、分け合うパイを増やすことにつながる。それは、一時的な犠牲や痛みを伴うけれども、より大きな他者貢献の資源となって返ってくるのである。カーネマンの有名な研究で、アメリカでは年収7万5千ドルを超えると、その後は幸福度には影響しないという結果があるが、それ自体には余剰分の金銭の用途は考慮されていない。

 結論として、今日の困難や痛み、苦しみは、明日の有意義な人生に貢献する限りにおいて、受け入れるべきなのである。誰かに貢献する人は、他者からの貢献にも目が向くようになる。与えられた喜びをかみしめ、感謝を覚えて、さらに大きな幸福感を得られる。かくして有意義な人生のためには、善良なる他者への貢献から始めたほうがよい。あるいは、手を取り合って互いの幸福に寄与しつつ、世の中全体に幸福を振りまいていけばよいのではないか。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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