シリコンバレーは時代遅れ?技術よりも「創造のエートス」に注目せよ

(写真:ロイター/アフロ)

 4月29日、MITテクノロジーレビューに「シリコンバレー「終わりの始まり」説は信用できるか」と題する記事が掲載された。

 記事の冒頭には、次のように書かれている。「シリコンバレーはソーシャルメディアや機械学習といった技術で「世界の技術の中心」であり続けている。しかし今のところ、機械学習に次ぐ、シリコンバレーの成長をけん引する技術は見当たらない。いよいよシリコンバレーは終わりを迎えるのか。あるいは過去に何度もあったように、思わぬ幸運が訪れるのか。」

 ざっくりと要約すると、こうである。実のところ経済復興は、幸運によるところが大きい。復興を果たした都市には、未来学者が口にする理屈よりも、もっともな理由が集まっているものだ。1970年代より、シリコンバレーは世界のイノベーションの中心地という地位を維持しているが、今日までその地位を維持できているのは、明らかに一連の幸運によるものである。ウィリアム・ショックレーがパロアルトに移り、AT&Tがトランジスタ技術のライセンス提供を始めたことを契機にコンピューターが爆発的に普及し始め、変化の波が次々と押し寄せるようになったのである。

 実は、生活や仕事のあり方を一変させるような壮大で劇的なコンセプトは、シリコンバレーからはそれほど多くは生まれていない。とはいえシリコンバレーは、製品工学で繁栄しており、儲けになりそうなアイディアを見出すことには長けている。そしてベンチャーキャピタルの力によって、新規スタートアップには効率よく資金が提供されてきたのである。このような傾向は、ムーアの法則が終焉を迎えたことで、失速していった。シリコンバレーの活力へのタダ乗りから、再び人間の創意工夫によって、新たな創造を生み出す時がやってきたのである(要約は以上)。

 それでは「思わぬ幸運」は、いかなる場合に生じるのか。それが過去に何度もあったというのならば、他の地域と比べて幸運が生じやすい「もっともな理由」とは、何であろうか。以下の通り、述べていきたい。

セレンディピティと創造性

 記事にあるように、シリコンバレーの不安要素の一つには、才能ある人材を輸入する能力が衰えてきたことが挙げられる。かねてシリコンバレーの雰囲気に引き寄せられるように、世界中から優秀な人材が集まってきた。だが、次なるビッグビジネスの波を生み出すものが何なのかについて、人びとの間で一致する見解はない。それゆえシリコンバレーに向けた期待は、これから縮小していくとみる向きもあるようだ。

 しかしながら、かつてのイノベーションは、いずれも誰それの計画によって生じたものではない。たとえ練り上げられた構想やビジョンがあったとしても、その細部にわたる具体的な姿までは、誰にも描くことはできないはずである。ピーター・ドラッカーは、未来は予想できないといったが、それは当然だ。なぜなら未来をつくり上げる技術は、それを用いる者が意図的に活用することで、現実において有用性を帯びるからである。そして人間の意図やアイディアは、突如として生まれてくるものである。

 それを「思わぬ幸運」と表現することもできるであろう。専門的な言葉を用いれば、そのような幸運ともいえる偶然の出会いや発見のことを、セレンディピティという。はっきりいえば、実のところセレンディピティなどは、洞窟にでも閉じこもっていない限りは、たえず生じている。しかるに、少なからぬ人たちは、それらをイノベーションの機会として活用していない。偶然の出会いや発見は、何らかの意味づけを行わないことには、創造に向けて活用することができないのである。

 ハーバード大学のブライアン・リトルは、創造的な人は事実そのものではなく、事実に内在する意味や意義にこそ、興味を示すのだと述べている。ある事実や現象を、人間がいかに捉えるかが、創造の成否を決めるのである。そうであれば重要なのは、人びとが物事に対して自由に意味づけを行い、試行錯誤によって有用性を発見するような文化を育むことであろう。失敗の繰り返しによる学習、より肯定的な言葉を用いれば、テスト&ラーンによって創造のプロセスを進めていく姿勢が、そこでは必要となる。

 したがってまた、単にシリコンバレーにいれば創造が生まれるわけではない。スピーディなテストと学習のサイクルを実際に回して、現実における有用性について「わかる」状態にまでもっていく活動が、必要なのである。とりわけ、失敗の結果として生じたものを利用することは、新たな創造のためには有効である。ドラッカーは「予期せぬ失敗と成功」がイノベーションの最大の機会だと述べた。レントゲンやプラスチック、ポストイットなどの発明は「予期せぬ失敗と成功」によって生じている。偶然によって生み出されたものを、人間が意味づけたことによって、現実において有用性をもつに至ったのである。

 活用できるすべての技術は、新旧にかかわらず、既存の技術である。そして技術は、たしかに偶然による発見のなかから生じる傾向がある。ところで哲学者のハイデガーによれば、技術 techne とは、覆いをとってあらわにする働きのことである。すなわち、内在する真理をあらわにするものが、技術なのである。かくして技術は、発見 discover の手段となる。われわれ自身やわれわれの社会の「覆いを取り除く discover」ために用いられるとき、新たな発見となるのである。

創造のエートスを育む

 短絡的に次なる技術を追い求めるよりも、それを生み出し、活用するためのエートスを育むことにこそ、注力しなければならない。

 エートスとは、人びとに共有された意識や精神、あるいは価値規範のことである。また、マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、一定の倫理的価値の実現に向けて、人々を内面から動かす力のことである。シリコンバレーには、たとえ制度化されていなくとも、創造のためのエートスが存在していた。停滞ではなく創造が、その地における共通のエートスなのである。

 哲学者の島田燁子によれば、ギリシャ語におけるエートス ethos は人間の住む場所を意味しており、「住み慣れた場所」を原義としている。転じて、個人や集団が形成する特有の雰囲気、性格、習性を意味するようになり、やがて、ある集団社会に属する慣習や習俗を指す言葉として用いられるようになったのだという。エートスは、慣習や習俗として育まれるのであり、よって今後も変化していく。

 エートスを共有できない者は、シリコンバレーに溶け込むことができない。しかし、かねてシリコンバレーには勝ち馬に乗ろうとして、様々な人が集まってきた。何年もの間、わが国の企業もまたシリコンバレーに進出し、満足のいく成果が挙げられないという状況が指摘されてきた。シリコンバレー全体に、そのような企業や人物が支配的となったときには、活力が減退し、創造のエートスは失われていくであろう。

 一つの成長ラインが終わりを迎えたときには、タダ乗りしようとする者を意識的に排除しなければならない。ゆえにまた、これからシリコンバレーに進出する際には、自らの収益ばかり追い求めるのではなく、シリコンバレーのために貢献できるよう努めることが重要になる。自らのもつ強みをそこに投入し、文化や雰囲気、エートスを育むよう働きかけるとき、協業する者がみな利益を享受するような、新たなビジネスが生み出される。