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生産性を上げるために、会議中は別のことを考えよう

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 4月13日、ZUU Onlineに「日本人の9割は「生産性」を勘違いしている」と題する記事が掲載された。日本IBMで組織行動変革や人材育成などを担う、河野英太郎氏の記事である。

 記事の要約はこうだ。どの企業でも、短い時間で優れた成果を出すために「生産性を上げろ!」と一様に叫んでいる。しかし、生産性を正しく解釈しなければ、逆効果といえよう。生産性を上げるには、

1 時間を固定して、より多くの成果を上げる

2 成果を固定して、より少ない時間で達成する 

のいずれかが必要だが、1の考え方は、必死に働いている社員をさらにムチ打つようなものであり、モチベーションは減退する。よって2の考え方が必要であり、この場合余った時間は別のことに使えるようになるだろう。

 まったく同感だ。社内には非合理な業務が蔓延しているが、考え方を変えなければそれに気づけない。もっと一生懸命働く、ではなく、もっとうまくやる方法を考える、が正しいのである。ドラッカーの言うように「生産性とは、最小の努力で最大の成果を得るための、生産要素間のバランスのことである。」成果のための努力は、少ないほうがよい。

 よって、一つひとつの仕事が目的に対して合理的かどうかを考え、非合理的な仕事を極限まで排除することが大切だと、河野氏は説く。そのために普段から「なくしたい仕事リスト」をつくり、意識づけを行うとよいだろう。河野氏の見解のよいところは、リストの仕事が本当になくしてよいのかを、人に話してみようと説いている点だ。一見必要なさそうな仕事でも、なくせなかった理由があるのかもしれない。あるいは、相手が削減の可能性に気づけなかっただけかもしれないのだ。

 生産性を向上させるには、まずは無駄を削減することである。そして余った時間は、より価値のある仕事のために使うべきだ。とはいえ現状「日本人の9割は生産性を勘違いしている」のだから、それらは理想論で終わってしまう。非合理な状態に満足している人たちのせいで、合理性を追求する人のモチベーションは、減退していくばかりである。

 成果が上がらない環境で孤軍奮闘していると、いずれ燃え尽きる。そうならないための解決方法は、ひとまず合理性の追求を止めてしまうことだ。

効率化と価値化

 生産性の向上というと、多くの人は、一定時間で上げられる生産量を増やすことを目指そうとする。しかし本来、生産性とは、時間あたりの生産価値のことである。1の価値があるものを100生産することと、10の価値があるものを10生産することは、いずれも100の生産価値が生じた点で、同じである。よって、高い価値をもつものを生産したほうが、楽に働くことができる。

 日本には、近代的な経営を追求してきた企業と、そうでない企業がある。前者においては、すでに合理化は行き過ぎている感があるが、後者はまだまだ合理化できていない。よって生産性向上のための施策は、両者を一緒くたにして述べるわけにはいかない。あくまでも企業ごとに事情は異なることを踏まえて考えなければならない。

 合理化ないし効率化が徹底されてきた企業では、もはや一定時間内の生産量は上がらない。無理して上げようとすれば、社員が疲弊するか、組織運営において本来必要であったものまで削ってしまうことになる。解決方法については「効率を目指すと生産性が低くなる」の中ですでに述べた。重要なことは、トライアル&エラーを推奨して、より高い価値を創造する仕組みをつくることである。

 より問題が大きいのは、合理性を追求していない企業である。それらの企業は、いままで通りのやり方を継続することで、秩序の安定を目指そうとする。そのような企業で合理性を追求しようとするとどうなるか。空気が読めないヤツ、秩序を乱そうとするヤツとみなされ、つまはじきになるだろう。最終的に、組織に順応するか、より合理的に働ける企業に転職するかの、どちらかになる。

 オススメはもちろん、転職である。しかし何らかの事情により、組織に残ることを選択する人もいる。彼らは、組織のやり方に順応することを余儀なくされよう。しかるに、企業間には競争が存在する。同じものを高いコストで生産し続けていれば、立ち行かなくなることは必定である。

 だとすれば、彼らのとるべき方法は一つである。それは、あたかも組織のやり方に順応しているように見せかけて、実際には、より高い価値を効率的に生産するための時間を確保することだ。すなわち、勝手に自分の仕事を効率化し、余った時間はアイディア創出のために使うのである。企業が窮地に陥ったときには、その蓄積が役に立つ。それが、非合理的な企業を救うための最良の方法といえよう。

会議中は別のことを考えよう

 日本企業の生産性が上がらない理由の一つとして、無駄な会議が挙げられる。日常的に仕事に追い立てられているのに、不必要な会議に時間をとられるのは、苦痛でしかない。やる気が削がれ、長引くばかりの会議にさらに時間を費やさないために、余計なことは口にしないよう努めるようになる。

 思考停止の状態が習慣化すれば、自らもまた非生産的な人間へと変わってしまう。堕落の道から逃れるためには、会議の時間を、生産的な時間へと変えるしかない。環境を変えるのではない。自らの姿勢を変えるのだ。どうせ生産性のない会議なのだから、真面目に向き合うことに意味はなかろう。さも聞いているかのようなふりをして、自身にとって意味のあること、創造的なことを考えたほうがよいのである。

 実のところ、これはアインシュタインの働き方である。彼は特許事務所の事務員だったが、ルーチンワークをしながら相対性理論を築き上げた。思考を要しない仕事も、好きなことを考える余裕と解釈すれば、有効活用することができるだろう。

 メモを取ったりすると、なおよい。はたからは、真剣に話を聞いているように見えるからである。周囲からの評価が上がれば、自分のアイディアに耳を傾けてくれる人も増えるかもしれない。そうなったときには、普段から書き貯めておいたアイディアを存分に披露しよう。

 無駄なことを無駄だと言ってしまえば、無駄なことしかできない人たちの反感を買うだけである。周囲を巻き込めないときには、一人で勝手に進めたほうがよいのだ。会議中は、別のことを考えよう。ただし凛々しい顔つきで。ビジネスにおいては、人からどう思われるかは、きわめて重要な問題なのだから。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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