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安定した仕事を求めると、心が不安定になる

遠藤司SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師
(写真:アフロ)

 1月26日、ICT教育ニュースに「学校以外の教育費は年々増加で平均支出は1万4260円、ソニー生命調べ」と題する記事が掲載された。ソニー生命が毎年行っている「子どもの教育資金に関する調査」についての記事だ。

 最近の親はなかなか教育熱心で、3人に2人の親が、教育費の多さが子供の学力や学歴を左右すると考えているようである。背景には学校教育への信頼のなさもあるのだろうが、おかげで学校外における教育費は年々増加している。小学生でも、およそ半数が塾に通っているのが現状である。カネのあるなしが子供の将来を左右するというのはよろしくないし、また教育費のせいで少子化が進んでいるのは明らかである。この傾向は早急に食い止めたほうがよい。

 いずれにせよ、教育熱心であること自体はよいことだ。人生を切り開く力とは、「知」の力にほかならない。調査では、子供に目指してほしい人物像として、努力して自分の夢を実現しているイチロー、信念を持ってやり遂げる行動力をもつ坂本龍馬などが挙げられている。前向きでよい。

 しかしながら、この調査にはオチがあって面白い。最後に子どもに就いてほしい職業を聞くと、公務員がダントツの一位。理由は、将来安定しているから、とのことである。イチローや坂本龍馬のイメージと、安定を求める志向とでは、正反対である。ソニー生命のセンスが光る。

 ようするにこういうことだろう。親は子供の将来に不安をもち、それから理想的な人物になってほしいと思っているから、よき教育を施す。しかし、日本の未来は行き詰まっていて、イチローや龍馬は理想でしかないのだから、現実的には安定した公務員になってもらえればよい。そうすれば、明日の飯にはありつけるのだから、そのほうがよいのである。

 べつに親を責めているわけではない。不安が頭をもたげると、目下の不安の原因を取り除くことを最優先してしまうものである。原因は、目的とは対極にある。教育が不安の原因を取り除くためになされれば、その目的は曖昧になってしまうのである。

安定した仕事、不安定な心

 子供の将来を案じるのであれば、子供に安定を求めて生きるよう薦めないことだ。なぜなら、安定した仕事を求めるならば、結果として、心が不安定になってしまうからである。つまらない人生を送らないためにも、よい心もちで生きることが望まれる。

 まず言っておきたいことだが、公務員という職業はない。あるのは、警察官、公立学校教員、自衛官、市役所職員である。公務員とは、公務を行う人という意味でしかなく、世の中には様々な公務があり、いずれも目指すものが異なる。ようするに、安定しているから公務員と言ってしまう親は、仕事を通してなされる自己実現には、思い至ってはいないのである。

 安定とは、落ち着いていて、変化の少ないことである。ゆえに安定を求めるということは、例えば仕事において失敗しないように努めることを意味する。失敗しないためには、失敗の余地のないことをやっていればよい。やり慣れたことをこなし、新しいことには手を出さなければよいのである。まったく挑戦しなければ、目下の安定は手に入る。

 しかしながら、新しい経験によってしか、成長あるいは新たな「知」を獲得することはできない。機械のように目の前の仕事を捌くような仕事では、成長することはできないのである。世の中は、新しいことが次々と現れてくる。それらに対応する力を育んでいかなければ、いずれお払い箱になるだけだ。すなわち、目下の安定を求める姿勢、成長を先送りする姿勢は、必然的に将来の不安定を招くのである。

 ひとたび成長を先送りする姿勢を身に着けてしまえば、悪循環に陥ってしまう。次々と現れる未知のものに対して不安を覚えるあまり、どうにかやり過ごそうと、目を覆いながら、じっとその場で耐えることになる。そうすると、社会の要請からさらにかけ離れていく。ついには、いずれなくなることはわかっているのに、既存の仕事にしがみつくしかなくなるのである。より強い不安を覚えるようになり、心の健康は脅かされていく。

 安定した人生を送りたければ、安定のために仕事を選んではならない。変化を目指し、心を躍動させ、成長する仕事を選ぶべきである。イチローや坂本龍馬のような、自らの行為によって未来を切り開く姿勢こそ、心身ともに安定した人生を送るためには必要である。

動きだすことができない人のために

 経済学者のウィリアム・サミュエルソンとリチャード・ゼックハウザーは、人は変化を嫌い、現状を維持する傾向があると述べ、これを「現状維持バイアス」と名付けた。基本的に人は、損をすることに対して不安を覚える。自分の行為の結果、選択の結果が損を招くかもしれないとすれば、行為そのものを止めるのである。何かを失うことを避けるあまり、できるだけ現状を維持しようとするのが、人間の性である。

 したがって、脅威をつきつけ、無理に行動を促そうとすれば、失敗に終わる。北風と太陽の話のように、強風から身を守ろうと、さらにしっかりと上着を羽織ってしまうのである。人は、できない理由はいくらでも思いつくことができる。それら一つひとつを取り除いていくことは、不可能に近い。

 そうであるから人を促すには、強制ではなく、自発性に任せなければならない。行為の結果に対して期待を持たせ、少し頑張れば達成できそうな目標を与えてやることである。スタンフォード大学のアルバート・バンデューラ教授は、小さな達成を積み重ねることで、行為の結果に対する不安を取り除き、自分なら現状を変えられると思えるようになると述べている。いきなり大きな目標に挑戦させるのではなく、子供がやってみてもいいかなと思えるくらいの、おもしろくて、着実に力のつく挑戦が望ましい。成長とはプロセスである。

 大人はどうすればよいのか。子供が挑戦したことを称賛し、励まし、より成果を上げられるように助言を与えるのである。答えを示すのではない。よき考え方を示し、結論を導き出せるよう、具体的に促してやるのである。ミシガン大学のクリストファー・ピーターソン教授のいうように、目標を設定する際には、それを達成するためのプランも同時に提示されなければならない。不安に陥らないようにするためには、成功する方法を知っている人によるガイドが必要である。

 やってきた経験が、自信になる。自信があれば、多少の困難があっても、乗り越えてみようと思えるようになる。そういう心もちが、イチローや坂本龍馬のような人物をつくり上げるのである。だから大人は、子供に安定を求めてはならない。不安定な世の中を切り開く姿勢と力を育むことができるよう、挑戦の機会を与えてやるべきである。塾に行くとか、高い教育費を捻出するということの前に、勝手に成長するためのマインドを育むことに目を向けたほうがよさそうである。

SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。多数の企業の顧問やフェローを務め、企業や団体への経営支援、新規事業開発等に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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