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「40代、35%が貯蓄ゼロ」でも悲観することはない理由

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

4月29日、ライブドアニュースに「40代の平均貯蓄額588万円!年収別データ【最新版】」と題する記事が掲載された。

「40代は貯蓄ゼロ世帯が35%も」という中見出しから始まっており、ネット上では議論が活発化している。論調としては、日本終了とか、老後がヤバイ!といったものが大半である。

筆者はこの結果に、別にそう悲観はしていない。人間、働いてさえいれば、少なくとも生きてはいける。働けなくなったらどうするのかと問われれば、そこは日本。様々なセーフティネットが敷かれているから、おそらく大丈夫だろう。

何を言っているのか。貯金が500万あるか1000万あるかといったことは、この世の中を生きていくには、さほど意味がないのである。カネがあるかどうかといったことはひとまず脇に追いやって、もう少しポジティブに生きたほうが、ストレスも貯まらないし、幸せになれるはずである。かといって散財せよ、というわけではないが。

悲観論ばかりでは、我が国の景気は悪くなるばかりだ。景気が悪くなれば、もっとひもじい思いをすることになる。将来のためにも、少し冷静に議論を進めてみようと思う。

たとえ貯金が1000万円あったとしても楽観はできない

まずは記事から、40代の年収別に貯蓄ゼロ世帯の割合と、平均を抜き出してみよう。

年収300万円未満  貯蓄ゼロ50%、平均225万円

年収300万円~500万円未満  貯蓄ゼロ42.2%、平均423万円

年収500万円~750万円未満  貯蓄ゼロ27.4%、平均637万円

年収750万円~1000万円未満  貯蓄ゼロ16.2%、平均1069万円

年収1000万円~1200万円未満  貯蓄ゼロ26.7%、平均1067万円

年収1200万円以上  貯蓄ゼロ0%、平均23647万円

(家計の金融行動に関する世論調査2016(2人以上世帯調査)より)

記事にもあるように、この調査における貯蓄(金融資産)は「普通預金か定期預金かにかかわらず、将来に備えて蓄えている部分」と定義されている。よって、当面の生活費や、何らかの理由で使う予定である場合、貯蓄には含まれない。

上記をみればわかるように、年収がいくらあったとしても、「貯蓄」がゼロの世帯は一定数はいるのである。よってここでの議論は、貧困層がいることが問題だ、というものが中心にはならない。貯蓄はしたほうがよいかどうか、できるだけ貯め込んだほうがよいかどうか、といったことが問題になるはずである。

元データによれば、貯蓄(金融資産)の保有目的は、老後の生活資金が70.5%とある。また、老後の生活について「心配である」と回答した世帯は、83.4%となる。理由としては、年金や保険が十分ではないからが73.4%、十分な金融資産がないからは69.9%である。みんな老後が心配だ。

いくら貯蓄があれば老後の心配は解消されるのだろうか。例えば年収1200万円以上の世帯には、平均1067万円の貯蓄がある。数字をみれば、お金持ちであり、より安定した生活を保証されているようにみえる。しかしながら、今後仕事がなくなったとき、1000万円の貯蓄で何年生きることができるだろうか。生活レベルを極力落としたとしても(金持ちは金持ちの水準に慣れているが)、まず5年は持たないだろう。老後はまったく安定していない。

人生80年。40代の人が仕事をなくしたとき、50歳からの30年間を生きるには、年に200万円しか使わなかったとしても6000万円が必要になるのである。そのような蓄えはサラリーマンには現実的ではない。そうであるから、生活を切り詰めてまで貯金を貯め込むことには、あまり意味はないのである。爪に火を灯す思いをして200万円を貯め、せいぜい1年延命することを目指す人生。筆者には充実しているとは思えない。

いつまでも働けるように力をつけ続ける

貯め込んだカネは、使えばなくなる。なくなれば生きていくことはできない。よって、生きている限り人は、明日のためのカネを稼ぎ続けなければならないことになる。

再び先の元データを参照すれば、老後の生活費の収入源については、公的年金が 79.2%となっている。しかし、老後の年金を当てにするという考え、システムが、そもそも非現実的である。過去に「高齢化問題を解決するいちばん簡単な方法は「高齢者」をなくすこと」で述べたが、我が国においていわゆる定年制が設けられるようになった1920年から30年のあたり、定年は55歳であったが、平均寿命は男女とも45歳に満たなかった。つまりその頃は、ほとんど死ぬ少し前までは、つまり働ける間は働いていたのである。

ようするに、当時の状況と比較すれば、現在の定年と平均寿命とは、逆転現象が生じているのである。日本人の健康寿命がすでに70歳を超えていることからも、年金の支給開始年齢は大きく引き上げられることになるだろう。

働きたくないでござると言ったところで、働くしかない。あるいはこの、働くしかないという考えがそもそもの原因をつくり上げているように思われる。詳しくはどこかで述べるが、近代以降の産業は、人を全体の歯車のうちに組み入れようとする試みのなかで発展してきた。無目的で、心と身体を切り離して、機械的に作業を続ける「しかない」と思うならば、働きたくないと思うに決まっているだろう。

しかしよく考えてほしい。仕事とは、誰かによいものを提供して、喜んでもらうことで、お金をもらうことである。人を喜ばせればいい気分になれる。しかもお金までもらえるというのだから、仕事は人生を充実させる最良の手段の一つである。自分はこれからいかなる方法で人を喜ばせることができるだろうか。考えるだけでワクワクしてくる。

いま手元にある金を貯めるという発想から、それを用いて稼げる自分になるという発想にシフトしなければならない。自己への投資ということである。投資とは、将来のカネのためにいまあるカネを投入することなのだから、やみくもに投資をしてはならない。将来の自分がカネを得るための投資をすべきである。あるいは、ビジネスとはやりたいことをやることなのだから、将来の自分がやりたいことで稼ぐためにこそ、投資すべきである。

ここにおいて、一定の資金が必要になる。新たに教育を受けるならば、学費が必要だ。しかしそれは、ウン百万円という金額にはならないだろう。個人レベルでも国家レベルでも、老後の安定のための貯蓄は不可能であることが明らかとなった。しかし、明日の仕事のための原資としての貯蓄は、頑張れば可能である。力をつけ、働くだけ働いて、本当に働けなくなったときには、向こう10年を暮らすお金くらいは貯まっているだろう。

力があれば、悲観せずとも済む。我々が得るべきものは、より多くのカネよりも、よりよい力、生産する力、稼ぐ力である。イソップ童話の『アリとキリギリス』の話は、よき教訓である。しかしキリギリスは、ミュージシャンになれなかったから、冬を越せなかった。だとすればキリギリスは、育むべき能力を間違えたのであって、ようするに戦略ミスである。

成長のためには、次なる困難をよく洞察し、その中を生き抜く力を身につけることに集中しなければならない。冬は貯蓄で乗りきることができるほどには短くない。我々は賢く、勤勉で、冬に稼ぐことのできるキリギリスになるべきである。

最後に、この記事を書いた本当の理由を述べておきたい。40代はいわゆる氷河期世代である。彼らは新卒時代に、満足の行く就職ができなかった世代である。筆者もギリギリ氷河期に含まれる時代に学生生活を送っていたから、厳しい時代だった実感がある。しかしだからといって、政府や社会のせいにして生きるという人生はバカげている。転職もできるし、世の中に必要とされる能力を身につけさえすれば、より高待遇の仕事に就くことができる。起業も可能だ。不幸から逃れる機会は開かれている。

だから、頑張ってほしい。貯金などあってもなくても変わらない。ぐっとこらえて、明日を生きるための力をつけ、よりよい人生を送るためにこれからも切磋琢磨していこうではないか。結局のところ、自分の人生を切り拓くのは自分自身なのだから。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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