Yahoo!ニュース

漫画を読むと頭がよくなる、人工知能よりは:知性と感性を高める

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

昨日紹介したMITテクノロジーレビューから、記事を一つ取り上げることにする。

人工知能の能力の発展は、様々な領域で語られている。その多くが、人工知能が人間の能力を凌駕したという記事だ。コンピューターの得意そうなロジカルな思考がとくに求められる将棋やチェスの分野のみならず、創造性が求められる囲碁の世界でもプロを打ち負かしたというのだから、われわれ人間は戦々恐々とするばかりである。

しかし、ここに来て、人間もまだ人工知能には負けていないことを明らかにする記事が出た。11月24日付のMITテクノロジーレビュー「マンガが読めるのは人間だけ 人工知能にはまだ早かった」と題する記事だ。

無料登録会員だと月に10本しか読めないので、もしかしたらアクセスできない人もいるかもしれない。よってここで、筆者の補足を入れながら、簡単にまとめることにしたい。

マンガが読めるのは人間だけ

メリーランド大学カレッジパーク校のモヒト・リヤーらの研究によると、人工知能と人間とでは、人間のほうがずいぶんと漫画を理解する能力が高いようである。

研究チームは、漫画のコマの連続を人工知能に見せ、次にどのコマが来るのかを選択肢から予測する実験を行った。結果は、人間が80%を超える確率で次にくる絵やテキストを予測できたのに対し、人工知能はボロボロだったという。

漫画は、文字と絵を結びつけることによってストーリーを描き出している。コマは一つのコマで全体であって、それらは個々の部分の集合ではない。さらに、コマとコマが移り変わることで、より大きな全体が描かれる。「コマからコマへと移るときは、読み手にはかなりの推測と補完が求められる」のである。漫画を読む際、人間はつねに全体の意味づけを行う必要がある。

漫画における意味づけは、作者と読者とのコミュニケーションによって成り立つ。作者がページの裏に隠しているものを察し、解釈し、理解しなければ、漫画を読むことはできない。つまりこういってよければ、作家は読者の想像力に依存しているのである。

書かれたものを読むとき、その対象はつねに不完全である。それを完全なものとして知覚するべく、欠落した部分を埋めようとする人間の傾向を「閉合」という。記事によると、このような複雑な心理学的作用を、いまのところ人工知能は持っていない。

漫画を理解するのは難しいのである。人間の表現したものには、ある種の深みがある。『ジョジョの奇妙な冒険』などは、作者である荒木飛呂彦氏の脳内の表出物であるから、とりわけ認識能力が試される。たまに「6部が一番つまらない」などとのたまう読者がいるが、本当にもうわかっていない。エンポリオをみよ。あれは荒木氏が、意思とは裏腹に、引っ張られるようになって、泣きながら描いた作品なのである。というよりも、ジョジョは何部が好きとか、そういう作品ではない。ジョジョはジョジョであって、ひとつの全体である。

ようするに人工知能には、カルチャーがわからないのである。カルチャーは「耕す」という意味の言葉である。耕すということは、単純に構築するということとは異なる。そこには含意がある。そしてまた、カルチャーという英語は「心を耕すこと」の意味をもつ。ゆえにそれは、単なる知識の寄せ集め、構造以上のものを意味する。教養、洗練されること、そして文化を意味する。

人間は、教養をもち、文化のうちにあるという点で、コンテクストを理解できるように育まれてきた。人工知能は経験が浅い。人間は、いまなお負けてはいないのである。

漫画を読もう、おもしろいよ

しかしながら、以前ライブドアニュースで目にした記事によると、どうやら最近の大学生は、あまり漫画を読まないようである

大学生277人に漫画を読む頻度を質問すると、まったく読まない学生は35.4%であった。また意識の面から、漫画を読むことに積極的かどうかについて質問すると、あまり読まない人、ほとんど読まない人、まったく読まない人の合算として、51.3%が漫画を読むことには積極的ではないという結果が出た。いったい大学生が漫画を読まないで、何を読んでいるというのか。学生の本分は何だと思っているのか。

昔は漫画ばかり読んでいては、大人から怒られた。よって筆者も、漫画を読むことには罪悪感をいだき、専門書なども漫画と同じくらいたくさん読むように心がけてきた。しかし、筆者の人間性を形成したのは、もしかしたら漫画かもしれないと思うようになってきた。たしかに漫画は、私たちの心をかき乱す。そこから何らかのものを受け取った私たちは、自らのうちにカルチャーを育んできたのだと信じている。

これから人工知能はより多くの知識を身に着け、「知性」を育むようになる。結果、もしも人工知能がカルチャーを理解するようになれば、われわれに響くストーリーを描けるようになるかもしれない。しかし、それでもなお人間は、人間らしさをもち続けなければならない。人間としての矜持を維持するために、知性を育み、想像力を働かせなければならない。想像するだけでなく、実際に創造しなければならない。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

遠藤司の最近の記事