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Huawei総裁はなぜ100人リストから排除されたのか?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
Huawei(写真:ロイター/アフロ)

 12月18日、人民大会堂で改革開放に貢献した100人が表彰されたが、その中に「最も貢献したはずの」Huawei総裁・任正非氏の姿はなかった。任正非と中国政府との距離の取り方を考察する。

◆任正非と表彰された100人との違いはどこにあるのか?

 12月18日、北京にある人民大会堂で改革開放40周年記念大会が開催され、この40年間、改革開放に貢献した100人の傑出人物が表彰を受けた。100人は、「民間企業、科学者、教員、医者、農民工……」など、多岐にわたる分野から選ばれており、民間企業はさらにインターネット、自動車、ハイテク産業……など、いくつかの細分化した分野から各代表を選んでいる。

 その中に、まさに改革開放とともに歩んできて、典型的な小さな企業から国際的に一、二を争う大企業にまで成長したHuawei(華為技術)の任正非総裁が入っていないことは国内外の中国人を驚かせた。

 では、なぜ任正非は選に漏れたのだろうか?

 表彰された人物と任正非との違いを、数例を取って、まずは「中国共産党あるいは中国政府に関する肩書との関係」において比較してみよう。

●レノボ(聯想)の柳傳志:第16回党大会(2002年)・第17回党大会(2007年)代表、第9期(1998年)・第10期(2003年)・第11期(2008年)全人代代表など。

●テンセントの馬化騰:現役の全人代代表、現役の中華青年聯合会(中国共産主義青年団の組織の一つ)副主席など。

●バイドゥ(百度)の李彦宏:第12期全国政治協商会議(2013年~2018年)代表、第11期中華全国工商業連合会(2012年)副主席、第8期北京市科学技術協会(2018年)副主席など。

●GEELY(吉利集団)の李書福:現役の全人代代表、第11期(2008年~2013年)・第12期(2013年~2018年)全国政治協商会議代表、現役の浙江省工商聯副主席など。

★Huawei(華為)の任正非: 第12回党大会代表(1982年~1987年)。それ以降なし。  

 

 このように任正非以外は、何らかの形で中国共産党(党大会)や中国政府(国務院)系列の全人代あるいは全国政治協商会議の代表として、複数回肩書を持ち、党や政府と関連を持っている。一般に出世しようと思う人間は、党や政府に近づくことを好むものだ。

 しかし任正非は違う。

 むしろ、党や政府に近づくまいとするのが、彼の特徴なのである。

 ではなぜ1982年から1987年の間だけ、彼はいかなる功績もないのに、党大会の代表(約3000人のうちの一人)になどなったのか、気になるところだ。

◆最初の妻との関係から政治権力嫌いに

 それは彼の最初の妻、孟軍(孟晩舟の母親)の父親・孟東波が四川省の副省長になったからだ。

 孟軍と結婚したのは文革の時で、孟軍の父親も職を失った素浪人。そのころ二人の仲は良かった。しかし文革が終わり、孟軍の父親が四川省の役人になり、やがて副省長にまで昇進すると事情が違ってきた。

 1982年、孟軍は孟東波の力で深センの南海石油集団の幹部に就任した。1983年に任正非は中国人民解放軍の建築工程兵を解雇されるのだが、就職先として妻の南海石油集団の下請けサービス会社に回される。それでも職があったのは妻の父親・孟東波のお蔭だ。南海石油集団の幹部にはしてもらえなかったが、その代わりに党大会の地方代表に推薦してあげたのだからいいだろう、というのが孟家の姿勢だった。

 任正非の政治権力への抵抗は、ここから始まったと言っていい。

 政治権力の力で動かされる嫌悪感は、妻の命令の下で働かされる屈辱から来ていると考えていいだろう。政治権力から自分の人生を切り離すために、任正非は南海石油集団のサービス会社を辞め、孟軍とも離婚してしまう。

 それが唯一、任正非が政治と関わった「1982年から1987年」なのである。党大会の代表は5年間続くので、1987年までは辞められない。その意味で「1987年」という年自体が重要だ。

 これ以降は、任正非は一切、政治から遠ざかった。二度と、いかなる肩書ももらおうとしなかった。

◆朱鎔基の経費支援を断った任正非

 まさにその「1987年」に、任正非は仲間数名を集めて、わずか2万元(日本円で約30万円前後)でHuaweiを創設した。90年代初期、新しく電話交換機を開発しようとして銀行に融資を頼んだが、どこも相手にしてくれなかった。邪魔をしていたのは離婚した孟軍の父親と国有企業ZTE(中興通訊)だと言われている。

 仕方なく大企業に資金を借りたところ、20%から30%の利子が付き、たちまち経営不振に陥ってしまった。そこで従業員たちに「誰でもいいから1千万人民元、どこかから借りてきてくれれば、1年間働かなくても給料を支払う」という懇願をしたほどである。事実、従業員たちは様々なルートで融資を集めてきてくれて、それを会社側が借り入れ、「社内融資」のような形を取っていた。このとき任正非は、会社の株を「1株1元」で従業員に持たせ、「もし失敗したら飛び降り自殺をする」という覚悟でビジネスを展開し始めた。

 いくらか好転の兆しが見えたころ、ZTEが国務院(中国人民政府)にHuaweiの従業員持ち株制度を密告し、Huawei潰しに動き始めた。1993年、国務院と国家経済体制改革委員会はHuaweiに対して「内部職工による持ち株制を即刻停止せよ」という正式な命令書を発布した。従わなければHuaweiの任正非を逮捕するというところまで事態は深刻化した。

 このときの国務院総理は、天安門事件で若者に銃口を向けさせた、あの李鵬だ(国務院総理:1987年~1998年)。会社の閉鎖あるいは監獄行きが目前に迫った時に、なんと手を差し伸べたのは当時の朱鎔基国務院副総理である。朱鎔基はHuaweiを視察し、任正非の志に感動して、「3億人民元を国が用立ててあげる」と国家の融資を申し出たのである。

 ところがなんと、任正非はそれを断る。

 「国がバックボーンにあると、自由に動けなくなるから」というのが理由だ。妻との上下関係で、よほど懲りたのだろう。

 このことに感動した深セン市政府が、今度は「深セン市公司内部職員持ち株規定」を発布して、Huaweiを応援した。

 元国家経済体制改革委員会の副主任だった高尚全氏は当時を振り返り「1997年時の第15回党大会報告書草案作成の時に、華為(Huawei)は社会主義に反することをしているという内部告発があり、視察に行ったことがある」と、のちに述べている。

 結果、民営企業として合法的であるとして、わざわざ第15回党大会の報告書に「新興の株合作制度は労働者の労働と資本を聯合させた新しい集団経済の実現方法の一種である」という文言が盛り込まれたほどだ。これが事実であることは第15回党大会の報告(江沢民の演説)を見れば確認できる。

 1998年には李鵬が去り、朱鎔基が国務院総理になることが、この党大会で決まっていた。中国の唯一の人民の味方をした指導者として知られる朱鎔基が、Huaweiを救ったのである。

 それでもなお、国からは1円たりとももらわないとした方針を貫いた任正非を、従業員たちは応援して支え、人民もまた「国家vs.人民」という位置づけで、民営を貫いた任正非を応援し続けている。

◆ZTE制裁を喜び、Huawei制裁に抵抗する中国の若者たち

 ZTEがアメリカの制裁を受けたことに関して、ネットには「ざまあ、見ろ!」という言葉に相当した中国語(活該!)の書き込みはあっても、それに抵抗を示す若者は一人もいなかった。しかし今般、Huaweiの孟晩舟が拘束されると、中国の若者の間ではアップルのiPhoneを破壊したり、Huaweiのロゴを掲げたりなどして、アメリカに抵抗を示す若者の姿が見受けられた。別に孟晩舟を応援しているわけではなく、国有企業ZTEから長いこと嫌がらせを受けて勝ち残ってきたHuaweiに対する一般庶民や若者の心情は、中国政府への抵抗につながる何かを体現しているように見える。特にHuaweiを潰そうとした国務院総理が、天安門事件で若者に銃口を向けた、あの李鵬であることを考えると、なおさらだろう。天安門事件への憤りは庶民の間から消えたわけではない。

◆100人に選ばれなかった、もう一人の男

 改革開放40周年記念大会で表彰された100人のリストの中に、当然入っているはずのある男の名前が、結局は消えていた。10月24日の時点では人民日報でノミネートまでされていたのに、当日は招聘されていない。

 その人の名は許家印。不動産業界のトップである恒大集団の総裁である。彼がなぜ最終的には落選したのかに関しては、「許家印主席、いやに偉そうじゃないか。習近平に挑戦しようとでもいうのかい?」という記事を見ていただくと想像がつくだろう。「まさか、習近平の権威を超えようというんじゃないよね?」という感じに訳してもいいが、要するに「あまりに金持ちで、あまりに勢いが良くて、まるで習近平国家主席みたいに偉そうに江蘇省の中国共産党委員会書記や省長を一堂に集めて視察を行い、『協力をさらに進化させ投資のコンセンサスを拡大させる』などと、国家主席が言うようなことを言っている」ことを皮肉っており、また「颯爽たる姿」(一番下の写真)を見せているところが「気に入らない」わけである。

 大陸では、あまり正々堂々と発表される情報ではないが、なにやら「政権を脅かす」要素を、それとなく感じ取らせる報道だ。当然、100人リストからは落とすだろう。

 

◆中国政府高官に聞いてみた

 中国大陸のネットでは「習近平は華為(Huawei)モデルが気に入らないのか?」といった書き込みも一部では見られる。

 そこで中国政府高官にHuaweiをどう思っているのかを聞いてみた。

 「そりゃあ、国企(グォーチー。国有企業)と仲が悪いので、困っていないわけではないが、しかし競争するのはいいことだ。互いに相手よりも成長しようとして、結果的には中国を発展させてくれている」

 「でも、今般表彰された100人のリストに入っていなかったではないですか」

 「それは確かにそうだ。しかし高い税金を国に収めてくれているので、国家にとってはありがたい存在だという一面もある。国が投資している国有企業は効率が悪くて、投資していない民営企業の方が効率が良いというのは、中国政府にとっても参考にならないわけではない。しばらくは華為モデルの運営方式を観察するしかないだろう。なんと言っても十五大(第15回党大会)で合法化されたのだから……」

 Huaweiモデルを撤回させるには江沢民の政権スローガンである「三つの代表」を覆さなければならないし(因果関係は長くなるので省略)、今となっては「中国製造2025」を支えてくれているトップランナーなので、中国政府としては応援するしかない。ただ、改革開放の模範的モデルかというと、必ずしもそうではないので、100人リストからは削除したということになろうか。

 それでも対外的にはHuaweiを守っている様子を見せなければならない。

 これは、習近平が抱える痛い盲点でもある。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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