3月20日、全人代の閉幕式を習近平の講話が飾った。絶大な権力を掌握した「人民領袖」習近平は、憲法改正と政府の機構改革、および党と政府系メディアの一元化により政府と人民を飲み込んだ形になる。

◆「人民領袖」になった習近平

 「領袖(りょうしゅう)」という言葉は、その昔、襟(領)と袖が人目に立つことから「人を率いてその長となる人物」のことを指していた。それが1946年以降、解放戦争(国共内戦)が本格化し、解放軍(中国共産党軍)が優勢を占めるようになった辺りから、「五大領袖」として東西南北と中央の5地域を統率する中国共産党委員会の書記を指すようになった。

 毛沢東はその頂点に立つので、「偉大なる領袖」と称せられていた。1949年10月1日に新中国(中華人民共和国)が誕生すると、庶民は毛沢東を「偉大領袖(偉大なる領袖)」「英明領袖(英明なる領袖)」と絶賛し、数多くの歌までが生まれて、筆者など小学校でも毎日歌わされたものだ。書店でも公園でも、拡声器から「偉大領袖」の歌が流れてくる。

 まるで空気を吸うのと同じくらいに「無くてはならない」存在だった。

 毛沢東による大躍進政策が失敗し、1959年に毛沢東に代わって国家主席に就任した劉少奇も、就任当初はまだ「偉大領袖」と称せられていた。それが気に入らなくて文化大革命(文革)を発動し、劉少奇を逮捕して獄死させた後、国家主席の座は不在となり、毛沢東の死を迎える。

 国家主席を空席にしたまま、毛沢東の死によって文革が終息し、中共中央総書記、中央軍事委員会主席および国務院総理に就任した華国鋒は「英明領袖」と称せられ、彼を最後に、「領袖」の呼称は消えた。

 トウ小平が1982年に憲法を改正して「国家主席」の職位を復活させるとともに、その任期を二期10年と制限したとき、「領袖」という呼称も中国から消えたのである。

 個人崇拝を許せば、国が亡び、党が滅ぶと決断したからであった。

 その「領袖」を「人民領袖」という呼称で甦らせ、習近平に冠したことが、今般の一連の動きを象徴している。

 たとえば、中国共産党機関紙「人民日報」の電子版「人民網」などは「人民領袖習近平」という表現を堂々と用いている。他のメディアも一斉に、その表現に揃えている。

 習近平に対して「領袖」という言葉を最初に使い始めたのは人民網で、時期は2014年6月16日のことである。その記事では上から4行目に「領袖範児」という言葉がある。これは「習近平には領袖にふさわしい風格(オーラ)がある」という意味だ。

 このことからも、習近平への権力一極集中が、権力闘争の結果ではなく、「中国共産党による一党支配体制が、このままでは維持できない」ということが、2013年の習近平政権発足時点からあったことが窺える。「党の力を強化するために、誰もが震え上がる人物を一人創らねばならなかった事情」が中共側にあったことの、何よりの証しだ。

◆「人民」を統治の手段に

 憲法には従来から「人民為主」という言葉が随所にちりばめられており、「人民こそが主人公」というのが中華人民共和国を統治する中国共産党のスローガン(建前)であった。これは飾りに過ぎず実態を伴わないどころか、人民を利用して人民を圧迫してきたことは論を俟(ま)たない。

 その「人民」を、習近平国家主席は3月20日の閉幕式における講話で80回以上も使い、人民網が「人民領袖習近平は“人民”の二文字を新時代の答案に刻み付けた」とした記事が中央電視台中国網など、数多くの媒体に転載された。

 また人民網は「党の核心、軍隊の統帥、人民領袖習近平」というタイトルで全人代を締めくくっている。そして習近平こそは新時代の中国の特色ある社会主義国家の舵取りであり、人民の道案内人であると讃えている。「このような習近平同志を核心とした党中央の堅強な指導の下にあってこそ、中国は自信を持って中華人民共和国の偉大なる復興を遂げる中国の夢を実現することができるのである」としている。

 「人民領袖習近平」は中央電視台CCTVでも何度も叫ぶように喧伝された。

 中国の革新的な主張を持つネットユーザー(本来、オピニオンリーダーだった人々)からは悲鳴のようなメールが筆者のところに数多く寄せられるようになった。日本やワシントンにいる友人を通して筆者のアドレスを突き止め、「どうか力を貸してほしい」と救いを求めてくる要望が殺到している。彼らに代わって発信してほしいというのが主たる要望だ。数百万人のアカウントが封殺されてしまい、沈黙を強要されているという。

 「人民中国」は死んでしまったのである。

◆国務院(政府)の機構も完全の党の手中に――「党政分離」から「党政一体化」に逆戻り

 今般の全人代では国務院(政府)の多くの機構が改編されたが、その方向性は一言で言えば、「党政分離」から「党政一体化」に逆戻りしたということができる。1970年代末に改革開放が始まり、1982年に改革開放に沿って憲法が改正された。その時の精神は「党政分離」であり、それまでの「党が即ち政府であり、国家である」という「党政一体化」を抑制するものであった。

 これは毛沢東の個人崇拝がもたらした恐るべき災害を何としても阻止しようという精神に基づいたものである。

 その精神を完全に覆して、すべてを「党」が掌握し管轄するという方向に改編されたのが、今般の国務院機構改革である。

 これまで国務院の下に置かれていた「~小組」といった複数の行政省庁にまたがるシンクタンク的組織を、すべて「~委員会」に改称して、党組織の直轄下に置く。

 たとえば中央外事工作指導小組などは中央外事工作委員会に編成されて党の直轄下に置き、外事の中に中央海洋権益保護工作小組の包含することになる。(その他数多くの編成替えがあるが、他のメディアでも報道されているので、文字数の関係上、省略する。)

 また党員以外の公務員に対しても中共中央組織部が人事権を握ることになる。

 そうでなくとも、誰もが習近平の方向を向いて仕事をしていかなければならない時代に入ったというのに、公務員の人事権まで一括されたのでは、独裁の弊害を唱えることなど遠のくばかりで、やがて毛沢東時代の独裁の弊害が沈殿し爆発するだろうことは目に見えている。

◆メディアも一括統治

 中共中央は「党と国家機構改革を深化させる方案」なるものを発布したが、その中にメディアに関する一括統治の方案が含まれている。新華網が掲載したが、あまりに転載が多くなってしまい、なかなか最初のリークが見つからないので、新浪のサイトでご覧いただきたい。

 この赤い色の図表にあるように、中央テレビ局(中央電視台)CCTVと、中央人民放送局(中央人民広播電台)CNR、および中国国際広播電台(中国国際放送局)CRIを吸収(撤廃)統合して「中央放送テレビ総局(中央広播電視総台)」を創設し、すべてを中共中央宣伝部が統括する。中国の国内的には元の呼称を使用し、対外的には「中国の声」という統一呼称を用いることになる。

◆中共中央政治局委員にも疑心暗鬼

 中共中央政治局委員は、初めて党中央と習近平に職務報告を書面で行なうことが決まった。新華網が伝えた。

 新華社電によれば、「中共中央政治局に対する党中央集中統一指導を強化することに関する若干の規定」に基づき、中共中央政治局委員は毎年の活動報告を習近平に対して提出し、その審査を受けることとなった。中国共産党が建党されたときの「初心を忘れてはならない」として、腐敗の再発や不正を防止するのが目的だ。それほどに腐敗は撲滅するのが困難だということの何よりの証しでもある。もちろん習近平に反旗を翻す者が出てくることを未然に防ぐことも目的の一つだろうが、「恐怖と威嚇」によってしか、実は党内も統率できないことが、このことから逆に読み取ることができよう。

 権力闘争という視点で中国を分析すると、習近平政権を読み間違えるだけでなく、日本にはいかなる国益ももたらさないことを肝に銘じておきたい。