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ワシントン毛沢東シンポ報告――映し出した危機感と無防備

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
US Capitol building, Washington DC, USA(写真:アフロ)

アメリカの共和党系シンクタンクProject2049が開催した国際シンポ「中国共産党と歴史戦」は9月20日、ワシントンで無事閉幕した。中国共産党自身の真相の隠蔽と歴史戦によって狙う新たな覇権と日本の無防備が映し出された。

◆共有された中国共産党自身の歴史歪曲の危険性

アメリカ時間の9月20日午後2時、国際シンポジウム「中国共産党の歴史戦」はワシントンDCのNational Press Club(国家記者クラブ)で開催された。荘厳な建物を照らし出す空は澄み切っていたが、筆者にとっては真夜中の2時~3時。時差で朦朧とした頭を強引に昼夜逆転している会場に合わせた。

主催者Project2049のCEOランディ・シュライバー氏は「中国共産党自身の歴史に対する歪曲は、いまや中国国内においてだけでなく、国際社会にもその影響を及ぼしている」と冒頭で述べた。

彼によれば、中国共産党が自らの歴史の何を強調し、何を隠そうとしているかは、北京の天安門広場にある中国歴史博物館に行けば、たちどころに分かるだろうとのこと。なぜならそこには、趙紫陽などの指導者の顔が削除され、文革や大飢饉などで数千万に及ぶ無辜(むこ)の民の命を犠牲にしたという、人類史上まれに見る事実は描かれてないからであるという。

さらに、とシュライバー氏は続けた。

日中戦争のときに、いったい誰が主体となって戦ったのか、その歴史の真相を適宜カットしてコントロールし、ナショナリズムを煽って中国の軍事力強化の正当性と中国共産党統治の正当性を主張していると。

それに続く筆者の「毛沢東 日本軍と共謀した男」に関するスピーチは、シュライバー氏が抱く危機感と完全に一致しており、隠蔽の原因が「日中戦争中に毛沢東が日本軍と共謀していた事実」にあることと、それを隠蔽し続けるために更なる歴史戦を中国は挑み、中国共産党の統治の正当性と世界覇権を正当化している危険性を指摘した。

その様子は、Project2049にもあるが、英語だし、なかなか映像が出てこないので、むしろ日本語でまとめてくれている「毛沢東は日本軍と共謀していた 日本人研究者が指摘」をご覧下さったほうが分かりやすいかもしれない。

筆者はスピーチで、「中国共産党は国内における統治を正当化しようとするあまり、軍事的にも経済的にも、そして文化的にもglobal hegemony(グローバルな覇権)を強化している」と述べたが、まるでそれを証明するかのように、帰国後すぐに、中国の軍用機が沖縄本島と宮古島の間の上空を通過する大規模な飛行訓練を行い、自衛隊機が緊急発進したことを知った。

中国の覇権の危険性が及んでいるのは軍事や経済だけではない。

一番怖いのは、むしろ「文化」という思想戦あるいは情報戦に関してだ。

習近平政権になってから「七不講(チー・ブジャーン)」(七つの語ってはならないこと)という指令が出され(2013年5月)、その中に「党の歴史的過ち」に関して学校で教えてはならないというのがある。

それに対して、中宣部(中共中央宣伝部)は、全世界に「中国共産党は正しい」という歴史観を植えつけるために、多くの学者を派遣している。

筆者はシンポジウムが終わるとすぐに数多くの在米中文メディアからの取材を受けたが、その多くが9月8日に出演したBSフジ「プライムニュース」の朱建栄氏との「論争」を問題視していて、日本は日中戦争当時と同じく、今もなお中共の情報戦に、まんまと乗っかっているではないかと詰問された。

◆在米華人研究者や中文メディアに問題視されている朱建栄氏の発言

なぜ「プライムニュース」における朱建栄氏の日本語による発言が、はるかアメリカで批判の対象となっているのか、こちらから質問したところ、以下のような回答が戻ってきた。

――日本にいる中国人研究者が「プライムニュース」を見ていたところ、朱建栄氏があまりにデタラメを言っていた。たとえば(中共スパイの)潘漢年は毛沢東の命令を受けて岩井公館に潜り込んでいたことは潘漢年の物語に興味を持っている者なら誰でも知っている事実なのに、朱建栄は「毛沢東の身分は高く、潘漢年はものすごく低い。この二人が直接接触を持つことなど絶対にありえない。(スパイ活動は)潘漢年独自の判断による行動だ」と言って遠藤を罵倒した。ここまでの無知をさらした中国人研究者を未だ見たことがなく、唖然とした。

また『回想の上海』を他の日本人研究者が読んでいないと遠藤が思っているのは、他の研究者に対する冒涜だと朱建栄は言って、指を大きく振って遠藤を指しながら激しい批判の意志を表した。

これはまるで、アインシュタインに「物理の研究者はみんな物理を知っているのに、なぜ、あなただけが相対論を発見したのか」と聞かれて、アインシュタインが「さあ、他の人には分からなかったのだろう」と回答し場合、「それは他の物理学者に対する冒涜だ」と罵倒するに等しく、滑稽でさえあるとメールで書いてきた。あまりに興味深かったので、日本語を中国語に訳してもらって、遠藤と朱建栄の論争を知るに至った。それは在米華人同士の間で、すぐに評判になった。

まさにネット時代。この背後の動きが面白くて筆者も興味を持ち、さらに聞いたところ、プライムニュースの正式なページは登録しないと見られないが、日本のネットユーザーの「TRD日本ちゃんねる」がアップしているユーチューブを送ってくれて中国語で解説してくれたので、よく分かったというのである。

それにしても、なぜ日本は「中国政府の代弁者」を頻繁にテレビに出して中宣部の「舌と喉」を日本中にまき散らして日本人を洗脳することに手を貸しているのかと、痛いところを突かれた。

◆毛沢東と藩漢年の直接のやり取り

そこで、責任上、今回は、毛沢東がいかに潘漢年と直接連絡を取り合っていたかを、中共中央文献研究所が編集した『毛沢東年譜』によって、少しだけ説明を加えておきたい。主として毛沢東が藩漢年に直接打電した日時と主たる内容を列挙する。

●1936年8月25日:毛沢東、潘漢年に打電。このとき潘漢年を「中国共産党と南京国民党当局との談判代表」に指名し、蒋介石との交渉に当たらせた。

●1936年8月26日:毛沢東、潘漢年に打電。(西安事変をのちに起こす)張学良を説得せよ(潘漢年と周恩来が同時に行動することを10月5日に命じている)。

●1936年10月10日:毛沢東、潘漢年に打電。

●1936年12月10日:毛沢東、潘漢年に打電。(西安事変の二日前)

●1936年12月19日:毛沢東、潘漢年に打電(西安事変の条件闘争を指示)。

●1936年12月21日:毛沢東、潘漢年に打電(西安事変の条件闘争を指示)。

●1937年1月9日:潘漢年が周恩来とともに南京政府の蒋介石と会い、毛沢東の手紙を持って行く時の、その手紙の内容に関して打ち合わせ。

●1937年1月21日:毛沢東、周恩来とともに、潘漢年に打電。

●1937年1月22日:毛沢東、周恩来とともに、潘漢年に打電。蒋介石への要求を明示(国共合作に向けて)。

●1937年1月26日:毛沢東、周恩来とともに、潘漢年に打電。蒋介石への要求を明示(国共合作に向けて、さらに具体的に)。

●1937年1月27日:毛沢東、潘漢年に打電し、張学良の扱いに関して指示。

●1937年1月29日:毛沢東、周恩来とともに潘漢年に打電。

●1937年2月4日:毛沢東、潘漢年に打電。紅軍の扱いに関して指示。

●1937年4月11日、5月1日、6月26日、9月25日……:毛沢東、潘漢年に打電。

このように毛沢東は、張学良に西安事変を起こさせて、滅亡寸前にあった中共軍を窮地から救い、国共合作によって中共軍を生きながらえさせるという巨大な任務を、すべて潘漢年に指示して実行させてきたのである。

朱建栄氏の「二人の身分にはあまりに違いがあり過ぎて接触などあり得ない」という主張が、いかに間違っており事実無根であるかが、お分かりいただけただろう。

逆に、あまりに「毛沢東と藩漢年との間の直接の打電交渉」が頻繁に続くので、この段階の列挙は、いったん、ここまでとする。

最後に、上海における秘密工作(スパイ活動)に関する「毛沢東と潘漢年の直接交渉と指示」に関して、決定的な情報をご紹介する。

●1937年11月12日:上海陥落(日本軍の手に)。毛沢東はその日のうちに潘漢年ら3名に打電し、上海陥落後の「党の秘密工作」を潘漢年らに委ねる。

「党の秘密工作」とは「スパイ活動」以外の何ものでもない。

こうして、拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関する潘漢年のスパイ活動が、「毛沢東の直接の指示のもと」で、上海を中心に展開し始めるのである。潘漢年は1938年8月に、毛沢東の命令を受けて一度延安に戻り、1939年4月から香港を経由して、同年の秋冬に再び上海に行き、日本の外務省管轄下の岩井公館に潜り込み、岩井英一との親交(スパイ活動)を深めるに至る。

筆者がワシントンの国際シンポジウムで話したことは、複数の在米中文メディアが、1時間前後の番組として制作し、習近平国家主席が直接見ることができるように、あるルートを通して中国大陸に潜り込ませるのだという。

筆者自身、スピーチの場で射殺されるかもしれない危険性を覚悟していたが、無事帰国でき、一応役目を果たしたことを、皆様にご報告したい。

ご心配下さった方々、誠にありがとうございました。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

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