国有企業改革が本当はできない中国――大切なのは党か国か人民か?

全人代開幕のスクリーンに映し出された「紅い皇帝」習近平(写真:ロイター/アフロ)

全人代の最大の課題は、中国が本気で国有企業の構造改革ができるか否かにある。もし徹底させれば、それは一党支配体制崩壊につながる危険性があるため、中国にはできない。党の存続を優先する中国の矛盾を読み解く。

◆中国の国有企業は民営化と逆方向に動いている

3月6日付の本コラム「習近平政権初の五カ年計画発表――中国の苦悩にじむ全人代」で、「真に改革開放を深化させ構造改革を断行して新体制を作れば、それは一党支配体制の崩壊へと行きつくので、本当の意味での構造改革も新体制構築も、実はできない。そこには根本的内部矛盾と中国の限界がある」と書いた。

これに関してもう少し具体的に説明をしたい。

改革開放前まで、中国の企業は原則として全て国営だった。「五星紅旗」丸抱えで運営してきたので、改革開放後は市場経済の競争には勝てず、多くが倒産。1992年に所有権と経営権の両方を持つ「国営企業」を、所有権だけ国に残して経営権は企業に移して、それを「国有企業」と称することにした。

しかしそれでも、今でいうところのゾンビ企業が溢れ、とても国際競争になど参入できない状態だったので、1990年代後半、時の朱鎔基首相が果敢な「痛みを伴う決断」をして、20万社近くあった企業を10万社強まで減らして3000万人におよぶレイオフ(業績回復時の再雇用を条件に従業員を一時的に解雇すること。自宅待機失業者)を出した。それでもこの改革により2001年にはWTO(世界貿易機関)加盟に成功し、国有企業は国際競争力をつけるため民営化の方向に動くはずだった。

ところが、時の江沢民国家主席は「それでは“旨み”がない」ということで、1998年に「国有企業の人事に関しては中共中央組織部が決定し、国有企業の中に党組織を設置する」ことを決めたのである。国が放棄したはずの経営に関しては多くの行政部門が関与していたので、効率が悪く責任の所在も明確ではない。2003年3月の全人代で、時の胡錦濤国家主席が国有企業に関与する行政を一元化して「国務院国有資産監督管理委員会」を設置したが、時すでに遅し。腐敗の温床が出来上がるのに時間はかからなかった。

習近平政権になってから、その腐敗にメスを入れるべく「虎もハエも同時に叩く」という激しい反腐敗運動を断行し、2015年9月13日に「国有企業改革を深化させる指導意見」を発布したのだが、その内容はまるで「ミイラ取りがミイラになる」ようなものであった。

すなわち、「国有企業内の腐敗の温床を厳格に監督するために、国有企業内における党の指導力を高める」という内容になっているのだ。そこに書かれている具体的な文言を列挙してみると、たとえば、

1. 国有企業への党の指導を強化する。

2. 党の指導と企業統治(コーポレート・ガバナンス)を統一させる。

3. 党活動の総体的な要求を、国有企業規定に書き入れ、国有企業・党組織の、国有企業・法人統治機構内における法的地位を明確に社規に明示すること。

などである。

これでは国有企業の民営化から遠ざかるだけでなく、市場のメカニズムに委ねて「構造改革を行い、新体制を作る」ことなど、とてもできるはずがない。むしろ、言葉(スローガン)とは裏腹に、「党の権限を強化する方向」にしか動いてないのだ。

ここに新たな腐敗の巣が生まれないという保証はない。党の権限が強くなれば、というか、権限を独占的に持っている者がいれば、そこに必ず腐敗の温床が出来上がるのが中華文明の常だ。 

◆党が大切なのか、国あるいは人民が大切なのか?

現在中国には100社強の「央企」(ヤンチー)と呼ばれる、中央が管轄する大型国有企業と、地方人民政府が管轄する10万社以上の中小国有企業が乱立している。これらの構造改革と民営化(民への開放と透明化)なしに、中国の安定した経済成長は望めない。

そのこと自体は習近平政権も分かっており、だからこそ盛んに「構造改革による新体制の構築」を謳ってはいる。

2014年7月、習近平政権は6社の「央企」に民間資本導入を試験的に実施させると宣言した。これを「混合所有制」と称するが、実はこれがまた曲者(くせもの)なのだ。

何のことはない、「央企」という親会社は(国有として)傷つけずにそのまま温存しておいて、その傘下に株式会社のような子会社をぶら下げ、それを上場させるだけなのである。上場した会社に関しては、一定制限を設けて民間人がその株を買っていいことになる。それも絶対に50%以上は開放しないので、「国有」形式は安全に保たれる。

中国共産党は何を怖がって、そんなに国有企業の権限を握っていたいのか?

それは「お金が欲しい」ということではなく、それもあろうが、中国経済の屋台骨である国有企業、特に「央企」を掌握することによって、「党が国家経済を掌握している」という状態を保っていたいのだ。

もっとストレートに言うならば、「国家経済」というよりも、「党が国を掌握していたい」ということである。

民間に開放して、仮に全てが民営企業になれば、人民が国を支えることになり、中国共産党による一党支配体制など、一瞬で崩壊してしまうだろう。つまり、民主化が起きてしまうということである。

国有企業は「国民経済」であり、人民の税金で成り立っているわけだから、つきつめれば、13億人の人民一人一人が株主だ。それを国家が肩代わりして運営しているのだが、実は「国家」ではなく、「党が運営している」と言っても過言ではない。

「国有企業」は実質上は、「党有企業」という造語で表現してもいいほど、「党」のものなのである。

中国の指導者は「党は人民の僕(しもべ)である」という言葉を、まるで接頭語のように常に言い続けている。

しかし中国共産党の指導者は、毛沢東以来、最優先してきたのは「党の拡大」と「党の安定的な繁栄」であり、人民はその手段に過ぎない。国家さえ、党を温存させるための手段なのだ。

拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に描いたように、毛沢東は中国共産党が拡大するために、敵方である蒋介石・国民党軍の軍事情報を日本軍に売っていた。それにより殺された国民党軍の兵士は「中国人民」であり、「中華民族」である。人民を売り、民族を売ってでも、党の繁栄と温存を優先する中国共産党の体質は、誕生からこんにちまで、何も変わっていない。

習近平氏が中国共産党生誕「百周年記念」として新五カ年計画の節目にしている2020年(実質上は2021年)は、人民の犠牲の上に築こうとしている繁栄であるという見方ができなくはない。

「紅い皇帝」は、「党の繁栄」にしがみついて中国という国家を滅亡させるのか、それとも党の温存を捨ててでも「人民」を優先し、「国家の存続」を重んじるという英断を選択できるのか、このあとの5年間をじっくり見てみよう。