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香港デモ学生とオキュパイ派(占領中環)との温度差

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

香港デモ学生とオキュパイ派(占領中環)との温度差

香港の学生たちが始めた授業ボイコットによるデモは、途中からオキュパイ派(金融街占拠)に組み込まれてしまった。学生に同情的だった香港市民はオキュパイ派主導により離心。オキュパイ派が自首した今、学生たちは―。

◆学生たちの自主的デモとオキュパイ・セントラル(占領中環)は違う

香港の学生たちが始めたデモは、もともと授業ボイコット(学生ストライキ)の形を取っていた。学生たちの流れには二派あり、一つは周永康(香港学生の周永康!)をリーダーとした「学聯(香港専上学生聯会)」で、もう一つは黄之鋒をリーダーとした「学民思潮」である。

まず学聯の秘書長である周永康は、9月22日に授業ボイコットを行おうと呼び掛け、大成功を収めている。香港中文大学の本部中央に幅の広い長い道があり、これを「百万大道」と呼ぶが、百万大道を1万3千人の学生が埋め尽くし、民主選挙を訴えた。

23日には金鐘(アドミラリティ)にある添馬公園(Tamar Park)と立法院総合ビルの周りをデモ行進した。24日には中環(金融などの中心街)までデモ行進したが、「不反対通知書」(No Objection Letter)をまだ当局に申請していないため、警察のイェロー・フラッグ(黄旗)(イェロー・カードに相当)に遭い、中環から添馬公園に引き返してデモを終了させた。

「不反対通知書」とは、もともと1967年にイギリス統治下の香港において親中容共の活動家によるデモを禁止するために出された公安条例で、97年に香港が中国に返還された後は、香港基本法の第27条と第17条および公安条例第245条により規定された「デモの許可証」のようなものである。デモが合理的であり非暴力的であるなら、「当局は反対しない」という許可証だ。これがないと、決められた特定区域でのデモは許されていない。添馬公園は、許可証なしに集会やデモを行っていい区域である。

学聯は、規則を守っていたため、多くの市民の共感と支援を呼んでいた。

ところが9月25日、静かに添馬公園でデモ行進をしていた学生たちに、突然暴漢が襲ってきて、デモに参加していた学生たちを刺激した。そのため一部の学生が禁止区域の礼賓府(ガバメント・ハウス、行政長官の執務室がある建物)に押しかけた。当然、警察のレッド・フラッグ(レッド・カード)が出されたが、それでも学聯のほとんどは、禁止区域である礼賓府外の区域で民主的選挙を叫んでいた。

26日になると、今度は高校生(中には中学生も)を中心とした「学民思潮」が授業ボイコットに合流して、事態が一変する。

学民思潮のリーダーである黄之鋒は、26日夜の10時26分に突然マイクを持ち、立法院の駐車場出入り口にある「公民広場」へのデモを宣言し突入した。

すると警察は胡椒ガスを噴霧し棍棒を振り上げ、学生の中に心臓発作を起こす者が出た。

夜10時52分、黄之鋒を含む学生が拘留された。

こうして27日にオキュパイ・セントラル(占領中環)の理論武装学者ら3名の発起人が、「金融などの中心街を占拠せよ!」と呼びかけて、学生たちをオキュパイ運動に巻き込んだのである。

このとき少なからぬ学生がオキュパイ派に従わずデモから離脱した。

オキュパイ派は、2011年9月にアメリカで起きた「オキュパイ・ウォールストリート」(Occupy Wall Street)という、「金融街を占拠せよ!」運動を模倣し、2年前から論理を練っている。アメリカでは低所得層を中心として「われわれは99%だ!」と叫んで、金持ち連だけが儲かっている金融街を占拠し、オバマ政権への抗議を表明した。それは2カ月ほどで消えたが、その後アメリカ各地に広がっている。

香港は金融で成り立っているような都市。

金融街を占拠されたら香港経済は激しい打撃を受けるとして、香港の一般市民は猛反対していた。

学生たちが授業ボイコットという形を取ってデモをしている間は、熱い声援をデモ隊に送っていた香港市民は、オキュパイ・セントラルが主導権を握ると、いきなり冷めた目で占拠活動を見るようになる。

それでも離脱しなかった学生たちは、大学副教授らが提唱するオキュパイ・セントラルの方針に従うしかなかった。その中で、若者たちが叫びたい民主を主張し続けたのである。

そうしておきながら、発起人3名が真っ先にオキュパイ・セントラルの離脱宣言をしたのでは、残された学生たちは、あまりに可哀そうではないか。

筆者が12月3日の本コラムで「占領中環という手法が良くない」と書いたのは、こういう意味である。

いま学生たちは、絶食をするという学民思潮派と、「そんなことは効果的ではない」と反対する学聯派の二つに分かれてしまった。

◆金融の中心を上海に取られてしまった香港

筆者が香港で占領中環という「金融街を占拠せよ!」という戦術を展開するのは適切ではないと考えたもう一つの理由は、香港の国際金融が不安を招くようになれば、それは必ず中国大陸に利することを懸念するからだ。

事実、オキュパイ・セントラル運動のあと、世界の金融界は香港を捨てて上海に移り始め、それまで中国の李克強首相が「笛吹けど踊らず」、閑古鳥が鳴いていた上海の自由貿易試験区(2013年9月設立)が、突然の活気を来すようになっている。面目をつぶしていた中国中央に、思わぬプレゼントをする結果を招いているのである。

よろこんだのは北京政府だ。

これを懸念したので、筆者は「占領中環」戦術には懐疑的だった。

オキュパイ派が入ってきた瞬間にデモから離脱した香港の若者たちは、特定の政党に与(くみ)したくないという者が多かった。発起人らは民主党派の系列の人物たちだからだ。

公安に自首した発起人3名、特に香港大学法律学系の戴耀廷(たい・ようてい)副教授は、なぜ笑っていたのか?

この3名が、実は北京と対立することに関しては「慎重」であることを考えると、やりきれない思いを禁じ得ない。

しかし、香港の若者たちよ、あなたたちの純粋な思いは、世界に届いている!

中国で何が起きているか、そして今後、何が起きようとしているかに関して、世界が注目するための役割は十分に果たした!

若者たちの志と勇気と、そして意識の高さを讃えたい。

あなたたちは成功したのだ。挫折感にめげる必要はない。闘いは長い。

(なお、全米民主主義基金に関しては、「資金がないが民主的な運動を起こしたい」と思う世界のあらゆる人々が、資金援助の申請を出していいシステムになっている。ホームページを見れば、ネットでも申請できることが分かる。決して裏で操作するという性格のものではない。民主活動家が自ら支援を申請する、主動的なケースの方が多い。その場合でも、中国は「敵対勢力が背後で操っている」と言うだけである。)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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