言論弾圧を強化する中国――80歳、鉄流氏拘束とウイグル族学者の無期懲役

言論弾圧を強化する中国――80歳、鉄流氏拘束とウイグル族学者の無期懲役

9月14日、親しくしていた鉄流氏(80歳)が拘留されたばかりだ。23日にはまた、ウイグルの経済学者、イリハム・トフティ氏の無期懲役判決が出た。習近平はなぜここまで言論弾圧を強化するのか。

◆劉雲山を批判して拘束された鉄流氏

1935年生まれの鉄流氏は、57年の反右派運動(五七運動)で毛沢東を批判したとして逮捕され、23年間も牢獄生活を送った経験を持っている。毛沢東は56年に「百花斉放 百家争鳴」方針を打ち出し、「何でも自由自在に自分の意見を発表しなさい」と知識層に呼びかけた。

よろこんだ作家や記者あるいは各界の知識層は毛沢東を信じ、本気で自分の意見を発表した。ところがそれを見た毛沢東は、あまりに自分に対する批判が多いことから、翌年の57年には「反右派運動」を展開して、意見を発表した者をことごとく逮捕し、労働改造所に投獄してしまった。その数、中国政府発表でも約55万人。被害者側の発表では300万人。いずれにしても生き残った者はわずかで、その数少ない生存者の中に鉄流氏がいた。

鉄流氏は80年に名誉回復されて出獄したものの、つねに公安から監視されながらの毎日だった。もともと新聞記者をしていた鉄流氏は、又もや逮捕されることを恐れて文筆を断ち、商売を始めた。

しかし正義感を抑えきれず、商売で貯めた資金を基にして2010年には「鉄流新聞基金」を設立。言論弾圧や人権侵害を受ける記者や作家の支援活動を始めた。

そのかたわら、『往事微痕』という小冊子を編纂し、定期的に刊行している。生き残った「五七老人(五七運動の犠牲となった老人)」が「往事(過ぎ去った日々)」の「傷痕」を、自分の実体験を通して書き残した記録だ。

それをどうか日本で出版してくれと筆者は頼まれているのだが、なかなか時間が取れないまま、こんにちに至っている。

鉄流氏は毛沢東を恨んでいるものの、トウ小平を擁護し、習近平に関しては非常に高く評価している。ただその中でも、チャイナ・セブン(習近平政権の中共中央政治局常務委員7名)の一人で思想や言論の統一を担当する劉雲山に関しては、かなり激しく批判している。その文章をネットで公開したために、鉄流氏は「争いや面倒を引き起こした罪」で9月13日の夜に当局に連れて行かれ、14日に拘留が決まった。

パソコンも押収されたというから、筆者との往復メールもまた、すべて当局の手に掌握されてしまったのだろう。筆者はまちがったことを書いているとは思っていないので、怖くはない。

◆習近平はなぜ言論弾圧を強化するのか?

ウイグルの経済学者イリハム・トフティ氏については、筆者は直接の交流があるわけではないので、ニュースで伝えられていることや中国語で書かれた人権団体の情報以上のことは知らない。しかし少なくとも、穏健なイリハム・トフティ氏はウイグルの独立に賛同はしていないし、独立を煽動もしていない。人権を守ろうと、ネットでウイグル人の実情と無実を公開しただけだ。それなのに新疆ウイグル自治区ウルムチ市の中級人民法院(地裁)は、「独立を煽動した」として「国家分裂罪」で彼に無期懲役刑を言い渡した。

このことに対して国際社会は主として「中国ではウイグル情勢が厳しいので、見せしめのために無実のイリハム氏に重い判決を与えたのではないか」といった類の分析をしている。その側面はあるだろうが、筆者にはどうも納得がいかないものがある。

それならなぜ、80歳にもなる鉄流氏を拘束したりするのかという疑問に回答を与えることができないからだ。

鉄流氏もまた穏健で、いかなる挑発をしたこともなく、ましてやデモなどを呼び掛けたこともない。ただ単に、自分の考え方をネットで公開したり、「五七老人」とともに過去に経験した実体験を残したり、人権問題で不当に苦しめられている人たちに支援の手を差し伸べているだけだ。

「生き残っている」ということが闘いであり、勝利なのだと筆者に言い、よく北京の老人クラブで体を鍛えていた。

これだけで、80歳になってもなお投獄される。

習近平は何を恐れているのか?

毛沢東は「共産党政権を維持するために必要なものが二つある。それは銃口とペンだ」と言っている。

中国はいま、「銃口」は十分に強化しつつある。

しかし「ペン」の力はいまや、共産党による思想統一ではコントロールしきれない。一人の庶民が書いた情報は、インターネットを通して全世界に瞬時に広がっていくからだ。

習近平は共産党幹部のあまりの腐敗が人民の心を共産党から離反させているのを恐れて、人心を引き留めようと激しい反腐敗運動を展開している。それはたしかに人民の心を惹きつけはしたが、しかし言論の弾圧は、腐敗以上に人心を共産党から離反させていくのではないだろうか。

「銃口」は掌握できても、「ペンの力」はコントロールできない。 

弾圧すればするほど、それは「見せしめ」とならず、さらなる「ペンの力」に転換していくのではないかと筆者は信じる。人は心の奴隷にだけはなれないのである。尊厳こそが最強の力だ。