「Kiroro」20周年で本格再始動!3人の子の母になって葛藤も

向かって右がヴォーカル・玉城千春、左がキーボード・金城綾乃

 98年に大ヒットしたデビュー曲『長い間』から20年。人の心に響く優しいサウンドを作り続けてきた、玉城千春さんと金城綾乃さんからなる沖縄の女性デュオ「Kiroro」が、13年ぶりにオリジナルアルバム『アイハベル』を完成させ、本格的に活動を再開しました。2人とも3人の子を持つママになった今、活動再開への不安や葛藤、音楽への向き合い方などをうかがいました。

―― デビュー20周年、おめでとうございます。今回、本格的に再始動しようと思った一番のきっかけは何だったんですか?

千春)3年ぐらい前から少しずつ(20周年に向けて)曲を作りなさいってマネジャーから言われていたんです。2人で月に1、2回ぐらいのペースでライブをやっているんですけど、本当にゆっくりしたペースで、曲作りのほうはしていなかった。普段の家事や育児に追われて、なかなかスイッチが入らなかったのが正直、あって……。なので、ようやく動き出したのが、去年の1月。なので、マネジャーも、もうあきらめるっていう感じで…(苦笑)。それでやっと、ぐっと気を引き締めてやろうって。

―― スイッチが入るまで、日々の生活の中での優先順位とか、不安とか、いろいろあったと思うんですが……。

2人)ありまくりです!

千春)ネックになっていたことは……、(自分を)作曲モードにするのが難しかったですね。バリバリ曲を作っていた時は、ポンって出てきたものをつかんで書き留めたり、形にするのが早かったんですけど、日々の生活に流されて、やらなきゃいけないことがいっぱいありすぎて、「あ、子供を迎えに行く時間だ」「夕飯、何しよう?」とか、ほかに考えることが多いから、ポンって出てきたことに気付くことがまず(難しかった)。

―― 作曲の時はいつも、ポンって浮かんできたものをキャッチして書き留めておいて作る、というスタイルなんですか?

千春)そうそう。想いがあふれてきたものを書いたり曲にしたりしていたんです。(今の生活では)想いがあふれてきた時に、「子供をギューしたい」とか「ダンナをギューしたい」とか「乾杯!」とかっていう方に、(表現の手段が)行っちゃってる。“曲を書くモード”というよりも、(気持ちを)曲に持っていくっていうか、モードチェンジに時間がかかりましたね。ボイトレ(=ボイストレーニング)もしていないので、歌声も不安はありましたし……。子供を(学校などに)送って、1人になった時に車の中で歌うぐらいで。車の中が発声練習の場だったり、音楽を聴いたりする場で、唯一の自分の時間ですね。

綾乃)私も、曲を作りたいな、できたらいいなというのが(頭の)片隅にはあるんですけど、家事が優先されてしまって、そこに気持ちを向けることがなかなかできないというのが正直ありました。本当に日々の子育てがメインなので、ほとんど音楽のことを考えたりする時間もなく、自分が何を思ってどういうふうに考えているのか、我に返る時間もないので、意識的にそこへ気持ちを持っていかないと、書き留めることができないな、自分の気持ちに気付くことができないなと感じたりしながら。だからこそ、片隅にこういう想いがあった時に、子供たちを寝かしつけた後、ピアノを弾いて書き留めて、少しずつ感情を出していったっていう感じです。

―― お子さんたちとの生活が幸せすぎて、「もう表舞台に出ていくのはいいかな?」なんて思ったことはなかったですか?

千春)(小さい声で即答)あります。あるんですけど、綾と一緒にやった時に感動したりとかすると、やっぱり!って。歌手っていうのは夢でもあったし、今の現実、日常からポンと出てステージに立つと、シンデレラみたいな気持ちになって……夢の場所なので。(自分たちの歌を聴きに)来てくれる人もいる、綾とも、またこうして音楽を楽しめている、一緒に頑張ってくれる仲間もいるって思った時に、こんなにみんなが喜んでくれたり、頑張ってくれたりして、私もうれしい。皆さんに受け入れられてうれしいから、私ができることがあるのなら、やりたいなっていう気持ちになって。家族のこともあるし、沖縄にいるからできないこともあるけど、できることがあるなら、できる限りのことをやろうと思って、やらせてもらっている気持ちが大きいですよね。

―― 「いざ、やるぞ」のスイッチが入ってから、本気で曲を作らなきゃってなった時に、昔と違うなと感じたことはありますか?

千春)恋愛の曲が書けなくて。恋愛の曲って、相手に伝えるのは、切なさとか、伝えたい何かがないといけない。今の私は、幸せな想いがマンパンで、じゃあ曲を書く時、何を伝えるの?って。「ハッピーでハッピーだよ」って言っても、みんなはそれを聴かされてもねえ…。想像でもいいじゃん、イメージで作ればいいじゃんって(スタッフは)言うんですけど、私はそういうふうにして作ったことがなかったので、(想像の歌詞で)主人も傷ついたらかわいそうだし……。家族がいたりとか、守らなきゃいけないものも増えて、「こんな言葉を言ったら子供たちがどんな気持ち?」とかって考えて、言葉を選んだりしましたよね、最初。

―― となると、今の生活の中では、不倫の歌などは絶対に書けない?他の人に恋をしてっていう曲はムリ?

千春)私は……本当にそうなった時に書きそうで怖い(笑)

綾乃)書くと思う!(笑)

―― 歌詞をチェックしていたら不倫が分かる!?

綾乃)うん、ホント、そのままなので。

千春)でも、その時は絶対「作り話です」って言うかもしれない(笑)。「千春、(イメージで書くことが)できるようになったんだ~」って言われるかもしれない(笑)。だからこそ、自分の周りはいつもハッピーでいなきゃなって。正直に、周りのことも大切に生きていこうって思っています。生き方として。出てしまうから、私。

―― 1つ確認したいことがあるんですが…。デビュー当時、ピアノがあまり弾けない千春さんの書く音符は“暗号”のようで、それを解読する形で綾乃さんが楽譜にして活動を始めた、という話がありますが、この情報は正しいでしょうか?

千春)最初はそうでした。私は楽譜が書けないので、テープを2つ用意して、1つにアカペラを録って、それを流しながらもう1つにハモリを入れて、(綾乃に)こんな感じだよって言って渡してたりとか。テンポ感もバラバラなので。

綾乃)千春はダーっと歌うので、拍数とかも分からないので、確認しながら、小節を区切っていったりという(笑)

千春)テープでは、私は想いがあふれてバーって歌っているので、綾が「ちょっと待って、ちょっと待って」って言って、「速くなったりするから、ちゃんと歌ってみて」って言うから、綾のそばでまた歌うんですよ。

綾乃)だから私はそこで1小節ずつ区切っていくんです。それで、「ああ、こういう曲なんだ」っていうのを認識して(笑)

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―― 制作の仕方は、今もそうですか?

2人)今も!

千春)アカペラで作ったらそうなると思いますね。今も譜面は書けない(笑)

綾乃)コードネームをつけながら小節を区切って、歌いながら横でピアノを弾いたりとかっていう形でやります。

―― 私の記憶が確かなら…20年前、綾乃さんの譜面ノートを見せてもらったことがありましたが、そこにも不思議な“暗号”がいっぱい並んでいたかと。2人とも“暗号”だったんですか?

千春)そう!綾もカタカナだったりした!!(笑)

綾乃)私、クラシックだったから、全然コードが分かんなくて。コードネームが書けなかったので、「ドミソ」とか、カタカナで書いて…。この間、(当時のノートを)見ても弾けなかった。成長したんだ~って(笑)。自分でもビックリして、すっごい、これでよく弾いてたなって。必死に書き留めてたんだな~って。

―― そんなことが楽屋裏で繰り広げられていたとは(笑)。“暗号”からあんな素晴らしい曲が生まれていたとは、違う意味で感動ですね。

綾乃)ほんと、“暗号”ですよね(笑)

千春)私、メロディーは線で描いていますから。(空中に手で線を描きながら)あーあーあーあーとか。

綾乃)折れ線グラフになっていますから(笑)

―― では、今回のアルバム『アイハベル』について、少し詳しくうかがいたいんですが、まず、タイトルについて教えてください。

千春)沖縄の方言では「アイハーベールー」(平坦に伸ばす)ですが、私たちは「アイハベル」(“ハ”にアクセント)って言ってます。

綾乃)「美しい蝶」という意味なんですけど、蝶とか蛾(が)とかを総称した言い方らしくって、「アイ」が「美しい」という形容詞なので、「美しい蝶」ということで。デビュー当時、皆さんに「アオムシ、アオムシ」って言われていて、そういうイメージで写真も撮ったりして。だからアオムシが、サナギになって、20年間できれいな蝶になれたらいいな~っていうのがあって、「アイハベル」です。

―― “アオムシ時代”を知っている方たちは、「アイハベルになったね」と言ってくれましたか?

2人)どうなんだろう?まだ聞けてない。(スタッフを見渡し)みんなうつむいている!(笑)

(マネジャーから「アイハベルでOKです」の声)

2人)あ、OK!? ありがとうございます!頑張ります!!

―― アルバムが完成して、ご家族の反応はどうでしたか?

千春)子供たちは待ち遠しかったみたいです。やっぱり、曲作りで苦労しているのを見ているので、喜んでくれて。

綾乃)ウチの父も、すごいいいのできたね~って大絶賛でした。

―― お子さんたちも協力してくれた曲があると聞きましたが。

綾乃)『OK OK』という曲なんですけど、6人集めてコーラスを歌ってもらいました。これは曲作りの時から、「子供の声が聞こえるよね」って言いながら作っていった曲だったので、最後の最後に、「じゃあ子供たち、入れる?」って感じで。子供たちは、最初は乗り気だったんですけど、6人集まるとなんだかガチャガチャしちゃって…。でもみんな、一生懸命歌ってたよね?

千春)うん。歌ってた。何回も何回も。上手だったね。

綾乃)上手だった。

――お母さんからみて、才能はありそうですか?

綾乃)みんな、いい声してます。

千春)そうなんです。いい声してます。歌手になりたいって言われたら? 「頑張ってみて」って言います。やっぱり、大変な世界だし、運もあるし、人との出会いもあるし、自分たちは本当にラッキーだったなって思うんですよね。いろんな方に恵まれてスタッフも。だからそういう、努力も必要だし。いろんなことができるならば、頑張っておいでって言いたいですね。子供たちと一緒のステージ? (子供がやりたいと)言ったら考えます。

―― 今回、本格再始動ということですが、その後についてはどのように考えていますか?

綾乃)ツアーが終わって、感じるものが、ね……あるで…しょうか(一同、ズッコケて爆笑)。感じたものがあれば、その時、マネジャーに相談します(笑)

千春)感じたものを1コ1コですね。

綾乃)1コ1コ、ツアー頑張ります!

―― 今回20周年ですけども、さらに20年後を想像してみてください。どうでしょう?

千春)60歳?健康でいようね。

綾乃)そうだね~(一同、爆笑)

2人)それが第一だよね~。健康でいようね、みんなね!

(撮影:遠田智子)

【インタビューを終えて】

 今回、Kiroroのお二人に会うのは、実に20年ぶりでした。1998年8月、メジャーデビュー後の1stコンサートツアーをメインに、その準備や日常の様子を密着取材させていただいたんです。慣れない東京で、目まぐるしいスケジュールをこなしていた千春さんと綾乃さん。当時のことはよく覚えていないとおっしゃっていましたが、リハーサルの模様を撮った“証拠写真”をお見せすると、「あ~、私だ~~!」「ホントだ!」とキャッキャッ。好奇心いっぱいで、何でも素直に受け止めて表現するお二人は、20年経ってもそのままでした。

■「Kiroro」

Vocal:玉城千春(たましろ・ちはる)1977年4月17日生まれ。Keyboard:金城綾乃(きんじょう・あやの)1977年8月15日生まれ。

1995年結成。高校時代、放課後の音楽室で千春がオリジナル曲をアカペラで歌っていたところに、綾乃が伴奏をつけて遊んでいたのが結成のきっかけ。96年、インディーズシングル『長い間/青のじゅもん』が、沖縄限定で発表したにもかかわらず、売り上げ枚数が1万枚を超えて話題になる。98年1月21日にメジャーデビュー。ノンタイアップにもかかわらず、ジワジワと楽曲が全国に浸透し、ミリオンヒットとなる。以後、『未来へ』『Best Friend』など、誰もが口ずさめるヒット曲多数。アジア各国でも楽曲がカバーされ、中国では女性たちのカラオケの定番曲となっている。現在、2人ともに3人の子供の母親として、沖縄で育児をしながら緩やかに音楽活動中。今月24日に、デビュー20周年を記念して13年ぶりのオリジナルアルバム『アイハベル』を発売。5月12日の千葉・市川市文化会館を皮切りに、全国ツアー「Kiroro“アイハベルが舞う”Tour2018」を開催する。