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石炭火力訴訟の意味は何か

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(写真:イメージマート)

七月一九日に神戸地方裁判所で行なわれた「神戸石炭民事訴訟」第一六回期日に、原告側の専門家証人として出廷してきました。今回は、僕がそこで証言した内容と、出廷をめぐって考えたことを書きたいと思います。

まず、訴訟の概要について説明しておきます。これは、神戸製鋼による神戸市灘区の石炭火力発電所の新設(現在は一部がすでに完成して営業運転を開始)をめぐって、大気汚染とCO2排出を懸念する周辺住民が二〇一八年に提訴したもので、行政訴訟と民事訴訟が並行して行なわれています。行政訴訟は国を被告として環境影響評価書の確定通知の取消しなどを求めるもので、原告は一審、二審と敗訴し、最高裁に上告しています。民事訴訟は神戸製鋼およびその子会社と、電力を買い取る関西電力を被告として、発電所の建設・稼働の差し止めを求めるものです。今回僕が関わったのは民事のほうです。

1.5度目標に極めて望ましくない

今回の出廷に先立ち、僕は原告側弁護団の依頼を受けて意見書を二回提出していました。いずれも、気候変動についての基本的な解説を行なう内容で、裁判官に科学的な前提知識を持ってもらうことが主な目的でした。今回証言したのも、基本的にその内容です。

法廷では、原告側弁護人による主尋問に答える形で、IPCCの第六次評価報告書にもとづき、人間活動による地球温暖化には疑う余地が無いこと、極端な高温や大雨などが増加していること、世界平均気温は産業革命前に比べてすでに1.1度上昇しており、これを1.5度で止めることがパリ協定により国際的に目指されていることなどを、順に説明していきました。

そして、石炭火力発電所の新設に直接かかわることとして、IPCC第三作業部会の第六次評価報告書に記載されている、ある知見を強調しました。火力発電所などのインフラは、いったん建設されると、投資を回収して収益を上げるため、数十年間稼働し、その間にCO2を排出し続けることが前提となります。そこで、現在、世界ですでに存在している火力発電所などのインフラを、従来と同様の稼働率で従来と同様の寿命まで稼働させることで将来に排出されるCO2の総量を見積もると、それだけで1.5度の温暖化をもたらす量に達してしまう可能性が高いのです。つまり、われわれの今の社会インフラを普通に使い続ければ、1.5度の温暖化が「約束」されてしまっていることになります。

この状況をパリ協定で目指す1.5度目標と整合させるためには、既存インフラを寿命より早く廃止するか、稼働率を落とすか、CO2をあまり出さないように改修するか、大気からCO2を回収するかのいずれか、またはその組み合わせによる対応が必要になります。いずれも、事業者の経済合理性の観点からは嬉しくない対応です。この知見にもとづき、「火力発電所の新設は、1.5度目標との整合性の観点から、極めて望ましくない」ということを申し上げました。僕が申し上げたのは、神戸製鋼の石炭火力に対する個別的な指摘ではなく、世界中の火力発電所(ガス火力も含む)の新設に対する一般的な指摘です。

その後、被告側弁護人による反対尋問を受けましたが、これは意外にあっさりと終わりました。また、この日は僕のほかに原告団のうち一名の市民の方が大気汚染の認識等について立派な証言をされました。

問われるべき事業者の責任

さて、そういうわけで僕の証言はある意味で客観的な内容に収まったと思います。もちろん、証人を引き受けている時点で原告側の価値に寄り添っているのですから、客観中立を装うつもりはありません。しかし、一般的な知見を大きく逸脱した個人的な意見を法廷で申し上げるような場面は、幸か不幸か訪れることがなく、ほっとしたような物足りないような気持ちで証言を終えました。

もしも僕がこの特定の火力発電所をどうしたらよいと思うか個人的で率直な意見を問われたら、かなり面倒な説明をすることになったでしょう。正直なところ、CO2の問題だけを考えるならば、この発電所がすでに建設されてしまったことを前提とすれば、その稼働を差し止めるよりは、代わりに別の旧式の発電所を止める方が合理的だろうという認識が僕にはあります。また、もしも被告が、「コストがかかってもいいからグリーンアンモニア専焼を目指してこの発電所は使い続けます」と言うとしたら、僕ならば「それが本当にできるのであれば、御社の経営判断の問題ですからどうぞやってください」と言うでしょう。もちろん、大気汚染の問題を含めて考えれば、稼働の差し止めにもっと強い合理性が生まれるでしょうが、僕自身は専門知識が足りないことから、今回は大気汚染を自分の守備範囲外に置いていました。

このように書くと、僕は原告団や弁護団の思いに比べて、被告に対して「甘い」ように見えるかもしれませんが、決してそういうつもりはありません。すでに述べたように、火力発電所の新設は1.5度目標との整合性の観点から極めて望ましくありません。特にCO2排出量が大きい石炭火力発電所はなおさらです。パリ協定成立以降に石炭火力発電所を新設する経営判断は、この国際合意にもとづく科学的な認識を軽視したものとみなさざるをえません。その結果、日本および世界の1.5度目標への道のりを一歩後退させた事業者の責任は、厳しく問われるべきであると考えます。

なお、現在はロシアによるウクライナ侵攻の影響で世界的にエネルギーが逼迫しているため、石炭火力の新設は歓迎すべきではないかという見方があるかもしれません。しかし、僕の理解では、脱炭素を目指しながら危機を乗り切るためには、既設の火力発電所をキープしつつ、新規のインフラ投資はあくまで脱炭素電源を増やす方向で行なうべきです。

気候変動訴訟の大きなメッセージ

最後に、気候変動訴訟の難しさ、特に特定の排出者の責任を問う訴訟の難しさと、それについて考えたことを述べておきます。気候変動は、従来型の公害問題に比べて、汚染者と被害者の関係が間接的にならざるをえません。神戸の石炭火力からのCO2排出は世界全体の人間活動による排出のごく一部を構成し、世界全体の排出の結果としての地球温暖化が、神戸に住む人々を含む世界全体の人々に影響をもたらします。大気汚染の場合に、神戸の石炭火力からの排出が主にその周辺に住む人々に直接的に影響を及ぼしうることに比べると、これは非常に間接的です。このことから、神戸石炭行政訴訟の方では、CO2の問題については原告に争う地位(原告適格)を認めないという判決が続いてきています。

世界的には、オランダやドイツの気候変動訴訟で国に対して排出削減の強化を命じる歴史的な判決が出ています。そこでは、原告に「安定した気候を享受する権利」を認め、被告に世界全体の排出削減の中で応分の責任を果たす義務があることを認めることで、因果関係の問題がクリアされているようにみえます。日本の司法における考え方もこれに追いついていくことを望みますが、それでも、特定のCO2排出源の差し止めを命じる判決は世界的にもまだ例が無いようです。

実際のところ、神戸製鋼の石炭火力発電所を止めることによって、周辺住民が気候変動の悪影響を受けるリスクがどの程度減るかについて、もし僕が科学的な認識を問われたなら、「直接的には無視できる程度である」と答えるしかなかったでしょう。

では、特定の発電所の新設に反対することは科学的に意味が無いと僕が思っているかというと、もちろんそうではありません。問題にしている発電所の排出量が世界全体の排出量の数千分の一だったとして、それが小さいことを理由に誰も文句を言わずに新設が許されてしまうなら、同じ理由で新設を許される事業者が世界に数百、数千とあることで、世界の排出量は有意に増加してしまうのですから。

さらに、裁判の勝ち負けは別として(という言い方をすると原告団や弁護団の方々にわるいかもしれませんがご容赦願いつつ)今回のような訴訟の意味をより広い文脈で考えれば、「この石炭火力発電所の新設を許すべきでないと思っている人たちがいる」ということを可視化する、社会に対するメッセージとしての意味は、とても大きいように思います。

このことは、グレタ・トゥーンベリさんが二〇一九年に飛行機に乗らずにヨットで大西洋を渡ったことに似ています。グレタさんが飛行機に乗らない理由は、自分一人分の飛行機のCO2排出を削減したいからではありません(グレタさんが乗らなくても飛行機が飛べば、同じだけのCO2が排出されるわけですし)。グレタさんは、「現在のように飛行機で大量に人が移動することは持続可能ではないのだからシステムを変えねばならない」というメッセージを発するために、ヨットに乗ったのです。

同じように、神戸の石炭火力発電所の新設に反対することは、その発電所からのCO2排出と大気汚染を回避するという意味を超えて、「石炭火力の新設が許される社会は持続可能ではないのだからシステムを変えねばならない」というメッセージを国内外の社会に向けて発するという、極めて大きな意味があるのだと思うのです。

今の日本の常識の中で、このメッセージがどれくらい響くかはわかりません。しかし、このようなメッセージが繰り返し発せられることにより、常識が少しずつ変わっていくことを僕は望みます。

(初出:岩波『世界』2022年10月号「気候再生のために」)

転載にあたっての追記:この裁判は10月18日に結審し、来年3月20日に判決が出る予定です。

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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