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コロナ禍でリスクが高まり、著名人自殺報道が引き金に~報道のあり方と政府の情報発信の改善を

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
生の「阻害要因」より「促進要因」を増やすことで、自殺を減らせる(写真:アフロ)

 コロナ禍の影響で様々な悩みを抱えたり、元々自殺念慮があったりしながらも、なんとか持ちこたえていた人たちにとって、相次いだ有名人の自殺やその報道が引き金になってしまったのではないか――厚労相指定法人「いのち支える自殺対策推進センター(JSCP)」の清水康之・代表理事が11月25日、日本記者クラブで記者会見を行い、7月以降の自殺者が増えている原因を、こう分析した。

女性に多い、自殺報道後の自殺

清水さんの会見資料より
清水さんの会見資料より

 警察庁の自殺統計によると、2月から6月までの自殺者数は、過去5年間のいずれの年よりも少なかった。ところが、7月に急増して昨年の数を超え、10月に更に増えて、過去5年のすべての年をも上回った。その結果、今年に入ってからの累計自殺者数は、昨年の同じ時期より244人増えている状態だ。

 それを日別に分析すると、自殺したとみられる人の数は、午後に男優の自殺が報じられた翌日の7月19日と、朝に女優の自殺が報道された9月27日に、ぐんと跳ね上がっている。その後、しばらく多い日が続き、なだらかに減少している。この傾向は、男性より女性に顕著だ。

清水さんの会見資料より
清水さんの会見資料より

 たとえば、女優の自殺後、約10日間にわたって、女性の自殺者数が有意に増加。たとえば10月1日は、この5年間の自殺者数を元にした予測値の2倍を超えた。10月は、20代と40代の女性の自殺が、昨年同時期の2倍以上となっている。

コロナ禍で高まるリスク

記者会見する清水康之さん
記者会見する清水康之さん

 清水さんによれば、自殺の多くは、原因は単純なものではない。失業をきっかけに、借金苦や家族との不仲を招くなど、いくつもの問題が連鎖的に発生し、人を追い詰める。自殺に至った人は原因・動機となる問題を平均して4つを抱えている、という。

 昨今のコロナ禍で仕事を失ったり、人間関係が希薄になって孤立したり、自殺の背景となる要因は増え、リスクは高まっている。生きづらさを抱えている人にとっては、表面張力でぎりぎりグラスに留まっていた水が、さらなる1滴によってあふれてしまうように、著名人の自殺報道が最後の一押しになってしまう、と清水さんらは分析している。

自殺報道で死に引き込まれそう

 清水さんが運営しているNPO法人には、自殺報道の後には次のような相談が寄せられている、という。

「芸能人の自殺のニュースを見て、自分もそっちに引き込まれてしまいそうで怖い」(30代女性)

「新型コロナの影響で客が減り、経営が厳しくてお金が心配。自分も自殺して早く楽になりたい」(40代男性)

「もともと生きていたくない。自殺のニュースを見ると、『楽になっていいな』と、死んだ人がうらやましくなる」(20代女性)

「有名人の自殺に関する記事が気になってネットで読み続けているうちに、死にたい気持ちが再燃してしまった」(30代男性)

 自殺報道の影響で自殺が増える現象は「ウェルテル効果」と呼ばれる。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』が出版された後、主人公に触発されて自殺する者が急増した現象から名付けられた。世界保健機構(WHO)は、「自殺報道報道ガイドライン」を策定し、報道機関に対して「自殺をセンセーショナルに報じない」「自殺に用いた手段、発生した場所の詳細を伝えない」などを求めている。

”パパゲーノ効果”を期待したい

 清水さんは、これを元に報道各社が自分たちのガイドラインを作り、自殺の報じ方に注意を払うよう呼びかけると共に、こうも語った。

「報道は自殺を誘発するウェルテル効果があるだけでなく、やり方によっては、自殺を抑制する『パパゲーノ効果』を発揮することもできる」

パパゲーノ
パパゲーノ

 パパゲーノはモーツァルトのオペラ《魔笛》に登場する鳥刺しの男。人生に絶望し、木に縄をかけて自殺しようとしたところを3人の童子に諭されて思いとどまり、そこに恋人となる女の子パパゲーナが登場して、がぜん未来に希望を持つ。

「自殺を考えている人が、自分と同じような状況にありながら生きる道を選んだ人の話に接することで、自殺とは別の選択肢もある、と知ることができる。メディアは、そういう『もう一つの物語』を届けて欲しい」

ネット社会での注意点

 日本の自殺報道は、以前に比べて、だいぶ改善された、と清水さんは評価している。

「ただ、多くの報道が自制的でも、ネット社会では刺激的な情報が広く伝わりやすい。多くのメディアが、WHOのガイドラインを守っていても、一部のメディアによるセンセーショナルな情報が、SNSで拡散されてしまう」

大事なのは「阻害要因」より「促進要因」を増やすこと

 清水さんによれば、自殺のリスクは、生きることの「阻害要因」が「促進要因」を上回ってしまった時に高まる。経済状態が悪いなどの「阻害要因」が大きくても、人々の助け合いなど「促進要因」が十分ある社会では、自殺は増えない。逆に、「阻害要因」がそれほどなくても、多くの人の自己肯定感が低くて生きる気力が持てないなど、「促進要因」が不足していると、自殺リスクは高くなる。

 コロナ禍の今は、「阻害要因」が増えている。これを減らすことはもちろん大事だが、こういう時期だからこそ、「促進要因」を増やすことが大切だ。

今こそ、「公助」を伝えるべき

 そのためにも政府の積極的な対応が必要だと、清水さんは力説する。

「今こそ、政府はこう言って欲しい。『最後には生活保護がある。これは制度であって、施しではない。命や生活を守って欲しい』と。そのうえで、他にも使い勝手のいい制度はあるのだから、それを積極的に伝えていく。日本の行政は申請主義で、本人が申し込まないと対応をしてもらえないが、こういう時こそ、政府によるプッシュ型の情報発信が必要だ」

 菅首相の持論は「自助・共助・公助」だが、国民の命を守るためには、政府としてまず「公助」を前面に打ち出すべき時ではないか。

「生きるって捨てたもんじゃないよ」

 社会の1人ひとりも、身近な人の生への「促進要因」に関わることができる。清水さんは言う。

「今は、人と人との接触にも、私たちは不便さを実感している。そういう時代かからこそ、欠けているものを埋め合うような機会にしたい」

「教育の場でも、『生きているって捨てたもんじゃないよ』と伝えることが大事」

 かつては、個人の問題として考えられていた自殺は、今では社会問題として、自治体の大事な課題の一つとなり、様々な知見の積み重ねもなされてきた。今こそ、総結集すべき時ではないだろうか。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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