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悪質タックル「嫌疑なし」は「理不尽」にあらず

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
日本大学フェニックスの試合の写真ですが、本事件とは関係ありません(写真:山田真市/アフロ)

 日本大学アメリカンフットボール部の選手による悪質タックル事案で、警視庁が前監督と元コーチについて「犯罪の嫌疑なし」と判断したことに、ネット上では「ありえない」「そんなばかな」「タックルしたA選手がウソをついたというのか?!」等々、否定的な反応が飛び交っている。

 ネット上だけかと思いきや、さにあらず。新聞にもこんなコラムが載った。タイトルは「理不尽な結論」。

〈えーっ、なんで?! ではあの反則は選手の勝手な暴走だったのか〉(2月6日付東京新聞 斎藤美奈子氏の「本音のコラム」)

 どうして、こんな風に「100かゼロか」というシンプル思考に走るのだろう。前監督らの「刑事責任」を問えないからといって、警察が「選手の勝手な暴走」「記者会見での告白はウソ」と認定したわけではない。物事を極端に単純化し過ぎだ。

 さらに斎藤氏は、女子体操選手が日本体操協会からパワハラを受けたと訴えた問題等にも触れて、今回の警視庁の判断をこう結論づけている。

〈勇気をふるって声を上げた人たちの告発が認められず、指導者側に好都合な結論が出る理不尽。とても鵜呑みにはできない〉

 「鵜呑み」にする必要はなく、報じられた捜査結果に不審点があれば、それを指摘すればよい。だが、それもないままに「理不尽」と決めつける方が、よほど理不尽だろう。

罪に問えるだけの証拠や証言はあるのか

 刑事責任を問うには、証拠や証言によって、その人が犯した犯罪事実を、一般人なら誰でも疑問を抱かない程度に証明する必要がある。

 では、本件の証拠や証言はどうだったのか。

映像解析の結果

 報道によれば、警視庁は試合中の映像を解析。場面場面での、監督やコーチの立ち位置や顔の角度などを細かく分析した。その結果、監督の視線はボールを追っていて、問題の悪質タックルを見ていないことなどが確認された。

 日大第三者委員会調査の中間報告では、前監督は悪質タックルを視認しながら、交代もさせずA選手のプレーを続行させていたとして、事前にこうした行為を「あらかじめ了解していたことを強く推認させる」と”有罪認定”の根拠にしていた。同報告ではさらに、悪質タックル直後に、コーチが監督に近寄って「やりましたね」「おお」という会話を交わしたともされていた。こうした事実が、映像解析など客観証拠の捜査で否定された。

事情聴取の結果は…

 さらに、捜査では関係者計195人への聞き取りを行った、という。その結果、関東学生アメリカンフットボール連盟(関東学連)の調査に応じ、監督がA選手に対して「反則してでもいいからQBを潰してこい。責任はおれが取る」などと言っていた、と述べていた部員たちが、警視庁の調べにはそれを否定。「報道を見てA選手のためになんとかしなくてはいけない、選手の話に沿うように証言しなくては、と思った」などと説明したという(2月6日付朝日新聞)。結局、監督が悪質タックルを指示するのを聞いた人は確認されなかった、とのことだ。

(photolibraryより。無断転載を禁ず)
(photolibraryより。無断転載を禁ず)

 コーチは記者会見でも、「潰せ」と言ったことは認めつつ、「けがをさせろという趣旨の指示はしていない」と主張していた。捜査でも、「激しく当たれ」「思い切りプレーしろ」という意味だった、と述べただろう。裏付け証拠もないままに、こういう多義的な表現を、特定の意味に解釈し、人を有罪にしてはならない。結局、元コーチの主張を崩す証拠はなかったとみられる。

罪に問うのは慎重であるべき

 報じられた捜査結果を見る限り、罪に問うのは難しい事案だ、と警察が判断したのは、適切な判断と言うべきだろう。人を罪に問うのは、慎重のうえにも慎重でなければならない。立ち止まる時には立ち止まり、引くときには引く。今回の警察の対応は、まっとうだった思う。他の事件でも、こうした慎重な姿勢が堅持されるよう期待したい。

 ところが、そういう慎重姿勢を「理不尽」という人は、無理をしてでも刑事責任を追及することを望んでいるらしい。本件を立件して、どういう展開になると考えているのだろう。長い裁判の末に無罪が確定した時、「裁判所の判決は理不尽!」と叫ぶつもりなのだろうか。評論家はそれをネタに原稿を書けばいいだけだが、A選手を含め関係者にとって、そのような事態は何の益にもならないと思う(そもそも2人が起訴された場合に、実行犯たるA選手はおとがめなし、という展開は考えにくい)。

 警察にしてみれば、供述証拠に頼りすぎた捜査で冤罪を作れば批判され(当たり前だ)、かといって今回のように、客観証拠を慎重に精査して立件できないと判断しても怒られるというのでは、いったいどうすればいいのか、と言いたいだろう。

警察は選手の告白をウソ認定してはいない

 刑事責任を問えないからといって、A選手が記者会見で語ったのはウソと警察が判定したわけではない。彼は、自分の体験や認識を正直に述べたと思われる。前監督から直接「潰せ」と指示されたとは言っておらず、故意に前監督の責任を重くしようとはしていない。「相手のQBを潰してこい」との言葉は、コーチ自身も否定していないことは、前述の通りだ。

 問題は、なぜA選手がコーチの言葉を「本当にやらなくてはいけない」と受け止めるほど追い詰められたのか、だ。

 関東学連の調査報告書では、次の5項目を上げている。

1)監督の指導者としての資質の欠如

2)指導者がコーチ倫理及びスポーツマンシップを著しく欠いていた

3)指導陣が対戦相手に対するリスペクトを欠いていた

4)監督のワンマン体制

5)A選手自身の心の弱さ

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 また日大第三者委員会の最終報告書では、前監督の「独裁体制下」での指導が

(1)勝利優先であり、フェアプレーやアスリート(学生)ファーストの精神など学生スポーツ本来のあり方が失われていた 

(2)選手の主体性が考慮されることなく、選手との対等なコミュニケーションもなく、選手に一方的に過酷な負担を強いていた 

(3)指導陣相互の自由なコミュニケーションがなく、コーチは監督に迎合するばかりで選手に寄り添う者が不在だった 

(4)部長が役割を果たしていなかった

――などの諸点を上げている。

警察に持ち込むべき事案だったのか

 日大の報告書については、斎藤氏も指摘するように、弁護士やジャーナリストで構成する第三者委員会報告書格付け委員会(委員長・久保利英明弁護士)で4段階中CもしくはDという辛口評価になっている。ただ、同委員会はメンバーが直接関係者にヒアリングをして事実を確認するのではなく、調査の手法や程度などを日弁連のガイドラインに沿って評価し、第三者委員会の調査全体を向上させようとするものだ。この報告書に関しては、「日大のガバナンス問題や組織構造的な要因に対する調査が不十分」「田中理事長に対してヒアリングを実施したのか、どのような回答があったのかという重要な情報が欠落している」点がマイナス評価の要因となった。

 こうした調査報告では十分な真相解明ができていないと考えるなら、今回の捜査結果を踏まえて、補足調査をするよう求めればよいと思う。ただ、それを行うのは警察の役割ではない。「真相解明」をすべて警察に持ち込まれても困るだろう。

 そもそも、今回のケースは、本来、警察に持ち込むのがふさわしい事案だったのかも疑問だ。

 被害者サイドが警察に被害届を提出したのは、日大の対応に対する不信感からだった。日大側の初期対応がもっと違っていれば、刑事事件として扱われることもなかったのではないか。日大の危機管理のまずさとメディアの異様なまでの盛り上がりが、事態を必要以上に大きくしたように思う。

責任のとり方は刑事罰だけではない

 ただ、刑事訴追されないからといって、前監督や元コーチには何の責任もない、ということでは、もちろんない。すでに、2人は指導者としての責任を問われ、その職を解かれたばかりか、関東学連から「永久追放」に当たる除名処分を受けている。2人は異議申立をしたが、認められなかった。今回の「嫌疑なし」との判断の後も、関東学連関係者はメディアの取材に「処分の変更はない」という見通しを示している。

 特に30歳とまだ若い元コーチにとって、職を失うというのは、決して小さなペナルティではないと思う。大学、あるいはアメフト部という組織としての対応のまずさと、メディアの盛り上がりや熱い世論の中で、相応の(あるいはそれ以上の)大きな責任を負った、と言えるのではないか。

 職を辞しても不十分な場合、事案によって、被害者が損害賠償請求で民事責任を追及する場合もある。責任のとり方はいろいろだ。

 なのに、無理をしてでも刑事責任を追及しなければ許されないと言わんばかりの論調には、賛同できない。

 被害者が刑事処罰を強く求めているならともかく、直接に利害はなく、また関係者たちの状況がよく分かっているわけでもない第三者が、なぜ、かくも熱くなって刑事責任の追及を求めるのかも、理解に苦しむ。

 斎藤さん、そして今回の警察の判断に異議を唱えている皆さん。1度、冷静になって考えてみませんか?

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ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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