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なぜ「ひかりの輪」は観察処分取り消しになったのか

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
地下鉄サリン事件当日の日比谷線神谷町駅(写真:Kaku Kurita/アフロ)

 いかにも妙な理屈だった。

 オウム真理教の後継団体である「Aleph(アレフ)」と「ひかりの輪」が、団体規制法に基づく観察処分を2015年に更新したのは不当だとして、それぞれ国を相手取って、決定の取り消しを求めて訴えていた裁判。東京地裁は、ひかりの輪の更新決定を違法と認め、取り消したのだが、その理由は、「アレフとは1つの団体であると認めることができない」からだという。

ひかりの輪とアレフは性格が相当に異なる、と

 ひかりの輪は、オウムの元幹部上祐史浩氏が2007年5月、アレフから分裂して設立した。判決では、次のように同団体を評価している。

〈設立に当たって制定された「基本理念」では、松本(=麻原彰晃こと松本智津夫)に対する絶対的帰依が否定されており、オウム真理教において松本がシヴァ神の化身であるとされたことを踏まえ、シヴァ神を崇拝しないものとした上、平成24年頃からは哲学教室への変革を標榜するようになった〉

 一方、アレフはどうか。

〈これに対して、アレフは、ひかりの輪の分派後、むしろ松本への帰依を深めるようになっており、少なくとも表面的には、ひかりの輪とアレフの性格は相当に異なるものとなっている〉

 判決は、アレフは観察処分の更新は取り消さなかった。

 そして、ひかりの輪はアレフとの間に人事交流はなく、行事や事業の共同開催もなく、両者の幹部間の連絡や指示があったとする証拠もない……などから、この2つについてこう結論づける。

「1つの組織体として共同の行動をとり得る関係にあったとは認めることはできない」。

 だから、ひかりの輪の観察処分は解除すべき、というのだ。

 どうして?!

 アレフはアレフ、ひかりの輪はひかりの輪として別個に検討し、アレフには必要性があるから継続し、ひかりの輪はそうでないから解除する、という建て付けなら、(その結論に同意するかどうかは別にして)理解できる。でも、そうではない。両者は別団体だから、ひかりの輪は観察解除、という理屈は釈然としない。

一団体として扱う国のこだわり

 判決文を読んで、ようやく分かった。

 それは、国側が、両者を1つの「継続的結合体」として扱い、裁判でもそのように主張するだけで、それ以外の主張を展開しなかったからだ。アレフはオウムの教義を広め実践する団体だと分かりやすいが、ひかりの輪はオウムとの決別を公言している。けれども、両者を一体の組織とみることで、ひかりの輪にもアレフと同じ処分が課せられると考えたようだ。

 団体規制法には、観察処分後に団体が分裂した時に、処分の更新について明示した規程はない。なので、双方の団体に観察処分の更新決定が行えるかどうかは、「(法の)解釈上の問題である」と判決は言う。

 にもかかわらず、国は、ひかりの輪とアレフが別個の団体だとしても、それぞれに期間更新をすることができる、という解釈を主張しなかった。そのため、裁判所は国の主張する”両者一体説”の是非のみを判断。「その余の争点については判断するまでもなく」ひかりの輪の主張を認めた、というわけだ。

 分裂から10年。アレフとひかりの輪の活動は、その態様も規模もかなり異なる。にもかかわらず公安調査庁が当初の主張にこだわり、無理やり両者を1つの団体として扱うという”悪手”を続けてきたのが、今回の判決を招いた原因だろう。

 本裁判の中でも、国側は、これまでの調査に対する非協力な姿勢を強調したが、ひかりの輪からは「ほとんどがアレフに関する事項で、ひかりの輪には無関係」と反論されている。アレフの悪事を自分たちに押し付けられ、一緒にされてはたまらん、というわけだ。

 実態を無視した主張は、説得力を疑われ、いずれ排斥される。それが今だった。

記憶の風化の中で

 地下鉄サリン事件からすでに22年が経過し、当時の記憶が風化したことも影響しているかもしれない。

 私にとって、ひかりの輪の代表である上祐氏と言えば、1989年11月に坂本弁護士一家が行方不明となり、オウムとの関連性が強く疑われて以降、教団の幹部であり広報担当として、事実と異なる情報を発信し、批判に反撃したり、追及をかわしたりしてきたことの記憶が根強い。地下鉄サリン事件の後も、明らかに誤った情報を発し、生放送でなければ出演しないとか、自分がスタジオにいる間は私(江川)を番組に出さないようテレビ局に要求するなど、情報操作に努めて世論を惑わそうとした。

 その印象があまりに強く、同氏がいかなる説明をしても、そうそう簡単に信じていいものかと、疑いの芽がいつまでも残る。

 しかし、歳月の経過と共に、同氏についたネガティブなイメージも、世間では少し薄らいだのだろうか。メディアでの彼の取り上げられ方からも、そんな気がする。裁判所も、上祐氏らの主張を先入観なく、警戒心や疑いを抱くこともなく聞いたのだろう。そんな中で、ひかりの輪の主張を崩す証拠を、国側がしっかり示せなかった、ということだ。

ひかりの輪のオウムからの離脱は本物か

 

 私も、アレフとひかりの輪は、その活動内容はかなり違うと思う。とりわけ、教祖や教義に対する距離感は大きく異なる。オウムからの離脱が本物なら、社会に対する危険性もぐっと低減する。なので、両者に対する社会の対応にも差をつけるのは理解できる。

 むしろはっきり差をつけた方が、社会に対する融和的な姿勢を示せば認められていいことがあると、迷いながらも松本の呪縛から離れられずにいるアレフのメンバーに知らせることができるだろう。

 ただ、ひかりの輪のオウムからの離脱は、本当に、間違いなく、本物なのか? 観察をやめても、その後態度は変わらないか?私は今なお、「イエス」と言い切ることができずにいる。松本の死刑が執行された後はどうなるか。10年後、20年後にどうか。次の代になって、オウムが復活するような種子がまかれていないか……。過去の体験が強烈過ぎて、そんな疑念をぬぐい去ることができない。おそらく、オウムによって様々な被害を受けた方々も同様ではないか。いや、もっと厳しい目を向けていることだろう。

国は実態に即して判断を

 2つの組織が、オウム真理教の後継団体であることは間違いない。

 国は、この2つを無理やり1つの団体として処分するのではなく、違いは違いとして認めつつ、その実態に即して、それぞれに「活動状況を継続して明らかにする必要がある」か否かを、改めて判断し直すべきではないか。

 判決に対して、国は控訴する方針、と伝えられる。控訴審がどう判断するか分からないが、国は早期に軌道修正した方がよいと思う。

 これまでの説にこだわり、両者が一体ではないから一方は観察処分解除、という今回の理屈建てで結論が決まってしまうのは、少なくとも私は納得がいかない。

 上祐氏はこの判決の後、記者会見を開き、これまでの観察処分について「長期にわたる人権侵害だ」として、国家賠償を求める考えを示した、と報じられている。だが、主張が信頼されず、アレフとの一体性を疑われたのは、自身の過去の言動の影響が大きいのではないか。それを省みることなく、賠償(原資は国民の税金)の請求となれば、「やっぱり変わっていない」と思う人は少なからずいるだろう。

被害者は「事件前に逆戻りしないか」と不安

 地下鉄サリン事件の遺族で被害者の会代表世話人の高橋シズヱさんも、上祐氏が国賠に言及したことについて、「思い上がりではないか。あの人は、未だに私たちに謝罪もしていない」と憤慨する。今回の判決について、高橋さんは「これからどうなってしまうのか……」と不安を隠さない。

「観察処分でオウムの残党はしっかり監視してしているというので安心していた。この判決が確定すれば、監視の目が届かず、何をしているのか分からなくなり、オウム事件の前に逆戻りになってしまうのではないかと怖い。

 国は、テロ事件を起こした団体なんだから、裁判所も観察処分を外すことはないだろうという安易な気持ちがあったのではないか。向こうは、観察処分逃れのために必死に都合のいいことをアピールしているのだから、もっと危機感を持って対応してもらいたい」

(9月27日午前11時28分 オウム事件被害者の高橋シズヱさんのコメントを加筆しました)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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