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検察官の証拠開示のあり方が問われる~準強制わいせつ罪に問われた医師の初公判

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

30余年様々な裁判を見てきたが、法廷で検察官が弁護人に開示していない証拠を請求し、裁判官にたしなめられる、という光景は初めて見た。手術後の女性患者にわいせつな行為をしたとして起訴され、無実を訴えている関根進医師(41)の初公判でのことである。

「乳腺外科医のプライドにかけて無罪を主張します」

この日の東京地裁
この日の東京地裁

この公判は、11月30日に東京地裁(大川隆男裁判官)で行われた。関根医師は乳腺外科医。起訴状によれば、今年5月10日に非常勤で勤務していた東京都足立区の病院で30代の女性患者の右乳腺腫瘍手術を行ったが、患者を病室(4人部屋)に移した後の午後2時55分から3時12分までの間に、病室で左乳首をなめるなどしたとされている。罪名は準強制わいせつ。

関根医師は黒っぽいブレザーに白いシャツ、ベージュのズボン姿。起訴事実に対しては、はっきりした口調で述べた。

「私はやっておりません。否認します。医師として、手術を適切に行い、術後の診察をしっかり行い、私には何の落ち度もありません。乳腺外科医のプライドにかけて、無罪を主張します。わいせつ行為などありません」

さらに、8月25日に逮捕されて以来、保釈が認められないまま身柄拘束が続いている窮状を、時折声を詰まらせながら、次のように訴えた。

「私には妻と3人の幼い子どもがいます。私にはその家族を護る責任があります。しかし、長期の勾留により、その責任が果たせていません。貯金が底をつき、借金、失業、報道による被害もあり、生活は危機に陥っています。1日も早く、元の生活に戻ることを、強く願っています」

続いて弁護人が、起訴事実が捜査段階の被疑事実と大幅に変わったことを指摘。「被害者供述が、実際に捜査で確認されたことと合致しなかった」「本件は、本来、起訴に耐えないものだった」などとして、検察側の対応を批判した。さらに、被害を訴える女性の供述は、麻酔から覚める途上の半覚醒状態の時期のリアルに感じる妄想、幻覚によるものだとして、「被告人の犯行は存在しません」と主張した。

検察側は被告人のDNAが大量に検出された、と主張

その後、検察官が冒頭陳述を行った。それによると、被告人は2度にわたって病室を訪れ、1度目に女性患者の左乳首をなめて吸う行為をし、2度目に自分の手をズボンの中に入れるなど不審な行動を行ったため、女性はカーテンの外にいた母親を呼んだ。女性は母親に被告人が自慰行為をしていたと訴え、「左乳首の臭いを確認して」と頼んだところ、母親は生臭いツバの臭いを確認した。女性は知人にLINEで状況を伝え、その知人の110番通報で警察官が急行して、女性の身体の付着物を採取した。そこから唾液と被告人のDNA型が検出され、しかもそのDNAは会話による飛沫とは考えられないほどの量だった、という。

開廷前の法廷で封筒を渡したのが事前の開示?

それに引き続いて、検察側が証拠請求をする段階で、弁護人が検察側の証拠開示についての問題を指摘した。

「(初公判の)直前に出された証拠や、まだ開示されていない証拠が含まれている。(そうした証拠は弁護人が内容を)確認していない」

検察側は59点の証拠を請求しようとしたが、そのうち5点については、事前の開示がされていなかった。

裁判官が「事前に開示していない証拠は請求できないはずですが」といぶかしむと、検察官は「先週木曜日の打ち合わせの時に、弁護側が証拠を全部不同意になる見込みと聞いて、追加で立証が必要かと思い、追加しました」などと弁明。

裁判官が「あらかじめ弁護人が閲覧する機会がなかったものを請求するのはどうか」とたしなめると、検察官はこう言った。

「さっき渡しました」

弁護人は大きな茶封筒を手に取り、「これ?」と聞く。開廷直前に法廷で検察官から、この封筒を渡されたため、弁護人は中を改めるヒマもなかったらしい。

「法廷で渡したものを、(事前の)開示とは言わないでしょ」と弁護人は呆れたように抗議した。

結局、事前の開示がなかったものは、欠番扱いに。それを除いて弁護人は証拠意見を述べたが、ほとんどが不同意で、一部は留保。そのため、この日に採用された証拠はなかった。

「迅速で充実した審理を」と裁判官

弁護人は、次回公判を年内に開くように求めたのに対し、裁判官は次のように述べた。

迅速で充実した審理を望んでいる。準備には(検察側弁護側双方が)ご尽力いただきたい。ただ、なかなか込み入った事案で、主張は激しく対立し、検察側の証拠点数もあり、整理も容易ではない。これらを解きほぐして争点、証拠の整理をしていく必要がある」

次回公判期日は決定せず、今後三者が協議して決めていくことになった。

なお、検察官席には3人の検事のほか、被害を訴えている女性の代理人弁護士が座り、さらにその横には衝立で仕切って傍聴席から見えないようにして、その女性がいた。女性は被害者参加制度を利用して、裁判に参加している。

証拠開示を充実させる改正訴訟法が施行されるのに

それにしても、証拠開示を巡る検察の対応は、お粗末に過ぎるのではないか。

関根医師は当初から否認しており、弁護団は捜査に対しても極めて原則的な対応で、警察検察に対峙してきた。検察側が有罪立証のために請求する証拠のほとんどを、弁護側が不同意とすることは、とうに予測がついたはずだ。それを、先週になって知ったと言い、慌てて別の証拠を追加したというのは、まるで弁解になっていない。

主任弁護人の上野格弁護士は、「事前に開示された証拠でも、初公判の1週間前の開示で、弁護団が十分検討できていないものもある。検察側の証拠開示が遅すぎる」と憤る。

起訴は9月14日で、それから2ヶ月半。初公判の直前まで、証拠を準備できていない検察側のドタバタぶりは、いったい何を意味しているのだろうか。

被害を訴える女性患者の警察段階の調書などの重要証拠も、開示が遅れ、しかも未だにすべてが開示されていない可能性がある、という。

検察官の手持ち証拠の開示は、取り調べの可視化などと並んで、刑事司法改革の中でも注目されている点の一つ。今年5月の刑事訴訟法改正で、開示の範囲が拡大され、被告人や弁護人から請求があった時は、検察官の手持ち証拠の一覧表を交付も義務付けられた。これに関しては、12月1日から施行される

証拠開示を充実させるという法改正の趣旨が、未だ検察の中に浸透していないのではないかと、心許ない。

事件の余波を防ぐためにも

この事件は、全国の医師たちに少なからぬ衝撃を与えた。支援者が身柄の早期釈放を求める署名を始めたところ、医療関係者ら3万人の署名が集まった。

初公判を傍聴に来た、関根医師とは医大時代に同級生だったという男性開業医は、こう語る。

「彼はまじめで努力家で、大学1年の時はそれほどでもなかったのに、6年生の時は学年で成績がトップだった。友人と、まさか彼がこういう事件をやるとはありえないよね、と言い合っている。この事件があって、女性の患者さんを診るのが怖くなった。若い女性の場合、看護師さんに代わって触診してもらったこともある。女性の患者さんは、できれば女性の医師のところに行ってもらいたい、と思うくらい怖い。まさか診察室にビデオカメラを設置するわけにもいかないし……」

かつて、福島県の病院の産科で患者が死亡したことについて、医師の刑事責任が問われた事件では、逮捕から無罪確定まで2年半余りを要したが、この事件が産科医不足に拍車をかけた、と指摘されている。

関根医師の件も、全国の医師たちに無用な萎縮を招きかねない。そうなれば、ひいては患者にとっても不利益となる。

それを考えると、本件はできる限り迅速で中身の濃い審理を行い、早期の事案の真相解明に努めて欲しい。そのためにも、裁判官が「準備にご尽力を」と要望したように、検察官の積極的な証拠開示が求められる。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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