「法案可決しても運動はさらに続く」  ~憲法学者らが国会前でリレートーク

左から長谷部早大教授、樋口東大名誉教授、山口法政大教授、一人おいて石川東大教授

9月16日、安保法制は地方公聴会が行われ、与党は特別委員会で締めくくりの質疑を行おうとする中、参議院議員会館前で、法学や政治学などの研究者で作る「立憲デモクラシーの会」がリレートークを行った。13人の学者が、法案や政府の進め方を批判しつつ、一連の運動は可決後も終わらず、賛成議員の落選運動や違憲訴訟、さらには選挙以外にも市民が政治に参加する文化を創っていくなど、これからに向けての思いや考えを口々に語った。多くの人々が、時折小雨が降る中、話に聞き入った。

それぞれの発言要旨は次の通り。

樋口陽一(東京大学名誉教授・憲法学)

二つ話をします。

第一に、議員諸公への呼びかけです。日本の命運を左右するような法案、それも日本の国会に提出する前に、外国の議会で約束してきた法案を、こんな状態で通してよろしいのか。みなさん一人ひとりが歴史に対する責任を持っている。一人ひとりの考えに忠実に、組織も政党も派閥も離れて、自分たちの1票を投じて下さい。若者も自分たちの意見を公にし、行動しているではありませんか。

みなさん、憲法43条というのがあるんですよ。議員は、全国民を代表する、と書いてあるんです。政党の代表でも派閥の代表でもないんです。国民の立場にたって、自分の良心に照らして投票しましょう。

第二に、私がこのギリギリの段階で言うまでもなく、日本国の命運を左右するような法案が、なんとも軽い、不真面目な仕方で扱われてきている。しかし。だからこそ、と言った方がいいのかもしれない。今回のように一人ひとりの国民が、若者も年金生活者も、男も女も、毎日、こんな雨の中を集まってきてるじゃないですか。現政権は、憲法という意味でのConstitutionだけじゃなくて、日本社会が作り上げてきた社会の構造そのもの、社会のconstitutionを壊しにかかっている。しかし、絶対に壊れないものを、もう私たちは作ってきました。これが、今日ここにいる皆さんとの絆です。何が起ころうと、これだけはもう壊れない。壊させない。そのことを確認して、次に譲る。

千葉真(国際基督教大学特任教授・政治学)

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このいい加減な審議で今日、明日にも決議しようとしている。暴挙である。国民の8割が政府の説明が十分でない、納得していないと言っている。安倍首相も国民に納得してもらっていない、と認めている。6割が、この国会で決議に反対している。常識からして、廃案しかない。

国会周辺でのデモは、もしこれが可決しても、これからも継続していくことになる。次期の参院選、さらには衆院選で与党の議員を落選させる運動につなげていく必要がある。

違憲訴訟をやっていく必要もある。誤った政治、誤った統治を止めていかないと、将来に禍根を残す。安倍政権は、戦後最悪の政権だ。

阪口正二郎(一橋大教授・憲法学)

一つは、安倍総理がいう「法案に対する理解」の問題。安倍総理は、法案に対する国民の理解が「進んでいない」と認めている。じゃあ、自民党は理解が進んでいるんですか? 法案の審議で、いろんなことを言うが、二転三転している。自民党の議員自身、防衛大臣、安倍さん自身が法案の中身を理解してないから。他方、この法案が憲法違反である、という国民の理解は、確実に進んでいる。

こういう憲法違反の法案が、おそらく採択されるのでしょう。だからといって、私たちの運動が終わるわけではない。我々がやってきたのは、憲法9条というだけではありません。むしろ憲法9条を支える我々の思いがある。戦後、9条の下でも自衛隊は作られた。しかし、作られた時には警察予備隊としか言えなかった。それはどうしてなのか。警察予備隊は、戦車を持っていたのに、「戦車」と呼ぶことは禁止されていた。それは、日本人が二度と戦争はしたくない、戦争はいやだ、という思いがあって、それに対して、政府も配慮をせざるを得なかったから。

「国民の思い」について語る阪田教授
「国民の思い」について語る阪田教授

60年の安保改定の際に、岸総理が自衛隊の治安出動をさせようと考えた。ところが、当時の防衛庁の赤城長官は「絶対に出してはいけない。どうしても出すなら自分をクビにしてからにして下さい」と反対した。もし自衛隊が国民に銃を向けたら、自衛隊は二度と信頼されない、と言った。それくらい、戦争に対する国民の思いが政府を拘束してきた。それは9条ではなく、私たちの思いが拘束をしてきた。

戦争をしない、他の国を攻めない、他の国にも攻めさせないという私たちの思いをこれからも保っていけば、法律ができても、次の国会で構成員を変えて、法律を変えることもできる。法律ができても、私たちの思いが強ければ、簡単に執行はできない。破防法の時がそうだった。だから、私たちがしっかりした思いを持って、今後の運動を続けていく。

青井美帆(学習院大教授・憲法)

第一に、この法案は一見極めて明白に違憲無効である、と言わざるをえない。政府は砂川判決を正当化の理由にしている。でも、砂川判決は政治にフリーハンドを与えているわけではない。一見極めて明白に違憲無効な場合は、司法が判断する、と言っている。

公聴会でも、裁判所は「違憲」とは判断しないだろう、という意見があった。これに対して、浜田邦夫元最高裁判事は、「大変楽観的な見通しである。司法をなめたらいかんぜよ」と述べられた。このような憲法破壊、立憲主義破壊、暴挙暴走は許されることではない。これは法律家共同体の責任の問題だと考えている。私たちには表現の自由がある、選挙権がある、そして裁判所には違憲審査権が与えられている。万が一通ってしまっても、いろんな方法で追い詰めていきましょう。

2つ目、これほどの反対があるのに、政権はなぜ立ち止まらないんだろうか。もしかしたら、立ち止まれないんじゃないか。自衛隊と米軍は、かなり深いところまで一体化が進んでいて、もはや政治には、その流れを止める力がないのかもしれない。それが、一番恐ろしい。だとしたら、私たち自身が、この流れを止めなきゃいけない。私たちは選挙の時だけでなく、ずっと政治に参加していかなきゃいけない。立憲主義をまともな方向に戻していきましょう。

石田 英敬(東京大学教授・哲学)

今、国際政治学者の一部が、違憲な現実に憲法を合わせようという議論をしている。違憲状態を既成事実として通そうとしているが、その先を考えることが重要。違憲状態を作り出して、なし崩しで憲法を現実に合わせるという議論を立てくるだろう。憲法違反なのだから、憲法の方を現実に合わせようというオピニオンを作り出していくと思う。それにどう闘っていくのかが、重要な課題だ。

中島徹(早稲田大学・憲法学)

アベノミクスと憲法9条問題は密接に関わっている。アベノミクスによって、是正困難なほどに格差が開く。その格差が、経済的な徴兵制度へと向かうことは、アメリカ合衆国の例を見ればよく分かる。集団的自衛権の容認だけでなく、他のことも連動している。

何があっても諦めてはいけない。来年の参議院選挙では、私たちが安倍政治を忘れていない、とはっきり示す必要がある。安倍政治とだけは和解できない。

石田憲(千葉大学・政治学)

国際政治史、特にイタリアとドイツの歩みを研究している。イタリアの中道左派政権時代のプローディ元首相が日本に来て、「日本の平和憲法を我々も参考にしている」と言った。イタリアの憲法は侵略戦争は否定しているが、日本のように派兵自体を禁じるような状況ではない。イタリアは、戦争が終わった後に派兵する、世界第三位の派兵国になってしまい、国民からは厳しい批判が出ている。憲法での歯止めというのが、いかに大事か、イタリアを見ていれば分かる。

最近、メルケル首相は、「シリア難民を受け入れなければならない」と述べたが、その根拠として、憲法(基本法)第一条の「人間の尊厳を尊重しなければならない」という条項が前提になっている。受け入れについては、いろいろもめているが、憲法という基準を政治に適応させていかなければならないという点は、戦後ドイツは一貫している。

日本では、憲法を基準にして、様々な政策の根拠になる、と言えなくなってしまっている。そこを非常に危惧している。他の国がすべていいとは言わないが、憲法を基準にした政治というものを、もう一度考えなければいけないのではないか。

齋藤純一(早稲田大学・政治学)

福沢諭吉の『学問のすすめ』に第七編「国民の職分を論ず」というのがある。政府がその分限を超えて、暴政を行う時、市民はどうするか。一つは膝を屈して政府に従う、二番目は力で抵抗する、三番目は理をもって政府に迫っていく。この三番目が上策である、と福沢は語っています。

理を唱えて異論を提起すれば、それに対し応答しなければならない。しかし、今の政府は異論には耳を貸しません。理に対して、理をもって答える政治を、これから作っていく必要があります。私たちは、異論、反論がもっている、民主主義にとっての力を大事にしていく。多数議席さえもっていれば、何でも決めることができるという政治を、理をもって迫っていく必要がある。政治文化のあり方を変えていくべきだと思う。そのための活動を続けていきたい。

長谷部恭男(早稲田大学・憲法学)

「諦めてはいけない」と熱弁をふるう長谷部恭男・早大教授
「諦めてはいけない」と熱弁をふるう長谷部恭男・早大教授

今回の安保法案は、憲法違反というだけではありません。必要性も合理性もまったくない。(安倍総理は)何のために必要だと言っていたでしょうか?日本人の親子を、米戦艦が乗せるということはあるんでしょうか?そんなことはありえません。それから、ホルムズ海峡に行って機雷の掃海をする。そんな必要性は現実にはないと、安倍首相自身が認めたではありませんか。

この法案が成立すると、北朝鮮はミサイルを作るのをやめますか?中国は南シナ海に進出するのを諦めるんですか?何の意味もないではないですか。

この法案が成立したとしても、諦めてはいけない。この集会自体が、明日への希望の礎になっている。一般市民の方々が、ご自身の判断で、いかなる組織に動員されているのではなく、ここに集まって抗議の声を挙げているではありませんか。これこそ、日本国憲法の精神が社会に根付いたことを示しています。ですから、たとえ成立することがあっても諦めず、明日に向かって運動を続けていきましょう。

石川健治(東京大学・憲法学)

「私のような者でも」と静かに語る石川健治・東大教授
「私のような者でも」と静かに語る石川健治・東大教授

こうやって街頭に出るのは、生まれて初めてで、私のような者まで出てこなきゃならないというのは、それだけ危機が深い、ということ。今回の法案が通ることで、何が失われるのかを、考えていただきたい。我々は、何に敗北しようとしているのか。それは、現在国会で多数を握っている勢力だけではない。それを言葉で言い表すのは難しいが、しつこく考えていかなきゃならない。

その一つ、我々が今、大きな壁として感じているものの一つに、こういった出来事に対して、距離を置いて冷笑的に見ていくシニシズムがある。私自身も研究者であり、健康なシニシズムは持っている。(当初は)こういう所に出てくるのは抵抗があった。しかし、私のような(非政治的で学問至上主義でやってきた)者であっても、やはり立ち向かわなければならない時があるんじゃないか、と思う。

「私のような者でも」という言い方として、"malgre moi"(マルグレ・モア)というフランス語がある。「私のような者であるにもかかわらず」とか「意に反して」とかいう意味だが、60年安保の時に、丸山真男という政治学者が自ら立ち上がろうとされたわけですが、その丸山先生がロマン・ロランとマックス・ウェーバーについて語っている文脈で、この"malgre moi"という表現に言及しています。「私のような者であっても」という気持ちが、非常に大事だと思い、私はここに立っている。立憲の旗を高く掲げて立っているわけです。

我々は、これからも歩みを進めていくわけですが、皆さんも、今ここで、何と立ち向かっているのかをよくよくお考えになって、"malgre moi"の精神で、それぞれの仕方で、政治参加をしていっていただければ、と思います。

広渡清吾(元学術会議会長、専修大学教授・ドイツ法、比較法社会論)

参議院は二院制の下で、どう独自性を発揮するか、長年の懸案だった。衆議院が数で決める場所なら、参議院は良識で決める場所にして下さい。違憲の法案で国民の過半数が反対している法案を成立させる道理はどこにもないではないですか、と強調した。議員のみなさんは、真摯に聞いて下さったと思う。

しかし、もしかして、この法案が成立するようなことがあっても、これだけ国民の運動が広がり、盛り上がり、憲法についての理解が深まった。これから先、どんなことがあっても、憲法9条の意義を日本国民が実現していく。不戦の約束と希望、戦争をしない・戦争に行かないという約束と希望を実現する戦いは、法案が成立しても、国民の盛り上がりを基礎にして、この成果を踏まえて、今後も国民の運動が続いていくと固く信じている。

西谷修(立教大学・哲学)

どんな議論も関係ない、とにかく通せばいいんだということで、議会が空洞化されてしまっている。そういう議会でいいのか。

今日はここに何万人も集まっているはず。こういうことを、我々はずっとやっていかなきゃならないかもしれない。学生が「民主主義ってなんだ」というが、空洞化している国会を前に、「民主主義はコレだ」と言って、我々がここに来る、これによって推し進めていかなきゃならない。

山口二郎(法政大学・政治学)

デモをやって何になるんだと、いろんな人がイチャモンをつけていますが、憲法12条には、自由・人権は「国民の不断の努力によって保持しなければならない」と書いてある。国会議員を選んだ後も、任せきりにしない。我々が国会の前に集まり、こうやって声を出す。これこそが「不断の努力」だ。若い人たちが先頭に立って、国民が選挙以外の時も努力をするという、新しい政治文化を創ろうとしている。我々教師たちも、その若者の動きに教えられ、一生懸命走っている。

さて、国会における安保法制の審議、これほど無様な、これほど無内容なものは、今までなかった。あらゆる質問に対して、無視、はぐらかし、国会討論の体をなしていない。

(賛成している)国会議員は、自分で考えることを放棄した思考停止の状態。ハンナ・アーレントが言った「凡庸な悪」に国会議員が加担している。我々は、そのような国会議員には、「目を覚ませ。考えろ。さもなくば、お前達の来年はない」と告げなければならない。

仮に、この法案が決着を見ても、我々の運動は終わることはありません。立憲デモクラシーの会として、これからの日本の立憲民主主義を守るために、あらゆる行動をとることを約束する。