北朝鮮の断たれる国交と捨てられる工作員

マレーシアでの北朝鮮に対する抗議デモ(写真:ロイター/アフロ)

マレーシアで金正男氏が殺害された事件で、マレーシアと北朝鮮の関係が悪化する中、マレーシア世論の中に北朝鮮との断交を求める声が出ていると報じられています。

【クアラルンプール=吉田健一、児玉浩太郎】北朝鮮の金正男(キムジョンナム)氏殺害事件の舞台となったマレーシア国内で、北朝鮮と断交すべきだとの声が強まっている。

出典:マレーシア「北と断交」世論高まる…正男氏殺害

これまで、北朝鮮にとってマレーシアは、ビザなしで渡航出来る数少ない国で友好的な関係を築いてきました。にも関わらず、マレーシア国内での暗殺を実行されたとなると、主権を侵害されたマレーシア政府・国民に北朝鮮への不信が募るのは当然でしょう。

しかし、なぜ北朝鮮が数少ない友好国を敵に回し、国際的孤立を深めるようなことをするのか? と疑問に持たれる方もいらっしゃるかもしれません。北朝鮮の指導部がどのように考え、暗殺を実行したかは彼らのみ知るところです。しかし、過去を振り返ると、北朝鮮は友好国の主権を侵害してでも、敵対者の暗殺を厭わなかったのも事実です。

友好国ビルマの閣僚も巻き添えにしたラングーン事件

1988年のソウルオリンピック開催を控え、韓国はそれまでの反共一辺倒の姿勢を緩め、積極的な全方位外交を展開していました。中でも、西側にも東側にもつかずに中立を標榜する非同盟諸国に対して、外交活動を活発化させます。このような背景から、1983年10月8日に全斗煥大統領一行は南アジア太平洋地域6カ国の歴訪に出発。最初の訪問地はビルマ(現ミャンマー)となっていました。

ビルマは非同盟諸国の一国で、韓国・北朝鮮両国と国交を結んでいましたが、当時はむしろ北朝鮮の方と友好関係にありました。しかし、北朝鮮は友好国であるビルマ国内での全斗煥大統領暗殺を計画し、工作員を送り込みます。

全斗煥大統領一行は、9日にビルマ建国の父であるアウン・サン将軍(アウン・サン・スー・チー氏の父)の墓、アウン・サン廟を参拝する予定になっており、情報を掴んだ北朝鮮工作員はアウン・サン廟の天井裏に爆弾を設置しました。この結果、韓国副首相や外交部部長(外務大臣に相当)ら閣僚4名を含む韓国側随員17名が死亡、ビルマ側も情報文化相と次官が死亡するなど、韓国・ビルマ双方で死者21名を出す大惨事になります。不幸中の幸いか、ターゲットだった全斗煥大統領は車の到着が遅れたため難を逃れ、全予定を解消してその日のうちに帰国します。この北朝鮮によるビルマでの爆破テロ事件は、日本ではラングーン事件と呼ばれています。

現在の廟を参拝する安倍総理(首相官邸サイト「ミャンマー訪問」より)
現在の廟を参拝する安倍総理(首相官邸サイト「ミャンマー訪問」より)

ビルマ政府により爆破事件の実行犯捜索が行われましたが、実行犯である北朝鮮工作員1人はビルマ当局に射殺、他の工作員も逮捕する際に手榴弾で自殺を図り(未遂)、その際巻き添えを受け住民2人が負傷します。逮捕された工作員2人も自爆によりカン上尉は左肘から下を失い、キム少佐は右手首を失うなど、命は助かったものの、いずれも身体的に大きな損傷を受けていました。裁判の結果キム少佐は死刑、一方のカン上尉は終身刑判決を受け、収監中に亡くなりました。

ビルマ当局の捜査や工作員の自供から、指令を受けた犯行であること、在ビルマ北朝鮮大使館の参事官宅に工作員が匿われていたことなどが明らかになり、北朝鮮の国家ぐるみの犯行であると分かりました。

国内で、それも国父の墓でテロを起こされ面目を潰されたビルマは、北朝鮮の犯行と断定した調査委員会報告を公表して北朝鮮と断交。断交のみならず、国家承認の取り消しという厳しい措置に出ます(両国の国交が再び回復するのは20年以上後)。事件を受けてビルマ以外にも、コスタリカ、コモロ、西サモア(現在のサモア独立国)が断交を宣言し、北朝鮮は4カ国との国交を失いました。さらに多くの国から制裁を受けるなど、北朝鮮は国際的孤立を深める事になります。

捨てられるプロパーから、捨てられる外注へ

このように友好国での暗殺実行により、多くの国から断交された過去がある北朝鮮。このような過去は当然覚えているにも関わらず、また暗殺を起こしたということは、断交は覚悟の上の行動なのでしょうか? もちろん、最悪断交を厭わない覚悟はあるのかもしれませんが、今回は手を変えてきています。

ラングーン事件では北朝鮮国籍の工作員を逮捕し、自供を得たことで犯行の全容が明らかになり、大きな証拠となりました。また、1987年の大韓航空機爆破事件でも、自殺を図った工作員のうち1人が未遂に終わり、北朝鮮の犯行であると自供したことで、北朝鮮の犯行が白日の下に晒されました。

しかし、今回のマレーシアでの実行犯はインドネシア国籍とベトナム国籍の女性2人で、事件の背後関係を知っているかも定かではありません。主犯格と見られる北朝鮮国籍の4人は既に平壌に逃亡し、唯一逮捕できた北朝鮮籍の男1人も後方支援役で全容解明に至らず、捜査が手詰まりとなっていることが伝えられています。

【クアラルンプール=吉田渉】北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件の捜査に行き詰まり感が出てきた。マレーシア警察は26日、主犯格とみられる北朝鮮籍の4容疑者がクアラルンプールに構えた拠点を特定。だが4容疑者は平壌に逃げ、追及は困難だ。関与を否定する北朝鮮の主張を崩し、捜査の協力へ圧力をかけるには遺体のDNA鑑定がカギになる。

出典:正男氏殺害 捜査に行き詰まり感 北朝鮮籍4容疑者の追及難しく

ラングーン事件、大韓航空機爆破事件など、これまで知られてきた北朝鮮によるテロ活動は自国の工作員によるものでしたが、工作員の自殺失敗により、工作員自身が北朝鮮による犯行の動かぬ証拠となってしまいました。しかし、今回は実行犯に何も知らない外国人(本当に何も知らなかったかはここでは置いておきます)を使い、主犯格は早々と帰国することで、多くを知る者の逃亡に成功しており、全容解明に繋がる決定的な証拠を残していません。

北朝鮮の自国工作員を用いたテロでは、追い詰められた工作員は自殺を図り、生き残った工作員も手を失うなど悲惨なものでしたが、彼らが北朝鮮による犯行を立証する決め手になりました。今回の事件では、外国人女性に毒物を素手で使わせており、女性は実際に後に嘔吐したと伝えられています。報道の通り素手で使わせたのが事実なら、北朝鮮は外国人女性の生死をまるで気にしていなかったのでしょう。むしろ、正男氏と一緒に亡くなる事も企図していたのかもしれません。

このテロ実行犯の切り替えは、言い換えれば、ブラック国家が使い捨てプロパー工作員を信頼しなくなったので、何も知らない外注を騙して汚れ仕事を押し付けた、といったところでしょうか。

いずれにせよ、これまでの北朝鮮のテロで見られた、実行犯による詳細な自供は期待出来そうにありません。マレーシア政府としては、なんとしても証拠を固めて立証していきたいところでしょうが、全容解明は当分先か、あるいは北朝鮮がある限り、明らかになる日は来ないのかもしれません。