定年後「10万時間」の使い方~もはや「余生」ではない長寿時代

(写真:アフロ)

「余生」ではない「定年後」

総務省の『平成28年社会生活基本調査』から、65歳以上の高齢者の生活時間をみてみよう。1次活動(睡眠、食事など)が11時間38分、2次活動(仕事、家事関連など)が4時間00分、自由時間となる3次活動(休養、娯楽、交際など)が8時間22分だ。人生100年時代が到来すれば、高齢期の自由時間は10万時間以上にも上る。もはやわれわれの「定年後」は「余生」ではないのだ。

厚生労働省の平成28年簡易生命表によると、65歳の平均余命は男性19.55年、女性24.38年だ。おおよそ男性は85歳まで、女性は90歳まで生きられる勘定になる。65歳以上の3次活動時間は男性が9時間11分、女性が7時間44分だ。65歳で定年を迎えた男性は、その後の寿命を迎えるまでの20年間に6.7万時間の自由時間を有するわけだ。

一方、日本の2015年一人当たり年間総実労働時間は1,719時間だ。20歳から65歳まで45年間働いた場合の生涯実労働時間は7.7万時間になる。それと比べても男性の定年後の自由時間がいかに多いかがわかる。長い「定年後」を幸せに生きるためには、健康やお金の問題に加えて新たな人間関係についても考えることが必要になるだろう。

「名刺のない暮らし」

定年後の暮らしで大きく変わる点は、「名刺のない暮らし」が始まることだ。重松清著『定年ゴジラ』という作品に、退職したばかりの男性ふたりが挨拶するシーンがある。『二人は同時に上着の内ポケットに手を差し入れた。しかし、ポケットの中にはなにも入っていない。もはや名刺を持ち歩く生活ではないのだ。二人は顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑いを浮かべた』(「定年ゴジラ」講談社文庫、2001年)。

名刺には自分の名前の他に勤務する企業名、所属部署、役職、連絡先など、少なくとも自分を語る上で最小限の重要な情報が書かれている。この小さな紙片を交換することで、お互いの社会的位置関係を把握してコミュニケーションが始まる。しかし、定年後はたった一枚の名刺がなくなったことで、会話の糸口さえ見いだせなくなってしまう人もいるのだ。

少子高齢化が進展し、定年後の退職者の役割はまだまだ大きい。長寿社会における定年後の長い高齢期には、「名刺のない暮らし」の「生き方」が求められる。定年後は「会社」のためから「社会」のための自己の「活き方」が大切だ。それが人生の幸せな最期を迎える「逝き方」にもつながるのではないだろうか。

「終活」と「就活」

人生の最期に備える「終活」がブームだ。大型書店に行くとエンディングノートのコーナーがある。葬式、墓、遺産相続や生命保険など死後に対処が必要な項目を整理したり、生前の遺影撮影、認知症など介護への対応、延命治療の要否を考えたりするなど、さまざまな終活内容が記載できる。「終活」は人生の最期を前向きに生きるための「老い支度」なのだ。

「終活」ブームの背景には、一人暮らしが増え、死後に回りの人に迷惑をかけたくないというおひとりさま社会のニーズがある。一方、家族構成にかかわらず自分が生きてきた証を残したい人も少なくない。「終活」は死後をどうするのかというエンディングに留まらず、もっとポジティブに人生の最期までをどう生きてゆくのかというウェル・エイジングの意味を持つ。

高齢期をよく「生きる」とは自分自身が社会の中でよく「活きる」ことだ。最期まで活き活きと暮らすには社会との関係性を維持することが重要であり、何らかの社会的役割をデザインすることが必要だ。自分が社会の中でよく「活きる」ための「老い支度」は、社会の中で新たな役割を獲得する「就活」でもあるのだ。

地域社会への「再就職」

東京などの大都市圏では職住分離が進み、勤労者は郊外の自宅から都心の職場に通うケースが多い。現役時代は居住地で過ごす時間は短く、地域コミュニティを持たない人もいる。定年退職後は地域での生活時間が長くなる。しかし、新たな地域社会の人間関係や意思決定などの行動様式は、ヒエラルキー型の企業社会とはさまざまな点で異なるものだ。

また、地域社会は女性がマジョリティで、男性は企業社会ではあまり経験したことのない少数派だ。年齢別性比(男性対女性)をみても、65歳以上では3対4、75歳以上では2対3、100歳以上になれば1対6になるなど、高齢社会は女性が多数派だ。定年男性が地域社会で活き活きと暮らすためには、男女の性別を超えて適切に会話できるスキルが求められる。

定年後の趣味も大事だが、それだけでは長い老後を生きぬくことはできない。自らの能力を活かし、社会に貢献することが「生きがい」を創出する。他者から必要とされることが、地域の居場所をつくり、自己アイデンティティの形成につながる。過去の成功体験に引きずられることなく、職業生活で蓄積してきた能力やノウハウを活かした地域社会への「再就職」が必要だ。

だれもが会社に入るときには熱心に就活するが、生涯労働時間にも匹敵する定年後を暮らす地域社会への就活には無関心な人が多い。人生100年時代が近づく今、定年後の「10万時間」はもはや「余生」ではない。新たな自己を活かすための地域社会への「再就職」は、きわめて重要なライフイベントと言っても過言ではないだろう。