多死社会の「最期」を考える(その3)~在宅医療の充実と長寿時代の「看取り図」

(写真:アフロ)

「死の質」高める在宅医療

高齢社会を誰もが幸せに過ごし、住み慣れた自宅や地域で望むような「最期」を迎えるためには、どうすればよいのだろうか。ひとつは在宅医療の充実が重要だ。もちろん在宅医療は最期を看取るためだけのものではなく、手術後に退院して自宅で療養を続けるためにも不可欠だ。

高齢者の場合は、若い人の急性期医療と異なり、手術後の体力の衰えから他の部位の機能低下が著しく進行することが多い。急性期の対応だけでなく、手術後の「看護と介護」の体制を一人ひとりの状況にきめ細かく合わせる必要があるのだ。

加齢に伴い通院が困難になる高齢者も多い。在宅医療は高齢者自身はもちろん家族など介護者の負担を大きく軽減する。高齢者は複数の疾患を抱えていることが多く、在宅医療と通院を組み合わせることも有効だ。在宅医療はいわば「オーダーメイド」の仕組みなのだ。

しかし、在宅医療の拠点となる24時間体制で訪問診療を行う「在宅療養支援診療所」は全国に約1万4千か所あるものの、存在はあまり知られていない。チーム医療である在宅医療は、医療と看護・介護の連携が重要だが、中心となる訪問看護師は看護師全体の3%程度に過ぎない。

在宅医療は長寿時代の「死の質」(QOD:Quality of Death)の向上とともに、医療費の削減につながる可能性も高い。高齢者医療費の削減は、ふくらみ続ける社会保障費の抑制のために避けて通れない課題だが、それが高齢者の「QOD」の低下を招いたり、人生の「逝き方」の選択肢を狭めたりしてはならない。

終末期医療には高齢者自身や家族の幸せな最期を支援するという視点が必要だ。人生の最終段階には、病気やケガを「治す医療」だけでなく、緩和ケアなども含めた「生活の質」(QOL:Quality of Life)の回復を図る「支える医療」が何よりも重要だろう。

人生の最終段階の医療と介護

平均寿命が延びる一方、健康寿命との差は広がっている。長寿時代の高齢者の要介護期間は長くなり、高齢者にとって「死」に至る介護のプロセスはより切実な問題になった。高齢社会では「老々介護」が増え、高齢者が身近な家族の死に遭遇し、「死」に対する強い現実感を覚える機会も多いだろう。

人生の最終段階における医療と介護のあり方は、どのように死を迎えるのかという「QOD」を規定し、人生最期の「QOL」に大きな影響を与える。最期を迎える場所を医療機関、介護施設、在宅のいずれにするのか、延命治療をどこまで行うのかなど、一人ひとりの選択肢は異なる。認知症患者が、自らの死をどのように迎えたいのかを伝える方法も大きな課題だ。

厚生労働省の『人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書』(平成26年3月)によると、「認知症が進行し、身の回りの手助けが必要で、かなり衰弱が進んできた場合」の希望する治療方針は、7割以上の人が「経鼻栄養」、「胃ろう」、「人工呼吸器」、「心肺蘇生装置」を望まないと回答している。

また、同報告書には、『医療技術の進歩に合わせて人生の最終段階における医療の選択肢も多様化し、自然な死を迎えることを希望する人も多い。医療行為のみに注目するのではなく、最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目し、幅広く医療及びケアの提供について検討していくことに重点を置く』と書かれている。

幸せの「看取り図」

今年3月、厚生労働省は『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』を改定した。その中で、高齢者自身と家族、医療・介護チームが事前に治療方針等について十分話し合う「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)への取り組みを提言している。

医療の目的は、人間を総体としてより良い状態に回復させることであり、個別の検査結果に基づき対症療法を重ねることではない。人生の看取りには、本人や家族が望む「最期」をサポートすることが大切であり、すべての医療行為を受け容れることが、本人や家族にとって常に最善の選択とは限らない。

私たちは単に長く生きたいのではない。『幸せに生きて、幸せに逝きたい』のだ。そのためには自らのリビングウィル(生前の意思)を明確に示すことが不可欠だ。寿命が延びて、長い老年期を生きるようになった現在、穏やかで心安らかな「最期」を迎えるにはどうすればよいのかを考える必要があろう。

多死社会の「QOD」は、「死」を一時点で捉えるのではなく、どのように自らの「死」に至るのか、死に行くプロセスを意味する。自分らしい「逝き方」である「QOD」は、自分らしい「生き方」である「QOL」と重なる。今、「看取られる人」と「看取る人」がともに幸せな「最期」を迎えるために、長寿時代の「看取り図」が求められている。