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ルポ「ヨルダン川西岸」(第二部「南ヘブロン」)・2

土井敏邦ジャーナリスト
イスラエルが追い出しを狙うスーシヤ村で闘うナセル父子(筆者撮影))

【「遺跡」になった生まれ故郷】

 ナセル・ナワ―ジャが 自分の生まれ故郷である旧スーシヤ村へ案内した。今はイスラエルが運営する「ユダヤの遺跡」の観光地となっていて、そこに入るために入場料を払わなければならない

1986年に ナセルの家族はこの村を追われた。

「遺跡」の敷地内に入ると、ナセルが言った。

 「イスラエル当局と『レガヴィム』(入植者支援団体)は、この場所にパレスチナ人は住んでいなかったと主張していますが、写真などここにパレスチナ人が住んでいた証拠は揃っています。柵の向こうにあるオリーブの木が見えますか?あれは私たちの土地で、今も私たちが手入れしています。柵の内側にあるオリーブも私たちのものですが、今では手入れすることができません」

「遺跡」になった旧スーシヤ村を案内するナセル(筆者撮影))
「遺跡」になった旧スーシヤ村を案内するナセル(筆者撮影))

 道は舗装され、両側に石の壁が整然と並ぶ。「シナゴーグ」とヘブライ語と英語で書かれた標識のある石の建物の中に入ると、目の前に石の階段とローマ時代の遺跡のような立派な石柱が立っている。しかしナセルはその横にあるモスク跡に私を導いた。

 「これはミフラーブ(メッカの方角を示す壁)、モスクのイマーム(導師)が礼拝者と共に祈る場所です」

 かつてここで暮していたパレスチナ人の生活の痕跡である。

 ナセルはさらに自分が生まれた洞窟への私をいざなった。半地下の洞窟へ降りると、中は広間で、正面に石の壁、それを取り囲むように石造りの「椅子」が並ぶ。そこは「劇場」になっていた。ナセルがリモコンスイッチを入れと、正面の壁に、映像が映し出された。この「スーシヤ遺跡」がユダヤ人の遺跡であることを解説する映像だった。言語はヘブライ語で、英語もアラビア語もない。

 「他の民族の歴史の話はしません。パレスチナ人やイスラムの歴史はないのです。この地域にユダヤ人がいた時代の叙述だけです」とナセルが言った。

 

 ナセルは1982年の11月にこの洞窟の中で生まれている。住民がここを追われる4年前である。

ナセルが生まれ育った洞窟の家
ナセルが生まれ育った洞窟の家

 「父によると、家の間取りも変わってしまったそうです。ここは台所でした。こんな具合に少し高くなっていました。こちらは寝室です。この家は冬の寒さや夏の暑さから私たちを守ってくれました。心地よく暮らしていたのです。困ったことは何もありませんでした。質素で 当たり前の暮らしだったのです」

 「この生家に戻ってくると、どんな気持ちになりますか?」と訊くと、ナセルはこう答えた。

 「私が初めてここを訪れた時はイスラエル人のカメラマンと一緒でした。その時は、とても奇妙な感覚でした。しかし何度も訪れるうちに段々と、この場所と打ち解けてゆくのを感じました。どんなパレスチナ人にも、故郷との長い断絶は、奇妙なほどよそよそしい気分にさせるのです。この感覚はとても形容しがたいものです」

【入植地との軋轢】

 ナセルの父、アブ・ナセルが元の村を追われ、水源もない、荒涼とした現在の土地に移り住んだ後の苦労を語ってきかせた。

 「ここには湧水の井戸はありません。だから どの井戸も雨期に雨水を溜めておく溜め井戸です。そこから飲み水も得ていますが、足りません。水を使い切るたびに、補充しなくてはなりません。もう水がなくなってしまったので、午後にはヤッタ市当局から水が運搬されてくるはずです。[[image:image03|center|アブ・ナセル](筆者撮影)]

 村のすぐそばをイスラエルの電線が通っています。水道管も私たちの土地を通過しています。しかし私たちには分け与えられません」

 「私たちの人生はずっと困難続きです。“占領”がすべての根源なのです。“占領”がユダヤ人の入植活動を生み、入植者を呼び込み、イスラエル軍が守っています。入植地を資金的に支えるのも“占領”です。入植者からの攻撃や嫌がらせは日常茶飯事です。彼らは虎視眈々と機会をうかがっています」

 アブ・ナセルは500mほど離れた「スーシヤ入植地」の横にある木々を指差して言った。

 「あれは私たちの土地とオリーブの木ですが 立入りできません。立ち入ろうものなら、入植者たちが襲ってきます。道を独りで歩いている住民が襲われることもあります。深夜1時 や2時にだって起こります。私の家や作物は燃やされ、果樹は伐り倒されました。男たちも4人が入植者たちに殺害されました」

 「このテント暮らしはもう30年になります。私たちは何をするのも禁止されています。ここに家を建てるのも禁止です。イスラエル政府は私たちを追い出そうとしています。

 その代わりにヤッタ市の役所の近くに土地を与えると言います。どうやって どこにここの土地の代わりの土地をくれるというんですか?私はここに70ドナム(7ヘクタール)の土地を持っているんですよ。なのに 彼らは半ドナムほどの土地を与えようというんです。しかも そうした土地にも権利者はいるんです」

 「私たちは裁判所で争っています。父や祖父の代にこの土地は登記に記録されていて、イスラエルの裁判所もこの土地は私たちの土地だと承認しています。なのに、家を建てるのも「禁止」です。つまり弱者が生きていくことが禁止されているのです。イスラエルは私たちに圧力を加えて、追い出そうとしているんです。入植者たちの利益のためです」

【オリーブ畑を襲う入植者】

 南ヘブロンのユダヤ人入植者によるパレスチナ人農民への暴行は日常茶飯事だ。

 被害にあった道路沿いのオリーブ畑を訪ねた。10月はちょうど収穫期である。オリーブ農家が最も忙しい時期で、家族総出で収穫する。[[image:image04|center|オリーブの収穫に追われる農夫たち](筆者撮影)] 

 実がたわわになった木の根元にビニールシートを敷き、農夫たちは木の近くに脚立に乗って枝から実を一つひとつ摘んで下に落としていく。やがてシートが実でいっぱいになると、それを袋詰めしていく。収穫に機械は使えない。昔からの手作業である。[[image:image06|center|オリーブの実](筆者撮影)]

 「この実は入植者たちのせいで、収穫が遅れてしまいました」と、老農夫は手の平に緑色の実と、黒ずんだ実を並べて見せた。緑色の時期に収穫すべきだったが、収穫が遅れ、黒ずんでしまったと言いたいのだろう。 

 「入植者たちはいつも問題を起こします。特に、ユダヤの祝祭の時に入植者たちが襲ってきます。だから、身の安全のために収穫を遅らせるんです」

 近くの畑一面のオリーブの木々が数十センチほどの高さで切れていて、その横から新たな新枝がいくつも出ている。[[image:image05|center|入植者に切られたオリーブの木々](筆者撮影))]

 「この辺りの木々は入植者が夜中に切り倒したものです」と老農夫は言った。「全部入植者たちの仕業ですよ。夜中にやって来て切り倒したんです。手をひねるみたいに木々を切っていったんです。夜中で彼らの姿は見えなかったし、私たちは家にいたんです。ほんの1年前ですよ。ここで収穫をする時は入植者たちの手荒い暴行から守るために、時々イスラエル軍が私たちの警護につきます。入植者たちは本当に手荒いのばかりですから」

 「あちらでは火をつけては木と実を燃やしてしまいました」と老農夫が指さす方向へ行くと、木々の下の地面に焼け跡が残っていた。よく見ると、焼けたオリーブの実がたくさん散乱していた。[[image:image07|center|入植者による被害を訴える農夫](筆者撮影)]

 「実が育ってくると、夜にこっそりやって来て火を放つんです。夜のうちに燃えてしまいます。彼らに目的などありません。からかっているだけです。パレスチナ人がここに住むことを嫌うからです」と老農夫は言った。(続く)

【写真はすべて筆者撮影】

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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