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ルポ「ガザは今・2019年夏」・12「絶望する若者たち(上)」

土井敏邦ジャーナリスト
ガザ脱出のために国境に押し寄せる住民(2006年7月/筆者撮影)

――絶望する若者たち(上)――

 2018年以降、顕著になっているガザの若者たちの「国境デモでの『殉教』」や「自殺」さらに「ガザ脱出」の兆候は、その4年前、つまり2014年夏の「ガザ攻撃」直後から表面化してきた。

「ガザ攻撃」から15ヵ月後の2015年11月、私はそんな若者たちに会い、その声を聞いた。

【医学部入学を阻む“封鎖”】

 ガザ市内で暮らすフサン・アルバデュール(当時・19)は「タウジーヒ」(高校卒業試験)が97.4%という抜群の成績で、アズハル大学医学部に入学した。しかし貧しい家庭出身のフサンは、高い授業料を払うことができず、1年前期で中退せざるをえなかった。

 その後、エジプトのアインシャムス大学医学部の奨学生募集に応募した。まもなく合格通知が届いた。フサンは9月の新学期に間に合うように準備を整え、8月、エジプトに向けて出発しようとした。

エジプトの医学部に合格しながら、封鎖のために入学に間に合わなかったフサン・アルバデュール(2015年11月撮影/筆者撮影)
エジプトの医学部に合格しながら、封鎖のために入学に間に合わなかったフサン・アルバデュール(2015年11月撮影/筆者撮影)

 しかし、ガザとエジプトの国境を越えることを阻まれた。エジプトによる“封鎖”のためだった。その年に11月までに国境が開いた日数は19日だけ。8月以降の3ヵ月では1度だけだった。

 大学の入学に間に合うには8月中にエジプトに入国しなければならない。8月初旬にやっと国境が開くと聞いて、フサンは早朝に家を出て朝6時に国境に着いた。しかしそこには、ガザを出ようとする住民が押し寄せていた。 

「国境は悲惨な状況でした。何万人という人がいたんです。しかし通過を許可されたのは、ほんのわずかな人数です。登録者リストの中で、私の名前はずっと後ろの方でした。

ガザを出るために国境に殺到する住民たち(2006年7月/筆者撮影)
ガザを出るために国境に殺到する住民たち(2006年7月/筆者撮影)

 国境で3日間留まりました。そこは大変な状況でした。ものすごい数の人が待っていたんです。海外での仕事や病気の治療、また私のように奨学金での大学留学など様々な目的のためでした。しかし越境できるのは、登録者数の1%以下でした」

 結局、フサンは国境を越えられず、入学の期限に間に合わなかった。

「悲しみと怒りと絶望感が混じり合った感情でした。私の夢と未来が消えようとしているのに、どうすることもできないのですから。

 その怒りはガザで日常的に住民が苦しんでいる状況に対してであり、悲しみは私と全ての学生の状況から、絶望感は生活状況からくるものでした。それは外の人には想像もできない厳しい状況です」

「私はどうすることもできず、未来が閉ざされていくんです。私はすでに大学の1年間を棒に振ってしまいました。さらにもう1年を失おうとしています。しかし私はどうすることもできません。ガザでも外国でも勉強できないのです。奨学金を得ても、外で勉強ができず、夢を実現できません。こんな状況は、パレスチナ人には危険です。

 何千という人が、なんとか国境を越えようとし、通過を許可されなかったために多くの患者が死に、奨学金が失われ、若者の未来が消滅し、居住許可の期限が切れてしまった。

 想像できないほど、屈辱的で、実に辛い時間でした」

「何よりもイスラエルに対して、一番怒りを感じます。この状況の全体の原因は、イスラエルの“占領”にあります。また国境の封鎖には全ての当事国に責任があります。エジプト政府、パレスチナ自治政府(PA)、ハマス政府です。

 さらにこの原因は、ファタハとハマスの分裂だと思います。エジプトはハマスが国境を管理することを嫌い、PAに国境の管理を求めました。『封鎖を緩和する』という条件でです。しかしハマスは拒否しました。ハマスは国境管理権をPAに委譲すべきなのです。その拒否のために住民は国境封鎖で苦しんでいるんですから」

住民がガザからエジプトへ渡るにはこのラファ検問所を通過しなければならない(2017年8月/筆者撮影)
住民がガザからエジプトへ渡るにはこのラファ検問所を通過しなければならない(2017年8月/筆者撮影)

「若者がガザを出ようとするのは祖国やこの土地を嫌っているからではありません。若者だけでなく住民全体の生活状況が、あまりにひどいからです。仕事はなく、勉強する機会もなく、物価も高いです。若者たちが夢を実現し、仕事を得て、尊厳ある生活を送りたいためにガザの外に出たいという願望が日々強まっているのです。

 海外に活路を見出そうとするのは、若者に限った事ではありません。ガザでは、人生を進展させることはできず、後退するばかりだからです。さらに戦争が起こるたびに、私たちは破壊され、日ごとに悪化しています」

【俳優を夢見る青年】

 タイシール・ヤシーン(当時・25)は2012年にガザのエリート校、イスラム大学のアラビア語科を卒業した。その後、仕事を得ようと必死に試みたが、3年を経ても失業中だった。

 

「僕は卒業後、いくつかの団体に応募したり、UNRWA(パレスチナ国連難民救済事業機関)の採用試験にも挑戦しました。しかしだめでした。

 小さな仕事をたくさんやりましたが、給料があまりにひどかったから辞めました。

 仕事もよくなかったし、労働時間も長く、給料は安かった。12時間も働いて、30シェケル(約900円)しかもらえなかったんです」

俳優になる夢はガザでは実現できないと訴えるタイシール・ヤシーン(2015年11月/筆者撮影)
俳優になる夢はガザでは実現できないと訴えるタイシール・ヤシーン(2015年11月/筆者撮影)

「イスラム大学のような名門校を卒業しても、どうして就職できないのかって? ガザが8年間も封鎖されているからですよ。またパレスチナが分裂しているからです。

 ガザでは、毎年3万人の学生たちが卒業します。しかし正規の仕事に就けるのは、200~250人しかいません。考えてもみてください。3万人に200人ですよ。

 またガザでは2年ごとに戦争が起こります。当然、仕事の機会もなくなります。食に困るのは当然です」

「仕事に就けない状態が続いて、ふと海に飛び込みたいと思いに駆られる時があります。そんなとき、『みんな同じなんだ』と自分に言い聞かせます。その一方で、この状況はいつまで続くんだろうと落ち込みます」

「何かしようと思ったり、やっぱりやめようと思ったり。『みなと同じように1日20シェケル(約600円)をもらって働いてもいいや』と考えたりもします。この状態に退屈し、うんざりし、全く希望を失ってしまったという絶望感に襲われます」

「仕事もなく、毎日家にいます。いつもずっと寝ているんです。何もすることがないから、たくさん寝ています。

 たまに外に出たり、インターネットをやったりします。友達から電話があっても出ません」

仕事がなく、カフェで無為に時間を過ごす若者たち(2015年11月/筆者撮影)
仕事がなく、カフェで無為に時間を過ごす若者たち(2015年11月/筆者撮影)

 タイシールは少年時代から、演劇に関心をもち、プロの俳優を目指していたが、ガザではその夢を果たす機会はほとんどなかった。

「僕にとって人生で一番大切なのは、俳優になる夢をかなえることです。しかしガザでは難しいことです。

 僕の最悪な時は、ある俳優の演技をテレビを見ながら、『ああ、自分ならもっとうまく演じられるのに』と思う瞬間です。だけど自分は、その俳優の代わりはできない。僕はずっとこのガザから動けないからです」

「だから僕はチャンスを待っています。国境が開かれて外に出るチャンスです。今の目標はガザの外で俳優という仕事に挑戦することです。挑戦してみなければわかりません。

 働いてみたいんです。自分の考えが本当に正しいかどうか知りたいんです。成功すれば、僕の考えは正しかったと言えます。そして目標を達成できます。

 もし失敗しても、僕は満足します。挑戦し、チャンスを得たのですから。ガザでの一番の問題は、チャンスがないことです。重要なことは、外に出ればチャンスがあるということです」

「この状況は、“閉ざされている”と感じます。それでも希望を持ち続けるべきです。弱い希望ですが。『いつか状況はよくなるし、チャンスは来る』と。

 この世に意味もなく生まれてきた人なんていませんよ。たとえ一生何もせず終えた人がいたとしても、目的はあるはずです。本人がそれを自覚していなくても、生まれてきた意味はあるはずです。

 どうやって希望を見いだしているかって?

 希望はいつでもあります。希望が死んだら、人は死にます。どんなに絶望的でも、希望が少しあれば生きていけるのです。毎年毎日、『次の日には今の問題は解決できるかも知れない』という希望です」

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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