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異色の経歴!国立教育大出身の安打製造機・小原駿太(滋賀GOブラックス)は独立リーグからNPBを目指す

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
滋賀GOブラックスの小原駿太

■異色の経歴

 開幕して30試合。継続して高い数字を保っている選手がいる。滋賀GOブラックス日本海オセアンリーグ)の内野手・小原駿太選手だ。

 打率は3割台後半、出塁率は4割台をずっとキープしており、OPSは最高で1.357をマークした。無安打の試合はわずかに6試合、11試合でマルチ安打を決めている。

 独立リーガーの中でも異色の経歴だ。国立の宮城教育大学を卒業し、教員免許を取得した小原選手は、ずっと教師を目指してきた。

 「父が高校の先生、母が幼稚園の先生で、両親ともに教育系だったんで、先生っていいなと思っていた。子どもも好きだし、人に教えるのもすごく好きだったから、ぼんやりとだけど先生になりたいと思っていた」。

 野球を始めたのは小学生のとき。そのころは“子どもの夢”として「プロ野球選手になりたい」というのはあったが、中学生で硬式のシニアに行けず軟式に進んだあたりから、徐々に諦めていった。体も小さかったし、周りには自分より上手な子がたくさんいた。子どもながらに、「無理だろうな」と悟る自分がいた。

 だから、いつしか夢は「先生」になり、それを持ち続けて宮城教育大に進んだ。

 しかし野球は好きで、大学でも野球部に入って打ち込んだ。仙台六大学野球連盟に属し、東北福祉大学仙台大学といった強豪と相まみえる。おかげでレベルの高い投手と対戦でき、それは大きな経験となった。

 そこで、ある出会いがあった。1年の冬に外部コーチとして教えに来てくれたOBの浅野祥男氏は、四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグスで活躍した独立リーガーだった。

 その浅野氏から、これまで教わったことのなかった守備などの基礎を徹底的に叩き込まれた。とともに打撃も向上した。

 練習も技術も、野球選手としてのベースが浅野氏によって作られ、2年春に優秀新人賞を獲得することができた。

■「先生」から「プロ野球選手」にシフトチェンジ

 そして、それをきっかけに自身の中に、ある野望が芽生えた。「プロ野球選手を目指そう」と。

 それまでおぼろげながら独立リーグの存在は知ってはいたが、それだけだった。しかし浅野氏によって「教育大からでも“プロを目指せる場所”に行けるんだ」ということに気づかされた。

 「大学からドラフト指名はきついだろう。でも、あと2年くらい(実績を)積んだら、もしかしたら行けるかもしれない。ならばチャレンジしよう」。

 夢は「先生」から「プロ野球選手」にシフトチェンジした。

 周りの友人たちが教師を目指していたり就職活動をしたりしている中、「異色だった。それでけっこう揺れて、就職活動もしてみた。でもダメだった…全然(笑)。説明会とか行ったけど、やりたくないなって(笑)」と、自身も倣ってはみたものの、結果的に自分の気持ちを再確認することになった。

 もう気持ちは完全にプロ野球選手に向いていたのだ。両親も「頑張りなさい」と賛成し、背中を押してくれた。それまでも進路のことで反対されたことはなかった。いつも息子の意思を尊重してくれる。

 また、プロ野球選手を目指すという決意には、こんな思いもあった。

 「教育実習に行って思ったのが、夢がない子どもが多かったなと。やりたいことがなかったり、やりたくても踏み出せなかったり。自分って無名の存在だけど、逆にこういう人間が夢に向かって努力したり夢を叶えたりすることで、人に勇気を与えられたらいいなと考えた。それに、若いうちにしかできないこと。先生も働くのも、将来的にいつでもできる」。

 今しかできないこと―。そう考えたら、もうこの道しかないと思えた。

■試合が怖い

 NPBを目指し、縁あって昨年、BCリーグオセアン滋賀ブラックス(現 滋賀GOブラックス)に入団した。5月までは打率を4割に乗せるなど、順調に滑り出した。だが、ミスをきっかけに暗転した。

 「たて続けにミスをして、試合が怖くなった。でも試合は続く。出続けないといけない。どんなにミスをしても次の日には試合があるっていうのは、けっこうしんどかった。本当に怖くなった」。

 試合に出してもらっている以上、「怖い」なんて口にはできなかった。苦しくて、試合前はトイレにこもって呼吸を整え、気持ちを落ち着かせた。家に帰ってからもついつい考えてしまい、夜もろくに眠れない日が続いた。

 それでも、当初は誰にも相談できなかった。

 あるとき、大学時代の高橋顕法監督に電話をした。

 「自分でも泣くとは思わなかったけど、泣きながら電話して…」。

 涙が洗い流してくれたのか、そこからフッと気持ちが楽になった。それまで自分でどうにかしようともがき、ひとり気を張っていたのが、うまく人を頼れるようになったのだ。「あぁ、こういうふうにやればよかったんだなぁ」と気づいた。

 「楽しんでやるしかないと思うぞ。そこが一番じゃないかな」という高橋監督の言葉は、その後も小原選手を支えてくれるお守りになった。

■「集中」

 後半は盛り返して1年目を終え、2年目の今季に繋げた。それが冒頭の数字である。

 「気持ちの切り替えはよくなった気がする。前のこととか先の不安を無視して、どうやったら今に集中できるかというのは、オープン戦くらいからずっと考えながらやっている」。

 これが好調の要因だという。「だから、自分のことじゃなくて相手との対決に集中できている」と、自己分析する。

 「今に集中したいのに前のミスを引きずったり、考えすぎたりすることが多い。どうしたら事実だけを抜き取って、周りからの指摘を気にしないようにできるか」。

 「集中」が大きな鍵になっているのだ。

 そして、その極意は「動作を意識しない」ことにあるという。「動作のことを考えちゃうと自分に向いてしまう。相手に合わせる“受け身”でいるようにする」と、自分がどう動きたいかより、投球や打球にどう合わせるかということに集中する。常に自分が思ったとおりの投球や打球が来るわけではないのだから。

 「考えながら考えない、みたいな。無意識を作るのにどうするか。練習中は理想の動きを求めても、試合では集中することに重きを置いて、という感じ」。

 無意識で、ただただ来たボールに受け身で対応をする。打撃も守備もだ。

 ここで大事なのが「イメージすること」だ。動きのイメージ、打球のイメージなど「イメージ」はとことん描く。そして、あとは体に任せる。

 「自分の中に『こう動いて~』って命令する自分がいて、それが本来の動きをしたがる体の邪魔をしている。それをいかに消して、自然な動きができるか」。

 イメージしたあとは無意識に体が動いてくれるよう、それを意識で邪魔しない。これはなかなか難しく、「まだまだできていない」とはいうが、そこに少しでも近づこうとしていることで数字という結果に表れている。

 感覚的な話の“小原論”はとても奥が深く、興味をそそられる。こういったメンタル面については生山裕人コーチのアドバイスによるところが大きいという。

 生山コーチと対話を重ねながら、また勧められた本を読みながら、いかに集中するかを追求する日々だ。

左が生山裕人コーチ
左が生山裕人コーチ

■料理男子

 ストイックな求道者といった人物像だが、こんな一面もある。料理男子でもあるのだ。Twitter(小原駿太)にはおいしそうな手料理の画像が投稿されている。

 「ファンに知ってもらうのに何がいいかって考えたときに、独立リーガーが野球のことをツイートしてもなぁと…あんまり野球のこととかは、こっ恥ずかしくて。(料理の投稿を)やってる人があんまりいなかったので、一風変わったやつをやったらどうなんだろうと思って」。

 大学時代までは実家暮らしで、たまに作るくらいだったが、親元を離れた昨年から料理は習慣になっている。

 「本能的に、その日に食べたいなと思ったものを作る」と言い、栄養など考えているわけではないが、体が欲している物を作ると自然と栄養バランスがとれているという。

 「ネットで調べればなんでも作れる」と、タンドリーチキン、漬けまぐろ、煮込みハンバーグ、パスタ、牛スジの煮込み、海鮮丼とナメロウ…などレパートリーは数多い。

 「カレーを作るときに初めてルーに粉を使ったら、失敗した。サラサラになりすぎてコクが出なくて…(笑)」。

 ルーからとは、本格的なチャレンジだ。野球以外でもやはり“求道者”である。

■突出したものをアピール

 シーズンも半ばまできた。ここからさらなるアピールをしていかねばならない。小原選手は現状を冷静に受け止めた上で、どうすべきか考察する。

 「スカウトの方に、何か可能性を見せつけないといけない。僕のような年齢(今年24歳)で独立リーグとなると完璧なほうがいいけど、完璧だったらもう(NPBに)行ってるはずなので、そうじゃなくて何か一つでも『化けたら』と思われるものを見つけたい。スイングスピードなのか打率なのか、肩なのか。何か突出したものを伸ばしていく」。

 可能性とは“伸びしろ”だ。伸びしろがあると感じさせなければならないわけだ。「六角形の能力値があったとしたら、一つ飛び抜けたものを伸ばしつつ、最低限も伸ばしてっていう感じ」と、すべてのベースを上げながら、なおかつ突き抜けた“何か”が必要だと考えている。

 アベレージ、対応力、バットコントロール、肩の強さ、さらには“野球偏差値”など…それぞれリーグ内ではトップクラスだろう。

 しかし、自身の年齢や環境を鑑み、スカウトへのアピールはもっともっと必要だと自覚する。だからこそ小原選手は前を向けるし、前進できるのだ。

■小原駿太だからできること

 「異色の存在」だと自負している。そんな自分だからこそ、できることがある。

 「僕が(NPBに)行ったら、いろんな人に勇気を与えられると思う。年下の後輩にも『もっとやれるかも』って、一歩踏み出すきっかけになったら…。まずは自分の夢が大事だけど、その夢を叶えることが誰かのきっかけになったら、めちゃくちゃ嬉しいなと思ってやっている」。

 今の自分だからできることを見せていく。スカウトにも、ファンにも、後輩たちにも―。

(写真提供:石川ミリオンスターズ)

【小原 駿太(おばら しゅんた)】

1998年11月12日生(23歳)

180cm・84kg/右・右

仙台南高―宮城教育大―オセアン滋賀ブラックス

宮城県仙台市/AB型

【小原駿太*今季成績】

113打数 40安打 18打点 14三振 13四球 打率.354 出塁率.434 長打率.558 (7月3日現在)

最高の笑顔だが、逆光なのが残念(撮影:筆者)
最高の笑顔だが、逆光なのが残念(撮影:筆者)

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フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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