■母校・金沢学院大にコーチとして戻った

 10月11日。プロ野球ドラフト会議で指名された教え子たちの笑顔を見て、長谷川潤コーチはホッと胸をなでおろしていた。大きなプレッシャーから解放された瞬間だった。

 プロ野球を引退し、母校・金沢学院大学で指導者として歩み出して2年、元プロである自身に懸けられる周りの期待は痛いほど感じていた。なんとしても選手をプロに行かせなければ…。己に課せられたミッションはかなりの重圧だった。だが、それがこうして形となって実り、ようやく安堵感に包まれた。

 東北楽天ゴールデンイーグルスから5位指名の松井友飛投手、北海道日本ハムファイターズから6位指名の長谷川威展投手、ともに支配下での指名だったことに、さらに喜びが増した。同校から直接のプロ入りは初めてである。

 長谷川コーチが母校に戻ったのは2年前だった。

 同校を卒業後、独立リーグのBCリーグ・石川ミリオンスターズを経て読売ジャイアンツに育成8位で入団した。ルーキーイヤーの2016年、開幕直後に支配下登録され、その年5月に1軍での先発も果たした。しかし故障もあり、翌年にユニフォームを脱ぐと裏方に回った。

 が、そこで再び現役への情熱が湧き、手術した後、ミリオンスターズに戻った。1シーズン戦う中で手応えを得、NPBトライアウトを受けたのが2019年秋だった。(詳細記事⇒NPBに再挑戦

 トライアウトでは出しきった。これでダメなら仕方がないというくらい、やりきれた。(詳細記事⇒NPBトライアウト

 「やれるだけはやった。手術もしたし、自分でもいろいろ勉強しながら、今出せるパフォーマンスとしてはマックスに近い状態だったんで、終わったときは『ここまでよく投げられるようになったな』と思いながら、気持ち的にはスッキリしたというか、ひと区切りついたというか…。自分の想像以上にやりきった感はあった」。

 トライアウトで投げた直後の清々しい表情や溢れ出る高揚感は、それを十分に表していた。

 そしてトライアウト後、どこからも声はかからなかったが、自分の中ではすぐに切り替えられた。引退を決意し、その報告に母校を訪れたとき、「指導者をやらないか」と声をかけられた。「もともと指導というか、自分のこれまでの経験というのは伝えたいなというのはあったので、やってみよう」と腹を決めた。

 2度目のミリオンスターズ在籍時にも、若い選手たちに気づいたことをアドバイスなどしていたこともあり、将来の人生設計の中に「指導者」はあったのだ。

■金沢学院大出身では初のプロ野球選手

 東京出身の長谷川コーチがなぜ金沢の大学を選んだのか。そもそもは高校卒業するにあたり、社会人野球の道に進みたかったのだという。が、当時は「実力的に到底、無理だった」と、大学で力をつけて社会人を目指そうと考えた。プロなどまったく念頭になかった。

 しかし「男4人兄弟の一番下なんで、普通に大学進学するのは金銭面とかどうなんやろ」と親の負担を心配した。そこで「お金がかからずに行ける大学。社会人に行けるよう、全国大会に出て結果も残さなきゃいけないから、自分が試合に出られて、なおかつ全国大会に出られそうな大学」と絞ったところ、いくつかの候補の中から、角尾貴宏監督が見に来てくれ「ぜひ」と熱心に誘ってくれたのが金沢学院大だった。

 「僕、どんな場所だろうが気にするタイプじゃないんで。外に出ることに対しても抵抗なかった」と、すぐに進学を決めた。

 入学してすぐは順調だった。「そこそこやれるな」と手応えもあった。しかし肘を痛めてしまったことでトレーナーのお世話になったのだが、この出会いが後々の長谷川投手の運命を変えた。

 「いいピッチャーだけど、体の使い方とか全然なってないから、この子はケガするよ」。

 故障前からそう心配していたのが、田嶋弘和トレーナーだった。田嶋トレーナーにケガの治療をしてもらい、フォームも見てもらった。だんだんと良くなる中で、「君は絶対プロ野球選手になれるよ」と強く言われた。

 「最初はそんなリアルには想像してなかったけど、だんだんリーグ戦で結果残して軸として投げられるようになってきて、『もしかしたら行けるんじゃないか』と思い始めた」。

 ちょうどそのころ、大学日本代表の選考合宿に選ばれた。大瀬良大地広島東洋カープ)や岩貞祐太梅野隆太郎(ともに阪神タイガース)ら、今も日本プロ野球界で活躍する選手たちと同じ釜の飯を食った。

 「僕は全然で、紅白戦で2イニング5失点くらいでボコボコにやられて…。それでもっと練習しなきゃプロにはなれないと思ったのと、逆にあのレベルになれればプロに行けるかもしれないって、より現実的になった。そこからプロを強く意識し始めた」。

 大学から直でのプロ入りは叶わなかったが、独立リーグを経て夢を実現させた。田嶋トレーナーの一言をきっかけに、そこまで自らを昇華させたのはみごとである。

■松井友飛と長谷川威展

 では、指名を受けた長谷川コーチの可愛い教え子たちを紹介しよう。

松井友飛(まつい ともたか)*東北楽天ゴールデンイーグルス5位

190cm・86kg/右投右打/穴水高校

《リーグ戦通算成績》

31試合 167.1回 16勝6敗 防御率1.45

18年秋 最優秀防御率賞、ベストナイン

19年春 最優秀投手賞、ベストナイン

19年  明治神宮大会出場

21年秋 特別賞

*190cmの長身から投げ下ろすストレートは最速154キロ

長谷川威展(はせがわ たけひろ)*北海道日本ハムファイターズ6位

178cm・81kg/左投左打/花咲徳栄高校

《リーグ戦通算成績》

30試合 66.1回 2勝1敗 防御率0.41

19年  明治神宮大会出場、侍ジャパン大学代表候補合宿に選出

20年秋 敢闘賞

21年秋 特別賞

*左のサイドハンドで最速151キロ

松井友飛(左)と長谷川威展
松井友飛(左)と長谷川威展

■プロ入りを身近な目標に

 長谷川コーチは、常に自身のプロでの話をしてきたという。

 「なるべくリアルに想像できるように。やっぱ現実味がないと、目標に向かっていけないと思ったんで、そこはけっこう強く意識した。はじめは、とにかく『プロはめちゃくちゃ練習するよ。おまえらよりもうまいヤツが、おまえらより練習してるんだよ』ってことを言った。僕がメニューを作って、『じゃあこれ10回を3セットな。俺が現役のころはこれを50回3セットやってたけど』みたいな(笑)」。

 好奇心や競争心を刺激し、うまく煽りながら練習への意欲を焚きつけた。

 「僕が来たころは、ほんとに自分がなれるんかって思ってたと思う。それが『ほんとにいい球投げるから絶対行ける。でも今のままの練習の仕方とか今の状態じゃ行けない。ちゃんと目標持って、それに向かって一生懸命練習していけば絶対になれるから』って言い続けてたんで、だんだん意識するようになった」。

 かつて田嶋トレーナーの言葉が自らを変えたように、選手の背中を押し続けた。

■松井友飛(まつい ともたか)投手

 「松井は最初に見たときから違うなと。あの長身から出てくるボールっていうのが、ほかのピッチャーとは全然比べものにならない。でもまだまだピッチングを知らなかった。ただ一生懸命に投げるだけで、トレーニングとか体のケアに関してはまったく…。3年のころ、肩のコンディションがあまりよくなく、ケガではないけど、いいパフォーマンスが出せる体の状態ではなくて、なかなかしっくりこなかった」。

 それまでの酷使と、その後のケアが不十分だったことがたたったようだ。

 「リーグ戦をフルで投げて、それ自体もたいへんだし、そのまままた次のリーグ戦に入って…。その間、キャッチボールもせずに休ませてたって言うけど、休ませればよくなるものではない。ちゃんとケアをしないと。まずはそういうところからというのを、しっかりと意識させた。うまく投げられないのが体のせいだということに気づいていなかったから」。

 体の弱さもあったので、ストレッチやトレーニングの仕方を伝え、ウェイトもしっかりさせた。それによって体重も7~8キロ増量した。

 さらに転機があった。

 「今年の春のキャンプに元社会人の臨時コーチが来てくれて、その人に技術指導を受けたら、急激によくなった。僕も同じように思っていたことで、言ってることもよくわかったんだけど、僕は選手にうまく伝える手段を持っていなかった。

『あぁ、こうやって伝えていくと彼らには入っていくんだな』って僕自身も勉強させてもらって、そこからその人の教えを引き継いで、それを今年1年、継続的に戻らないようにやっていた」。

 新米コーチは謙虚に学ぶ姿勢を忘れない。

 松井投手は教わるタイミングもよかった。それまでに長谷川コーチのトレーニングでしっかりと体を作っていたからこそ、その教えを体現できたのだ。

 球の強さも出て、140キロ前半だった球速がみるみる150キロ近くまでアップした。そうなると見に来るスカウトの数も一気に増え、「だいぶ意識していた(笑)」と、本人のモチベーションもアップした。

 そしてとうとう9月25日、金沢星陵大戦で自己最速の154キロを計測した。

会見の冒頭、挨拶をする
会見の冒頭、挨拶をする

■長谷川威展(はせがわ たけひろ)投手

 「長谷川は最初、けっこうムラがあった。試合でもいいときはすごくいいけど、気持ち的にあまり入ってないときは、いきなり先頭四球出したり。だから『リーグ戦では1点も取られない、四球も1コも出さないくらいの気持ちで投げないと、北陸のレベルでちょっといいピッチングしてるくらいじゃ、絶対プロには行けない』と言ったら、だんだん意識が出てきて…」。

 前年にも刺激的なことがあった。

 「僕が入る前、2年のときにジャパンの合宿に行って、それで少しずつ気持ちが変わり始めてたっぽくて、気持ちがプロに向き始めてるとき、変わろうとしたタイミングで僕がちょっと言ったことで、より現実的になった」。

 もともとトレーニングも好きで練習もよくやる選手だったという。だから加速度的に上達していった。

 「僕はちょっとしたことくらいしか言ってない。ランナーが出たらタイミングが早くなって制球が悪くなるって、教えることといったらそれくらいだった。根本的なものはなんも触らずに。ほんとに最初のころ、『今の練習じゃ到底プロには行けないよ』ってだけ言ったら、すぐによくなってきて…というか、よかったものが安定してきて、ムラも少なくなってきた」。

 意識が高いから、“ちょっとしたこと”がしっかり響くのだ。

 「1年間、長谷川頼りだった。下の子らが先発のときも、長谷川があとからいるから大丈夫って感じだった」。

 絶対的な信頼を寄せていたが、調子を落としたことがあった。今年の春先、社会人チームの練習に参加したときだ。それまでコロナの影響で満足に練習ができていなかったところに、急に質が高く量の多い練習で頑張りすぎてしまい、状態が悪くなってしまった。そして、そこからなかなか上がってこない。

 とうとうドラフト2週間前になり、試合前に鞭を入れた。

 「『とにかく思いっきり投げろ!』と。コントロールしなきゃとか、打たれないようにとか、いろんなことに取り組んで小っちゃくまとまってしまっていたから、『難しいことをやって結果を求める前に、今できるパフォーマンスを目いっぱいやろう!』って言って」。

 なんとか状態を上げようと、長谷川コーチも必死だった。

 「そしたら2イニングで7奪三振で、スピードも146まで戻った。その試合にスカウトが3球団くらい来てて、その中に日ハムさんもいた。ドラフト後に『あの試合が決め手になった』と言われたので、ほんとギリギリ間に合ってよかった」。

■二人そろって指名されたことに安堵

 シーソーのように二人の状態が上下するたびに周りの評価が揺れ動き、それにともなって長谷川コーチの気持ちにも火をつけられた。

 当初「プロに行ける」と注目を集めていた松井投手が3年になってコンディションを落としたとき、ちょうど長谷川投手が上り調子だった。すると「長谷川、プロ行けるんじゃない?」と評判になった。

 「みんな『長谷川、長谷川』って言ってるけど、ここまでは松井が頑張って引っ張ってきてくれたのに。そこで僕は松井を絶対にプロに行かせるって思った。長谷川は黙っててもやってくれるから」。

 4年になって長谷川投手の状態が落ちたとき、キャンプで技術指導を受けた松井投手が入れ替わるようにめきめきと良くなった。すると今度は「松井はやっぱプロに行く素材だな。長谷川はきついよな」という言葉が飛び交った。

 「それが悔しくて…。松井は作り上げたものが形になってきて、自分でできるようになってたんで、あとはケガさせないようにだけ見て、今度は長谷川をなんとか上げなきゃってやっていた」。

 無責任な周りの一言一言が気持ちをかき乱し、それを跳ね返すべく指導者としてより一層、奮起したのだった。

 だから二人そろって支配下で指名されたことは嬉しくてたまらないし、達成感もひとしおだ。

 寮でドラフト会議を見守っているときは、さまざまな思いが交錯した。「二人はどんな心境かなぁ、緊張してんのかなぁ、俺もこんなんやったんかなぁ」などと自身のドラフトを思い返してみたりもしていた。

 先に名前を呼ばれたのは松井投手だった。「おめでとう」と握手を交わしたものの、頭の中は長谷川投手のことでいっぱいだった。

 「やべ。(指名)かかるかな…。かかんなかったら、俺、なんて声かければええんやろ。頼む~」。

 ほどなくして長谷川投手もコールされ、ホッとした。

 「本人も『かかんねぇか』と思ってたのか、かかった瞬間、もうすんごいテンションで『わぁ~』ってなって、とにかくよかったなぁと」。

 安堵感をじっくり噛みしめた。

松井友飛(左)と長谷川威展
松井友飛(左)と長谷川威展

■願いは「プロで長く活躍してほしい」

 二人の性格をそれぞれこのように評す。

 「松井はマイペースで、しゃべり方も『はぁ~い』って感じでのんびりしているけど、マウンドに上がると負けん気が強い。悔しがったり、三振取ったら喜んだりするし、普段とは違う。最初のころは『ちょっと痛いけど、たぶん大丈夫です~』みたいな感じだったけど、自分の体を理解できるようになってからは『ここがこうですけど、これくらいだったらやれると思います』って、言葉も変わってきた」。

 「長谷川は強気というか陽気だけど、逆にちょっと小心者というか心配症というか…表には出さないけど。特別にピッチャーリーダーとか決めなかったけど、率先してチームを引っ張ってくれて、そこはかなり助かった」。

 違うタイプの二人だが、共通しているのはしっかり練習するところ。二人の存在は、後輩たちにはかなり刺激になったようだ。

 「彼らならプロでやれる。今のうちに自分の体を知ることができたし、練習の仕方や自分のスタイルは作れた。あとは練習量とか、それに耐えられる体力がまだ足りないので、そこをつけていけばいい。体があってこそ技術の練習もできるし試合でも投げられる。まずは体だっていうことは言い続けてきた。結局やるのは自分だから」。

 プロに入って困らないようにと、何もわからずガムシャラにやってケガした自身の経験から、同じ轍を踏まぬよう伝えてきた。

 「とにかく長いことやってもらいたい、10年以上は。2年くらいで終わるような選手になってもらいたくない(笑)」。

 自虐めいた言葉には、温かい愛が込もっていた。

選手を温かく見つめる
選手を温かく見つめる

■来年に向けて…

 さて、今年のドラフトは終わったところだが、チームはすでに来年に向けてスタートしている。長谷川コーチ自身も今後さらに勉強しつつ、新戦力を育てていく。

 来年もまた逸材をプロへ送り込むのはもちろん、「勝てる組織っていうか、勝てる投手陣を作る」とチームの底上げを目指す。

(写真提供:金沢学院大学 硬式野球部)

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