獅子のクローザーにオレはなる!―松岡洸希(西武ドラフト3位)、“武蔵のイム・チャンヨン”からの旅立ち

埼玉武蔵ヒートベアーズ球団事務所前でニューグラブを披露する松岡洸希投手

■人生で二度、頭が真っ白に

 頭が真っ白になる―。

 「衝撃的な事態に出遭って、何も考えられなくなること」をいう。

 松岡洸希投手埼玉西武ライオンズ・ドラフト3位)は人生で二度、その経験があると笑う。

登板前の鋭い眼光
登板前の鋭い眼光

 「ドラフトで指名された瞬間、生まれて初めて頭が真っ白になりました(笑)」。

 10月17日のドラフト会議の日、埼玉武蔵ヒートベアーズはファンや関係者を招いてパブリックビューイングを開催した。ドラフト候補選手が指名されることを祈り、みなが固唾を飲んでテレビ中継に見入っていた。

角晃多監督とハグ(写真提供:松岡洸希)
角晃多監督とハグ(写真提供:松岡洸希)

 「僕、自分の名前は聞いてないんです。ちょうどCM明けで『ヒートベアーズ』からしか聞けなくて…」。

 なんと自身の名前のコールはCM中で、オンエアに乗っていなかったのだ。

 「みんなの反応で、画面を見たら指名されてました(笑)」。

 その瞬間、1時間前に散髪したてのツンツン頭のその中は、真っ白になったという。

 事態がつかめると、すぐに喜びが湧いてきた。そして角晃多監督が熱いハグで祝福してくれた。

オフも毎日トレーニング
オフも毎日トレーニング

 人生二度目の“頭真っ白”は「新入団選手発表会」の場だった。「僕、コケたんですよ」と思い出し笑いをしながら振り返る。

 ライオンズファン約500名を前に、新入団選手が下位指名から順に花道を通ってステージに上がる。松岡投手も壇上に設えられた席を回り、自分の所定の位置に着いた、そのときだ。

 「最初、席の後ろが壁だと思って手をついたら布の幕で、『あっ』ってなって。で、席もちょっと段差になってて足の踏み場がなくて、それも暗くてなんも見えなくて、それで踏み外して…」。

 そのときの状況を写真も見せてくれながら、身振り手振りで一生懸命に説明してくれる。

新入団選手発表会で辻発彦監督と握手(写真提供:松岡洸希)
新入団選手発表会で辻発彦監督と握手(写真提供:松岡洸希)

 ファンの視界から忽然と消えた格好になった松岡投手は、席の向こう側でひっくり返ってあお向けで倒れていたという。それを、すでにステージに到着していた同期生たちみんなが覗き込んでいる状態だった。

 「何が起きたかわかんなくて…誰も助けてくんなくて、あいつら、こっち見て笑ってるんです」と、人生二度目の“頭真っ白”の体験談を明かす。

 その後、起き上がって顔を出すと客席からも笑いが起こり、辻発彦監督からは「大丈夫か」と笑いながら声をかけられた。

 しかし恥ずかしいながらも、そこで「持ってるな」と感じたというから、やはりこの男は大物である。

■夢は一度、諦めていた

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 野球をやっている人間ならば誰もが憧れるプロ野球選手。その一員になれた。松岡投手はしかし、これまでプロ野球選手一筋に目指してきたわけではない。

 初めて「野球」に触れたのは幼稚園のころだ。たまたまもらったチケットで神宮球場に観戦に行き、そこで青木宣親選手に魅了され、野球に目覚めた。

 小学生になると2つ上の兄とともに地元の「浦和ビッグウェイブ」に所属し、野球は未経験のお父さんもコーチとして関わるようになり、お茶当番をしてくれるお母さんも含め一家で野球に夢中になった。

 といっても「そこまでしてやりたいと思わなかった」と、中学は硬式のシニアやボーイズには入らず、学校の軟式野球部に入った。「そんなに慌てて硬式を使っても…って」。

19歳の素顔はまだあどけない
19歳の素顔はまだあどけない

 このころ、松岡少年は現実を知らされていた。中学の野球はレベルも高くなり、自身は体も小さく、とてもじゃないが周りに敵わないと思った。

 「中学校で一回、夢は捨てました」と、小学校まで抱いていたプロ野球選手になりたいという夢を諦め、なりたいのは「職人。大工っていうか、建築士」に変わった。「僕、作るのが好きなんで」。図工などが得意だったからだ。

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 「ずっと小っちゃかった。一番小っちゃかった。先頭でした」と「前へならえ」のとき、手は前に伸ばさず腰に当てていた。

 中学入学時は147cmで、卒業するころには10cmほど伸びていた。

 「高校入学前の春休みに3cmくらい伸びたけど、高1のときはそこまで伸びなくて、高2で一気に伸びて176、7cmくらいまでいって、高3でちょこっと伸びたくらい」。

 現在は180cmである。

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 身長が伸びるにつれて、野球での能力も変化していった。

 「球も速くなったし、打球も飛ぶようになった」。

 ずっと投手ではなく野手だった。高校のときはショートから始まったが、送球面からサードは松岡投手に白羽の矢が立った。13~4人の部員の中で、スローイングがピカイチだったからだ。

 結局、それが見込まれてピッチャーもすることになり、やがては自身も魅力を感じたピッチャーで独立リーグであるBCリーグに進むことになった。

■ライオンズとの縁

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 当時、松岡投手が考えていたのは「独立リーグなら1年でNPBに行ける」ということでは決してなかった。

 高3時の松岡投手にとって、NPBの世界は雲の上の存在だった。同い年の選手が注目され、騒がれていても「すごいなぁくらいで、あんま興味なかった」とどこ吹く風で、自分とは無縁だと思っていた。

 それよりも「もっと高いレベルで野球がしたい。自分がレベルアップして活躍した先にあるのならば…」という思いで、幸いにも家から通えるところに「埼玉武蔵ヒートベアーズ」というチームがあったので入団を希望したのだ。

 「最初からNPBではなかった」とうなずく。

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 けれど、ヒートベアーズでの片山博視コーチとの出会い、自身の努力、チームの育成法、運や縁…さまざまなものが合致した。6月の選抜試合で自信をつけると、気持ちはどんどん変化していった。

 「7月くらいにはスカウトが来はじめて、こうやって見てくれるなら1年で行きたいと思うようになりました」。

 ピッチングもみるみる向上し、その完コピした投球フォームから「武蔵の林昌勇(イム・チャンヨン)」との異名で注目を集めた。

 そして本当に1年でNPBに行けた。しかも支配下上位の3位で。

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 「正直、ビックリです。評価もあるんですけど、運というか…」。そう言ったあと、担当スカウトの話を明かす。

 「おもしろさと伸びしろで獲ったって。オリックス戦(選抜試合)を見にきてくれた潮崎(哲也)さんの印象がよかったらしくて。それも運がよかった」。

 ―。そうなのだ。この9月25日のオリックス・バファローズとの選抜試合に、当初は投げる予定はなかった。他球団の要望で直前に変更されたことにより、球場に足を運んだ編成ディレクターである潮崎氏のお眼鏡に適ったのだ。

 なんといっても強心臓だ。大舞台になればなるほど、力を発揮する。ここぞというときに“魅せる”ピッチングができる。それが各球団のスカウトに目を見張らせ、実に10球団から調査書が届いたが、結局ご縁があったのは地元のライオンズだったというわけだ。

 まさにシンデレラボーイである。

■好きな浅村選手との対戦に胸が高鳴る

ヒートベアーズの先輩たち(左・辻空投手、右・富田大貴捕手)
ヒートベアーズの先輩たち(左・辻空投手、右・富田大貴捕手)

 ライオンズのドラフト3位といえば、これまで浅村栄斗(現東北楽天ゴールデンイーグルス)、秋山翔吾金子侑司外崎修汰源田壮亮ら「チームの顔」ともいえる現役の主力選手ほか、松井稼頭央2軍監督西口文也投手コーチらそうそうたる顔ぶれが並ぶ。

 「知ってますよ。でも活躍しているのは野手が多いんです」。

 「ドラフト3位の投手」としては、自身がその“ドラフト伝説”を継承して、ゆくゆくはチームの顔になるんだと意気込んでいる。

松岡投手の表情から“いじられキャラ”なのが伝わってくる
松岡投手の表情から“いじられキャラ”なのが伝わってくる

 地元の球団であるライオンズ。小学生のころは所属するチームのOBである摂津正投手(元福岡ソフトバンクホークス)の招待で観戦にも行き、必死に応援した。

 高校生のころは浅村選手が好きだった。「バッティングが好きだった。豪快さと、2ストライク追い込まれたときに打ち方を変えるところとかが」。

 その浅村選手と、1軍に上がれば対戦することになる。松岡投手なら、どう攻めるのだろうか。

 「そりゃもう、まっすぐです!真ん中高めくらいで。コースはもうアバウトで、『打ってみろ!』くらいで」。

 かつての憧れの人だが、同じ舞台に立つとなれば全力でぶつかっていくだけだ。真っ向から力勝負を挑むつもりだという。非常に頼もしい若獅子の心意気である。

■「47」は松岡洸希、ライオンズのクローザーだ!(将来)

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 もらった背番号は「47」だ。ライオンズの「47」といえば、松岡投手もやはり「工藤さんのイメージ」だという。

 現在は福岡ソフトバンクホークスの監督である工藤公康氏は、名古屋電気高(愛知工業大名電)からプロ入りし、1年目から1軍で活躍した。3球団を渡り歩いたあと、再びライオンズに帰り、通算29年の現役生活で224勝を挙げている大投手だ。

 その間に数々のタイトルを獲得し、記録を打ち立て、表彰も受けている。現役での優勝は14度、日本一は11度に上る。

 「47」といえば「工藤」、または左腕投手の代名詞のようにも言われる。だからスカウトから番号を告げられたとき「まさか」と驚いたと明かす。

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 ただ、もらったからにはもう自分の番号だ。「47番が松岡洸希っていうイメージになるようにしたいですね」と瞳を輝かせる。

 「僕は抑えをやりたい。抑えは誰だってなったときに僕の名前が挙がることと、この背番号に合った活躍ができるように」。

 気持ちがいいくらいキッパリと言いきった。

これまで使っていたグラブを見せながら「アマゾンで2万円(笑)。安いからもう1個買っとこうと思って、次に見たら4万円になっていた(笑)」
これまで使っていたグラブを見せながら「アマゾンで2万円(笑)。安いからもう1個買っとこうと思って、次に見たら4万円になっていた(笑)」

 もちろん今すぐという話ではない。そこは己を知っている。

 「まだまだ完成していない。中途半端なので、完成に近づけたい」。

 松岡投手が思う“完成”とはどういう投手なのだろうか。

 「(最速149キロの)球速はもっと上げたいし、変化球の完成度も100%に近づけたい。10球投げて10球が狙ったところにいくように。それで僕が自分のスタイルを見つけたときが完成形です」。

将来の自分の姿を明確に描いている
将来の自分の姿を明確に描いている

 松岡投手が自ら完成したと思えるとき。

 それはリードした九回の場面で登場するようになったとき。

 そのときはもう、投球フォームは「林昌勇(イム・チャンヨン)みたい」とは言われなくなっているだろう。

 松岡洸希のフォームとして、野球ファンに広く浸透しているに違いない。

(表記のない写真の撮影は筆者)

松岡 洸希(まつおか こうき)*プロフィール】

2000年8月31日生(19歳)/埼玉県出身

180cm・81kg/右投右打/A型

桶川西高校→埼玉武蔵ヒートベアーズ(2019~)

《球種》ストレート、スライダー、チェンジアップ、カットボール、カーブ

《最速》149キロ

《趣味》アニメ、映画鑑賞

《特技》大食い。実家では毎日5合の米を炊くが、そのうち「僕が3合くらい」食べている。

《キャラ》いじられキャラ(自称)

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