戦力外から打撃投手を経て、支配下選手に復帰した古村徹(横浜DeNAベイスターズ)のエトセトラ

ニックネームは「こむたん」(撮影:筆者)

■古村徹投手の様々な顔

 前代未聞、前人未到、破天荒な男・古村徹のサクセスストーリーを、これまで振り返ってきた。支配下選手としてプロ野球界に入ったが左肩の故障によって育成契約になり、そのまま契約を終了した。打撃投手として裏方業を務めたが現役への思いを断ち切れず、退団して独立リーグで出直す決心をした。

 そこから3年。ラストイヤーと腹をくくって臨んだ今季、殻を破り、新たな自分を作り上げた。150キロの球速、新球のカットボール、それによって確立したピッチングスタイル。視野が広がり、動じないメンタルも手に入れた。

 (これまでのいきさつ⇒「戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ」【前編】 【後編】

 こんな投手をNPB球団が欲しがらないわけがない。数球団から注目され、最終的に古巣の横浜DeNAベイスターズに復帰が決まった。

 ここまで古村投手の様々な顔を紹介してきた。ビジュアルからもわかるとおり、イケメンである。古くからのベイスターズファンや古村ファンはもちろんのこと、新たに注目しはじめたというファンも非常に多い。

 「もっと古村徹を知りたい」―。そんな声に押されて、今回は、さらなる“豆知識”を披露しよう。「こむたんのエトセトラ」である。

【「徹」という名前】

カートに乗る徹少年
カートに乗る徹少年

 父・裕司さんが日産のレーサーだったことは以前、紹介した。裕司さんがかつて憧れていたレーサーのスター選手、生沢 徹(いくざわ てつ)さんのお名前から、読み方を変えて「徹(とおる)」と名づけられた。

 息子をレーサーにさせたかったという裕司さんによって、徹少年はまだ物心もつかない3歳のころ、レース場に連れられていった。だが足が届かないからダメだと、実際にレーシングカートに乗り始めたのは4歳のころだ。「乗る以上は遊ぶとか軽いものじゃなくて。生半可な世界じゃないから」と、ちゃんとライセンスも取得してだ。

 そこからランクが上がるごとにライセンスを取り、毎週末、レースに出場した。今も実家にはトロフィーが誇らしげに並んでいる。

レーシングスーツに身を包み、いっちょまえなポーズ
レーシングスーツに身を包み、いっちょまえなポーズ

 しかし小学2年から野球を始めるとそちらに興味が移り、またレースでは技術や成績が上がらない伸び悩みの時期が訪れた。野球に集中していくことになったのは、古村投手にとって自然な流れだったのかもしれない。レースの出場は小学校低学年ころまでだったが、それでも中学までは乗り続けてはいた。

【球技の原点は姉のしごき】

姉・緑さんと
姉・緑さんと

 古村投手には4つ上に姉・緑さんがいる。市内のドッジボールチームでキャプテンを務めていた小学生の緑さんに、家の裏の空き地でドッジボールの特訓を受けた。幼稚園のころである。

 「すごいスパルタだった。姉は負けず嫌いで、指導すると熱が入る。マンツーマンでしごかれた。ドSだった(笑)」。

 そのかいあってか、古村投手は幼稚園児ながら片手でドッジボールを投げられるようになっていたという。「僕の原点かな。土台を作ってくれた」と振り返る。

 「ほんと毎日ドッジボールをやらされていた。僕に発言権はなかったから(笑)。当然、テレビのチャンネル権もないし、音楽も姉の趣味。当時はモー娘。とか。嫌でも覚えてしまっていた(笑)」。

 思春期に少し距離が離れたこともあったが、緑さんが嫁ぐまではふたりでドライブに出かけたりしていたという仲のいい姉弟だ。

【験担ぎ】

このときの分け目は右(撮影:筆者)
このときの分け目は右(撮影:筆者)

 古村投手の写真をよく見ると、その時々で髪の分け目が違う。実は「流れを変えたいとき、髪の分け目も変える」という。

 「点を取られたり、ピッチングに納得いかなかったりしたら、何か変えたくて」。

 そのほか、験担ぎとしては「何をするにも左足から」と、こだわる。「階段の一歩目やファウルラインをまたぐとき、絶対に意識する」。愛媛時代の先輩から「左足からにすると運気が上がる」と教わって以来、それだけは守っているそうだ。

 「たまに無意識なときがあって、『やってなかった!』って気づいたら、そういうときって案の定やられてた」。

【性格】

須田幸太投手、伊藤拓郎投手と3人で変顔?
須田幸太投手、伊藤拓郎投手と3人で変顔?

 しかし、こだわるのは「左足から」だけで、それ以外はなんのこだわりも持たない「超絶のんき」と自己分析する。

 見ていてわかるのは、「かわいがられキャラ」「弟キャラ」ということだ。先輩に愛されるのだ。

 須田幸太投手のことは高校生のときに知ったという。それまであまりプロ野球に興味がなかったが、高3になる前のある日、ベイスターズファンの部員が部室にスポーツ新聞を持ってきた。そこに載っている須田投手を見て、「『この人やるわ』って、当時は上から思って(笑)」と一気にファンになった。

 奇しくもその球団に自身も指名され、須田投手と顔を合わせたとき、素直にその思いを告げた。「野球界の同じ立場で『ファンです』って言われたのはオマエだけだよ(笑)」。そう言って須田投手は何かと気にかけてくれ、今も変わらず可愛がってくれる。

2016年、三浦投手が引退するとの報道を耳にし、伊藤拓郎投手(群馬)、北方悠誠投手(愛媛)とともに番長Tシャツを。独立リーグ日本一を懸けた決戦の日
2016年、三浦投手が引退するとの報道を耳にし、伊藤拓郎投手(群馬)、北方悠誠投手(愛媛)とともに番長Tシャツを。独立リーグ日本一を懸けた決戦の日

 小林寛投手にはグラブだけでなく時計ももらった。ガガミラノの時計だ。「毎日使ってるし、もちろん会見のときもつけていた」。(参照記事⇒三つの思い~3

 ほかにも「大原慎司さんには誕生日に私服もらったり、やすさん山崎康晃)にはサングラス、国吉佑樹さんにはグラブケースやたくさんのウェア…数え上げたらキリがない」と目尻を下げる。(参照記事⇒三つの思い~2

【ファッション】

同期の桑原将志選手と
同期の桑原将志選手と

 オシャレである。しかし「あからさまなロゴとかは嫌。よく見ると実は○○(有名ブランド)だった、っていうのがいい」というこだわりもある。

 復帰の入団会見の日は、成人式用に新調したスーツ…つまり5年前に仕立てたものを着用し、高校からベイスターズに入団したときに球団からもらったネイビーのドット柄のネクタイを締めた。「パツパツだった(笑)」。無理もない。入団当時から体重は8kg増え、筋肉の付き方も変わっている。

 最近のお気に入りファッションは「楽なスタイル」だ。洋服の好きな色と問うと「黒、ネイビーばかり。あ、仮面ライダークウガの紫はめちゃくちゃ好きでした(笑)。幼少期、クウガの剣を買ってもらいましたもん」と、あらぬ方向に話が発展していくところが古村投手である。

 「僕、あまり親に駄々こねたことないけど、その剣を買ってもらうのに駄々こねた記憶がある(笑)」。話はなぜか“クウガ愛”に…。

【歯の矯正】

こちらも同期の渡邊雄貴選手と。新入団会見前
こちらも同期の渡邊雄貴選手と。新入団会見前

 現在、歯の矯正中である。「元々歯並びがガチャガチャだった。『何か変えたい』というのもあって、通ってた歯医者に紹介してもらって」と、横須賀で通い始めた。2014年に開始したが、愛媛や富山時代はオフシーズンしか通えなかったため、未だ継続中だ。

 「肩の痛みがなくなったのは何が正解だったのかわからないけど、歯の噛み合わせがよくなったことも一因だと思う」というように、アスリートにとって“歯は命”だ。

 下の親知らず2本を含め、合計7本の抜歯をし、「もう終わると思う。いや、終わってほしい(笑)」とまもなく完治を迎える。

【同級生たち】

2013年、春季キャンプでのランニング。真後ろは佐村トラヴィス幹久投手
2013年、春季キャンプでのランニング。真後ろは佐村トラヴィス幹久投手

 神奈川県内の同い年の仲間とは毎年集まる。元々は高校3年の秋、横浜高校の文化祭を訪れて輪が広がった。

 現在のチームメイトである乙坂智選手やファイターズの近藤健介選手(ともに横浜高)、藤岡雅俊投手(桐蔭学園高)、谷田成吾選手(慶應義塾高)、中瀬祐投手(日大藤沢高)らが、そのメンバーだ。

 平塚学園高のキャプテンだった市毛靖人さんはパーソナルジム「海老名フィゼスト」を経営し、現在、古村投手もそこに通っている。「今は“土台”をメインにやっている。ひたすら筋量アップ」。キャンプに向けて逆算し、だんだんと野球に繋げていくという。かなり追い込んでいる。

 ちなみに、痛みもなんの不安もなく万全の体でキャンプインできるのは初めてのことだ。「なんかそわそわする」と古村投手は笑う。

【背番号67】

古村徹投手本人のツイート(2018.12.19)
古村徹投手本人のツイート(2018.12.19)

 茅ヶ崎西浜高校から入団したときは「64」だった。育成選手になって「113」の3ケタを背負ったこともある。愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグ)で「14」、富山GRNサンダーバーズ(BCリーグ)では「24」を着けた。

 そして再びベイスターズに戻り、もらった背番号はなんと「67」。裏方から選手に戻る道標を示してくれた人、西清孝氏(現在は中日ドラゴンズの打撃投手)がベイスターズ時代に背負っていた番号だ。(参照記事⇒三つの思い~1

 また、同期入団の同級生・伊藤拓郎投手が入団時に着けた番号でもある。とてつもなく強力な“縁”を感じずにいられない。

■第二章の幕開け

 これまで幾多の困難に打ち勝ってきた。「いろんな人に否定されて、無理だと言われてきたけど、自分の伸びしろはまだまだあると思ってやってきた。自分の可能性を信じないとここまでこれない」。

 球速の150キロは通過点だと、古村投手は言う。「今やっと、自分を表現できるようになった。やっと土台が作れたので、ここがスタート地点」。地中から芽を出せた。ここから幹を太くし、枝葉をつけていく。今はようやくそのチャンスを掴んだだけだ。

 様々な顔を見せる古村投手がこの先、どんな投手になり、また新たにどんな顔を見せてくれるのか見守りたい。

 古村徹のサクセスストーリー、第二章はこれから始まる。

(表記のない写真の提供は古村徹)

古村 徹こむら とおる)】

茅ヶ崎西浜高⇒横浜DeNAベイスターズ⇒愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグ)⇒富山GRNサンダーバーズ

1993年10月20日(25歳)/神奈川県

180cm 78kg/左投左打/B型

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