「台湾デー」に日台のファン殺到!変わらぬ人気の林威助氏は台湾プロ野球の2軍監督

“りんりんスマイル”にファンは悩殺された(写真提供:中信兄弟)

日台両チームのユニフォーム
日台両チームのユニフォーム

 歴代の阪神タイガースの選手の中でもひときわ高い人気を誇った林威助氏が、2013年の退団後、はじめて甲子園球場を訪れた。6月5日に開催された「台湾デー」のゲストとしてだ。

 甲子園球場には早い時間から林ファンが集結し、変わらぬ姿に狂喜乱舞した。そのファンの数は、“りんちゃん人気”がいまだ健在であることを物語っていた。

■「台湾デー」

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 現在、台湾プロ野球・中信兄弟のファーム監督を務める林威助氏。シーズン真っただ中であるため、強行軍でやってきた。前日、「2時間くらいしか寝てなかった」と3時に起床。早朝の飛行機で来日し、すぐに甲子園球場で打ち合せ。

 その後、同行したお母さんと近くの商業施設などを歩いた。当日も朝から取材を受け、「台湾デー」のイベントに臨んだ。

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 まず甲子園歴史館ツアーの参加者との記念撮影をしたあと、トークショーを行った。その後はグラウンドでタイガースの練習を見学。打撃ケージの後ろで金本知憲監督に挨拶し、久しぶりの会話を楽しんだ。

 また、福留孝介選手鳥谷敬選手、大学の後輩でもある糸井嘉男選手ら馴染みの選手やトレーナーさん、裏方さんたちとも旧交を温めあった。「ゆっくりは話せなかったけど、通じ合うものがあった」と笑顔が絶えなかった。

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 続いては甲子園歴史館の「一日館長」として来館者に自身の名刺を配ったのだが、その光景に圧倒された。500枚限定の名刺を求めて、館内中を埋め尽くす大行列ができたのだ。

 日本のファンだけではない。台湾からも大勢のファンがかけつけた。これには関係者も「こんなの初めて見ました!歴史館が始まって以来です!」と目を丸くしていた。

 次は外周のミズノスクエアのステージでのトークショー。ここにも多くのファンが待ち構えており、林威助氏のトークにおおいに盛り上がった。

バックスクリーンに「台湾デー」のロゴ(写真提供:中信兄弟)
バックスクリーンに「台湾デー」のロゴ(写真提供:中信兄弟)
スタンドに向かって両手を挙げる(写真提供:中信兄弟)
スタンドに向かって両手を挙げる(写真提供:中信兄弟)

 そしていよいよグラウンドでのファーストピッチセレモニーだ。タテジマのユニフォームに身を包み一塁側から颯爽と登場した林威助氏は、スタンドに向かって両手を挙げて“りんりんスマイル”を炸裂させた。

 スタンドからはタイガース時代に演奏されていたヒッティングマーチが流れ、夥しい数のカメラのシャッターが切られる中、「けっこう緊張した」と言いながらも打者・トラッキーから空振りを奪って万雷の拍手を浴びた。

 その後は試合も観戦し、翌日の早朝には帰台するという“弾丸ツアー”を終えた。お母さんもかなりお疲れになったようだが、息子の晴れ姿に興奮冷めやらぬ感じだった。

■感動の一日。母もまた感動

ファーストピッチ(写真提供:中信兄弟)
ファーストピッチ(写真提供:中信兄弟)

 一連のイベントを振り返った林威助氏は「感動した。行ってよかった」と白い歯をこぼした。年始にオファーを受けたときから、このイベントを楽しみにしていたという。

 トークショーでも流暢な日本語を披露していたが、「最近なかなか日本語を使うチャンスがなかったので、日本語のラジオを聴いて耳を慣らしてきた。うまく話せなかったらよくないなと思って」と、密かに日本語の“特訓”をしてきたとか。

 「その環境にいないとすぐ忘れるから。使ってるうちに今日の日本語、明日の日本語、1週間後の日本語は全然違うから」。日本のファンを喜ばせたいという思いにあふれている。

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シンクロニシティ?
シンクロニシティ?

 久々のタテジマには「懐かしい」と言い、「5年ぶりなのにここまで覚えてくれていること、現役のときのテーマ曲を流してくれたこと、本当に嬉しかった」と表情をほころばせた。

 タイガース時代にも観戦に来られたことのあるお母さん。「母が来日した試合でたまたまホームランを打ってお立ち台に立ったことがある。そのときも4万人を超えるファンの人たちがボクの打席で名前を言ってくれて応援歌を歌ってくれて、それを聞いた母は『鳥肌が立った』と言っていた。今回もまた改めて感動していた」。

 お母さんの喜ぶ顔がまた、自身の喜びを増幅させてくれた。

 甲子園歴史館では「あんなにたくさんの方が来てくれて、『こんなこと初めて』と聞いた。中には泣きだした人もいてビックリした」と話し、「最初500枚って聞いたときは、短時間だし(配りきるのは)ちょっと難しいんじゃないかなと思ったけど、関係者の方がうまく誘導してくださってスムーズに配ることができてよかった」とスタッフへの感謝も口にするところが林威助氏らしい。

■思い出深いサヨナラホームラン

(写真提供:中信兄弟)
(写真提供:中信兄弟)

 ファーストピッチでグラウンドに立ち、懐かしい空気も味わえた。「甲子園は独特の雰囲気。大きくてファンの人も熱くて、選手のときはプレッシャーもあったけど、やったらやった分、返ってくる。やりがいのある場所。自分の家のような感じ。いろんな人に助けられ応援された、思い出がいっぱいあるところ」。ひさびさの“我が家”はとても温かかった。

(写真提供:中信兄弟)
(写真提供:中信兄弟)

 甲子園で一番印象に残っていることとして、「貞治)さんの前でサヨナラホームランを打てたこと」と2007年6月10日のソフトバンクホークス戦を挙げた。

 交流戦では必ず挨拶に行っていた。「いつも『頑張ってください』と言ってくださる。本当に謙虚な方。あんなすごい人なのに謙虚。あのホームランで多少はボクの名前を覚えてくれたんじゃないかな」。そういう林威助氏も謙虚だ。

写真提供:中信兄弟)
写真提供:中信兄弟)

 件の試合は五回裏二死で、降雨のために中断となった。五回まで終わっていたら試合は成立していたが、桜井広大選手が粘って四球を選んだところでの中断だった。

 「めっちゃ降ってきて、水も浮いてきて、これはできないなって」。林威助氏はこう振り返る。

(写真提供:中信兄弟)
(写真提供:中信兄弟)

 ここで尽力したのが阪神園芸さんだ。「あれくらいの雨だと普通なら中止なのに、それでもできる状態に整備してくれた」と感謝している。

 そして延長十回裏、林威助選手のサヨナラ2ランが飛び出した。なにより“祖国の偉大な英雄”の前で打てた。今でもとびきりの思い出だ。

■金本監督から贈られた言葉

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 今回の来日でまた新たな刺激を受け、ファーム監督1年生としてさらに指導に熱が入るだろう。4月1日の引退セレモニーで披露された、金本監督からのビデオメッセージの一言一言が今、胸に染み入る。

 「指導者になって一番難しいのは、思うように選手が成長してくれないこと」―。中でもこの言葉に林威助氏は深くうなずく。

 「そのとおりだと思う。ある選手にはこれくらい言えばわかってくれるけど、これくらい言ってもわからない選手もいる。そのへん我慢強く指導していかなければいけないなと思う。金本さんの言葉を実感している」。

 今回の再会では雑談程度しか交わせなかったが、お互いにしかわからない苦悩を共有できた。

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 現役時代から「まっすぐに強かったなぁ」と金本監督もその実力を認め、「よう話をしたよ。冗談も言い合いながらね」と可愛がってきた。先輩監督として林威助氏へのアドバイスを求めると、「オレがしてほしいわっ(笑)」と笑わせたが、その活躍を心から願ってやまない。

 一方、林威助氏も金本監督への思いはひとしおだ。「ボク、同じ年に(タイガースに)入団したんですよ。1年目はまだ膝のリハビリをしていて…。でも金本さんのプレーを見て、痛みに強いし骨を折ってても試合に出る。そういう背中を見て『自分も頑張らないといけない』と感じていた」。林威助氏の野球人生において、大きな影響を与えたひとりなのだ。

■自身の経験から選手に伝えたいこと

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 現在は40人ほどのファームの選手たちと寮で寝食をともにする毎日だ。普段は冗談を言って笑わせるが、グラウンドに出れば厳しい監督だという。

 「今まで現役のときは自分のことだけやればよかったのが、今の立場はみんなを見て練習させないといけない。見るポイントが全然違ってくる。たいへんだけど、キャンプではこのへんができないなぁと思っていた選手が今はできるようになったり、1軍で活躍して勝利に貢献したりしたら本当に嬉しい」。監督としての喜びを味わっている。

 もちろん苦労もある。いや、むしろそのほうが多いかもしれない。「ひとりひとり選手の性格を見ながら、これくらいの冗談は通じるなとか、自分に甘い選手にはこれくらい厳しく言わないととか、その性格に合わせて指導しないと。同じじゃダメだから」。

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 自身の経験から学んだことも選手たちに伝える。「ボクは大学3年のときに右膝をケガして、そのときに筋トレとかできることはやった。腹筋、背筋、腕…鍛えられるところは鍛えた。そして復帰してバッティングしたとき、その効果でさらに打球が飛ぶようになった」。

 ネット越えを連発し、ボールは次々と林に消えた。「打球がエグい。音が違った」と後輩たちは驚嘆した。林選手の復帰後、近畿大学の野球部グラウンドの防球ネットが“りんネット”としてリニューアルされたのは有名な話だ。

 ここから得た教訓として「ケガを怖がらず、ケガの期間を有効に使ってください。ケガすることは無駄じゃない。さらによくなることもある」と選手には説いている。豊富な経験は生きた教材となる。

■林威助氏の夢

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 林威助氏には夢がある。「台湾には楽しみな選手がたくさんいる。やっぱ日本でやってほしい。いい選手を育てて日本に送り出したい。台湾のプロより日本のほうが上なので」。育てた選手が、かつて自身が躍動した舞台に立つ。そんな日が来ることを願う。

 また「チャンスがあれば」と前置きした上で「日本での指導者もやってみたい」と思いを馳せ、さらに「台湾の代表監督もやってみたい。台湾代表監督として日本といい勝負ができたら」と夢は広がる。

 夢の実現のために試行錯誤中で、今いるアメリカ人のコーチからもさまざまなことを勉強しているという。「これからの指導者人生に役立つし、財産ですね」と貪欲に吸収している。

お母さん孝行もできた
お母さん孝行もできた

 「ボクの人生は野球」―。

 16歳で単身日本に来て高校、大学と進み、そして日本で11年、台湾で4年、プロ野球選手として野球人生を全うした。

 新たに歩み始めた指導者人生も、現役時代と変わらず全力で極めていく。

(表記のない写真の撮影はすべて筆者)

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