ヒマラヤのふもとから東京オリンピックへ―ネパール野球、20年目の進化

甲子園球場を訪れたネパール代表選手たち(撮影:筆者)

■野球ゼロからのスタート

練習見学に熱中するネパール代表選手たち(撮影:筆者)
練習見学に熱中するネパール代表選手たち(撮影:筆者)

  甲子園球場での阪神―巨人戦の試合前練習中、スタンドに見なれない人たちがいた。赤いTシャツの胸には「NEPAL」というロゴが入っている。聞けば野球のネパール代表チームのメンバーだという。バックネットにかじりつき、阪神タイガースの練習を食い入るように見ている。

 同行していたのは「NPO法人 ネパール野球ラリグラスの会」の小林洋平理事長。野球というスポーツが存在しなかったネパールで野球を教え、広める活動をしている。

一塁ベンチ前で記念撮影するネパール代表選手たち(撮影:筆者)
一塁ベンチ前で記念撮影するネパール代表選手たち(撮影:筆者)

 同会が発足するきっかけとなったのは、大阪のプール学院大学の海外研修だった。訪れた学生が現地でなにげなくキャッチボールを始めたところ、大勢の人が集まってきて物珍しそうに関心を示した。初めてキャッチボールを見たという人ばかりだった。

 ネパールには野球を知る人がいなかったのだ。1999年のことだ。

NPO法人 ネパール野球ラリグラスの会(写真提供:小林氏)
NPO法人 ネパール野球ラリグラスの会(写真提供:小林氏)

 そこから「ネパールに野球を広めよう」という活動が始まった。まず「これがボールです」といった説明をするところから始まった。

 小林氏はこう話す。「野球というのは思いやりのスポーツなんです。守備でカバーに入ったり、プレーの中で助け合う。そして平等です。誰でもが楽しめる」。そういった考えのもとに同会を立ち上げ、半年かけて道具の寄付を募り、再びネパールに渡った。

■「ネパールの野茂英雄」イッソー・タパ投手

ネパールのエース、イッソー・タパ投手(写真提供:小林氏)
ネパールのエース、イッソー・タパ投手(写真提供:小林氏)

 徐々にではあるが野球が浸透し、ひとりのスター選手が誕生した。イッソー・タパ投手(28)。「ネパールの野茂英雄」の異名をとる彼は今年2月、「西アジア野球大会」においてイラクとの対戦で19の三振を奪って勝利を収めた。

 これはネパールにとっても、国際大会での記念すべき初勝利だった。

 現在は日本の社会人硬式野球クラブチーム、ナインフォースの選手でありながら、代表チームで投手兼任コーチも務めているタパ投手。かつて野球に出会って魅了され、のめり込み、日本でプレーしたいと熱望した。ネパール国内では誰も彼の球を打てず無敵となったとき、もっと高いレベルの野球を勉強したくなったのだ。

 そこには「野球で家族の生活を助けたい」という思いもあった。

ネパール代表チーム(写真提供:小林氏)
ネパール代表チーム(写真提供:小林氏)

  2009年に相談を受けた小林氏はタパ投手を日本に呼び、独立リーグのトライアウトを受けさせた。「夢を応援したいというのと、現実を知ってほしいというのがありました」(小林氏)。

 はたして5つのリーグのどこにも合格することができなかった。やはりレベルの差はまだまだ大きかったのだ。

 しかしそこでタパ投手は諦めることはしなかった。いや、ますます野球に対する情熱を燃やし、日本でプレーしたいという思いを強くした。

甲子園で練習に見入るタパ投手(撮影:筆者)
甲子園で練習に見入るタパ投手(撮影:筆者)

 そして小林氏の尽力もあり、2010年大阪ホークスドリームという関西独立リーグのチームに入団することができた。このとき、「ネパール人初のプロ野球選手」として話題を集めた。

 2011年にプレーしたが出場機会に恵まれず、9試合に投げて0勝1敗、防御率は7.15だった。

村上隆行監督や石毛博史コーチと(写真提供:小林氏)
村上隆行監督や石毛博史コーチと(写真提供:小林氏)

 その翌年、2012年村上隆行監督(近鉄―西武ほか)率いる06ブルズ(ベースボール・ファースト・リーグ)に入団することができた。ここで石毛博史コーチ(巨人―近鉄―阪神ほか)から指導を受け、飛躍的に成長した。

小林洋平理事長とタパ投手(撮影:筆者)
小林洋平理事長とタパ投手(撮影:筆者)

 今まで教わることのなかったピッチャーとしてのふるまいや、投球の“間”などの教えはタパ投手にとっては新鮮であり、またそれ覚えたことによって自信をつけることができた。そして体も大きくなった。

 村上監督も「野球を覚えることができたし、日本文化に慣れたのも大きい。日本語もうまくなった」と野球での成長を認めるとともに、順応性の高さも評価した。

祖国で野球を教えるタパ投手(写真提供:小林氏)
祖国で野球を教えるタパ投手(写真提供:小林氏)

 こうして日本で得たことをタパ投手は祖国に還元し、今では「ネパールでは絶対的な存在」といわれるまでになっている。

 「最初、日本に来たときはマウンドやピッチャープレートすら知らなかった。でも色々教わって、ますます野球が好きになった」とタパ投手は白い歯を覗かせる。

■福永春吾投手(阪神)とも交流

06ブルズ時代の福永春吾投手から靴下をプレゼントされる(写真提供:小林氏)
06ブルズ時代の福永春吾投手から靴下をプレゼントされる(写真提供:小林氏)

 同会の発足15周年の2014年には13~16歳の少年20人ほどを10日間、日本に招待し、全国を回った。

 東京ドーム巨人―阪神戦を観戦したり、バット工場を訪問したり、また東大阪の中学生の選抜チームと親善試合を行ったりもした。

 実はこのとき、阪神の福永春吾投手にも出会っている。当時06ブルズに所属していた福永投手には世話になったそうだ。「靴下をプレゼントしてくれたんです。練習ではユニフォームを貸してくれました。優しい選手ですよね」と感謝している。

■2019年、東京オリンピック予選に向けて

2013年、王貞治氏によって「世界野球大会」に招待される(写真提供:小林氏)
2013年、王貞治氏によって「世界野球大会」に招待される(写真提供:小林氏)

 今回の来日は8月23日から11月19日の長期にわたる。代表選手であるマン・クマル・マル投手(22)、アニール・パリヤー捕手(27)は10月まで06ブルズの練習に参加し、スキルアップを目指している。

 村上監督も「野球をまだ知らない。日本のレベルでいえば中学生くらい。でも身体能力は高い。バネがある。ちゃんと覚えたらおもしろいと思う」と、そのポテンシャルに惚れ込む。

 「言ったことは素直にやるし、吸収する。のびしろは大きいよ。一生懸命だし、このまま伸びてくれれば。今後、交流も活発になればね」。ネパール人にとっても、進路の選択肢に日本のプロ野球が加われば、こんなにうれしいことはないだろう。

 そのほか滞在中に、東京のネパール人学校の小学生対象に野球教室を開催したり、学園祭でカレーの販売をしたりという国際交流も予定している。

左からナワラジ・ブジェル氏、アニール・パリヤー捕手、マン・クマル・マル投手(撮影:筆者)
左からナワラジ・ブジェル氏、アニール・パリヤー捕手、マン・クマル・マル投手(撮影:筆者)

 そして同行している元選手のナワラジ・ブジェル氏には「グラウンド調査」という重要な任務がある。

 実はネパールでは今、東京オリンピックの予選が行われる2019年に向けて、野球で出場しようという機運が高まっている。先述の国際大会での初勝利で勝つ喜びを覚え、盛り上がっているのだ。

 ただネパールは山岳地帯で、国内にはまともなグラウンドがない。練習もままならない。なんとか多目的グラウンドを作りたいというのが、彼らの切なる願いだ。

■日本のプロ野球からの刺激

食い入るように見つめる(撮影:筆者)
食い入るように見つめる(撮影:筆者)

 この日、タイガースの練習を見ながらタパ投手は「素晴らしい。道具も充実しているし、グラウンドもめっちゃきれい」と羨ましそうに話し、「イトイサンのスイングがすごい!ほとんどがホームランだ!」と糸井嘉男選手のフリーバッティングに見入っていた。

 「タイガースではメッセンジャー投手が好きです。野手ではトリタニサン。守備もめっちゃうまいね。こういう練習を見てたら、やりたくなる。もっと頑張りたい気持ちになる。テンション上がるね」。流暢な日本語で興奮ぎみに語っていた。

ネパール代表チーム(写真提供:小林氏)
ネパール代表チーム(写真提供:小林氏)

 練習見学のあとはライトスタンドで試合を観戦した。マル投手は大はしゃぎし、スマホでの撮影に大忙し。

 「こんなに野球のファンが多いなんて!」と、グラウンドだけでなくスタンドにも興味津々で、その雰囲気に圧倒されっぱなしだった。

 特にこの日は岩田吉川の左腕対決ということもあり、サウスポーのマル投手はパリヤー捕手と配球の話にも熱中し、得た収穫は少なくなかったようだ。

 今回の来日で日本の高いレベルの野球を学び、現地に持ち帰って広める。また、グラウンド整備の知識も吸収する。

 2019年の東京オリンピック予選に向けて、ネパール野球は一歩ずつ前に進んでいる。

ヒマラヤ山脈のふもとで野球に熱中するネパールの子どもたち(写真提供:小林氏)
ヒマラヤ山脈のふもとで野球に熱中するネパールの子どもたち(写真提供:小林氏)
裸足でプレーする子どもも!(写真提供:小林氏)
裸足でプレーする子どもも!(写真提供:小林氏)
ネパール代表選手(写真提供:小林氏)
ネパール代表選手(写真提供:小林氏)