最悪の事態になり得た危機から、西岡剛選手を救った阪神タイガースのトレーナー

練習を見守る権田康徳トレーナー(左端)

西岡剛選手が帰ってきた!!「鼻骨骨折左肩肩鎖関節脱臼左右の第一肋骨骨折」と診断された大ケガを乗り越え、6月27日、1軍の舞台に舞い戻ってきた。大歓声と割れんばかりの拍手に迎えられた西岡選手は、新たな持ち場であるサードの守備でも軽快に動き、初ヒットも記録した。体は完全に回復したようだ。

専門家から高い評価を受けた、瞬時の処置

衝撃的なアクシデントだった。3月30日、東京ドームでのジャイアンツ戦。セカンド後方の打球を追ってライトの福留孝介選手と衝突し、後頭部から床に落下した。ピクリとも動かない西岡選手の姿に、誰もが最悪の事態を想像したことだろう。

全国に中継されていたテレビの画面を見ていて、ある一人のトレーナーの行動が気になった。彼は事故後、即ベンチを飛び出して現場に駆けつけ、いくつかの確認作業の後、西岡選手の頭を支え始めた。救急車が到着するまでの間、微動だにせず支え続けた。

その人とはタイガースの権田康徳トレーナー。アメリカのNATA(The National Athletic Trainers’ Association)に認定されたATCという公式資格を持つ、アメリカでの勉強や訓練を積んだプロフェッショナルのトレーナーだ。権田トレーナーが施した適切な処置は関係者の間で注目を集め、話題に上った。権田トレーナー自身の元へは医学博士や救命救急に携わる人、そして他球団のトレーナー陣からも続々とメールが入った。

「権田トレーナーの処置は全て正しかった。もし衝突時に脊髄損傷が起こっていた場合、彼の処置がなかったら、その後の搬送でより重症になったり、最悪の事態になっていた可能性もある。彼は『これしかできなかった』と言うが、ボクは『それでよかったんだよ。やるべきことはできていた。そういうことができるトレーナーがタイガースにいてくれてよかった』と言いました」。こう話すのは、野球界のみならず他競技やオリンピックなどで世界のトップアスリートを診ている医師だ。その先生によると、「野球でここまでのひどい衝突はあまり想定していない。いくらトレーニングを受けていても、この処置ができるトレーナーはなかなかいない」そうだ。

また、各界のトレーナー陣を指導しているというインストラクターもテレビで見ていたそうで、直後に「あれしかないですね。よく頑張られました。日頃の訓練の賜物ですね」とのメールを権田トレーナーに送ったという。

その時、“現場”では・・・?

ではその時、どんな状況で、何を、権田トレーナーはしたのだろうか。

プロ野球界ではベンチに登録されるトレーナーは1人で、タイガースでは権田トレーナーが入っている。「小フライというのはケガが起こりやすい。人と人、人と物(フェンスやベンチ)との接触でケガの率が上がります」。大竹投手の打球がセカンド後方にフラフラと上がった瞬間、ベンチの権田トレーナーは過去の事例が頭をよぎりつつ、「ぶつかるなよ」と祈るように見ていたそうだ。

「福留選手もある程度のスピードできていたし、あの大観衆で声は聞こえない。西岡選手はほぼ(福留選手が)見えていなかった。衝突するまでの間に『これはぶつかるな』と、既にベンチの外に出ていました」。

衝突後もインプレー中はグラウンドに入れない。もどかしい思いで倒れている二人を見つつ、三塁コーチャーズボックスあたりのギリギリまで出た。ようやくプレーが止まると、一目散にダッシュした。その時点では、トレーナーは1人しかグラウンドに入れない。

まずは二人のうち、どちらが重症かを見極める。西岡選手であったことは明らかだ。「福留選手も座った状態ではあったけど、胸を押さえていたんで相当痛かったと思います。申し訳ないと思いつつ、西岡選手を優先しました」。

最初に脳震盪が疑われた。駆けつけて声をかけると、意識を失っていたものの、数秒経って返答があった。「意識が正常でない、呂律が回っていない、白目をむいている、口内出血(後の診断で鼻骨骨折によるものと判明)がある」という症状と、後頭部から頸部を痛打していることから、頭部外傷および頸椎損傷など重症度の高いものを想定。声かけをしていくうちに少しずつ意識は戻ってきたが、ある部分の記憶が飛んでいる。そこで脳震盪だと判断した。

次に、西岡選手が四肢を動かしているのを見て、最も恐れていた頚椎損傷ではないことがわかり、そこで「手足を動かすな」と両手を体側につけさせ、他の損傷部分を探した。すると段々と意識の戻ってきた西岡選手が訴えた。「ゴンさん、背中が痛い。背中が痛い」。

「それを聞いた瞬間、胸椎(首の下)の損傷の可能性があるなと。そうなると、これはもう動かしてはいけないと。私の中で確定ですね」。そこで施す処置は「頭頸部体幹固定」だ。

と同時に出血やショック状態からのバイタルサイン(血圧、脈拍、心拍)の変動がないか、ジャイアンツのチームドクターに確認を委ね、落ちていないことを確めた。

その間も権田トレーナーはずっと同じ姿勢で、自らの手で西岡選手の頭から体を固定し続けた。「あの状況下での最善の判断です。救急隊員が到着するまで少しの傾きもダメだと。最後、腕がプルプルしていましたよ」。前後にも左右にも上下にも、何があっても動かすまいという強い意志が、テレビ画面を通しても伝わってきた。

前出のインストラクターも「正しくできているなと見ていました。四つん這いで前腕を床につけ、耳を塞がない。単純でありながら一番固定できる。頭と体を固定しなかったら、西岡選手自身、力が抜けて故意じゃなく動かしてしまう可能性もあります。そして何より、いくら勉強していても、いざとなると忘れていたり行動できなかったりするものです。あれはとても勇気のいることだし、冷静だったと思います」と、テレビの前で拍手を贈った。

誇れる阪神タイガースのトレーナー陣

「今回のことで、これで終わってしまってはいけない。今後もっとひどいことが起こる可能性もある。教訓にしないと」。タイガースだけではなく他球団も含め、問題を提言、共有していく必要があると、前出の医師は話す。救急車到着まで時間がかかり過ぎたことももちろんのこと、5万人近い衆人環視の中で処置をしなければならなかったことも問題点に挙げる。

「権田トレーナーはきちんと訓練を受けているとはいえ、あんな何万人も見ているところで冷静に判断して、あの処置ができたというのはすごいこと。皆に見られているって、どれほどのプレッシャーがかかることか」。前出の医師は負傷者の処置を衆人の中で行う難しさを強調し、「『プレッシャーが与えるマイナスの影響』がある。ブルーシートで囲うなど負傷者のプライバシーを守り、処置をし易くする環境をすぐに設営できることも今後の課題」と説く。

幸いにもタイガースはベンチ裏に診療できる場所を持ち、ATCのトレーナーが12名中5名もいる。これは12球団トップの数で、異例の多さだ。しかもベンチ入りトレーナーでATCの資格を持っているのはタイガースだけである。それが権田トレーナーだ。

「実はあの後からベンチに入るのが怖いんです。それまでなかった首痛や異様な肩のこわばりが、あれ以来あるんです。トラウマですね。それくらい緊張感と責任感を持って入っていますから」と、権田トレーナーは明かしてくれた。そして自問自答を繰り返している。「あれ以上にできたことはなかったか。もっと冷静になれなかったか。自分自身、ベンチに入るのに値するか」。

選手が思いきってプレーできるように。事が起これば最善の処置で救えるように。トレーナーもプロフェッショナルとして、選手とともに日々戦っている。