本日6月29日(日本時間6月30日)、アルゼンチン代表がワールドカップ・メキシコ大会で優勝してから35周年を迎えた。

 1986年の今日、25歳の若きキャプテン、ディエゴ・マラドーナを擁したアルゼンチン代表は、エスタディオ・アステカで行なわれた決勝戦で西ドイツと対戦。2点リードしながら追いつかれるという大接戦の末、83分にホルヘ・ブルチャガによる勝ち越しゴールが決まって3-2の劇的勝利をおさめ、自国開催となった1978年大会に次いで2度目となる世界制覇を達成した。

 あれ以来ワールドカップで優勝していないこと、35年という区切りの良いタイミングであること、そしてマラドーナ亡き後初めて迎える6月29日であることから、アルゼンチンほどのサッカー大国なら大々的に取り上げられても不思議ではなかった今回の優勝記念日。ところが実際は、一部の主要メディアで簡単に報じられ、SNS上で決勝戦の動画や画像が共有されただけに留まった。

 だからといって、35年前の快挙が過小評価されているわけではない。アルゼンチンではちょうど1週間前の22日、同じメキシコ大会で起きたある出来事が全国各地でたくさんの人たちに称えられ、祝福された。マラドーナが準々決勝のイングランド戦で決めた5人抜きドリブルゴールである。

 なぜ「優勝35周年」より「イングランド戦でのゴール35周年」の方が盛大に祝福されたのか。その理由は、スポーツ界ではタブーとされる政治的な問題と、マラドーナがアルゼンチンの一部の人々から「神」と呼ばれる要因に関係している。

 ワールドカップ・メキシコ大会におけるイングランドとの対戦には、アルゼンチンの人々にとって単なるサッカーの試合に留まらない、特別な意義が秘められていた。

 1982年に勃発したフォークランド紛争でイギリスと戦い、数多くの若い兵士の命を犠牲にしながら敗戦した辛く悲しい記憶は、4年の歳月が流れてもなお深い傷となってアルゼンチン国民の心に刻まれたままとなっていた。彼らにとってイングランド戦はそのリベンジであり、国営放送で同試合の実況を担当したアナウンサー、ビクトル・ウーゴ・モラレスも、5人抜きゴール35周年記念当日の朝、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で次のように語った。

 「あの時、私たちはどれほど嘘をついていたことか。戦争はサッカーとはなんの関係もない、物事を混同してはならないなどと、まるで悟りを開いたかのように自分に言い聞かせたのだ。でも現実には、戦争は私たちの心に大きな棘となって突き刺さったままで、(イングランドとの)試合を戦争の痛みから切り離すことはできなかった。」

 イングランド戦でマークした2ゴール(1点目は『神の手』ゴール)によって、マラドーナはアルゼンチン国民をそんな棘の痛みから解放した。特に2点目となった5人抜きゴールは、プレーそのものの美しさ、痛快さから「世紀のゴール」と名づけられ、一人のサッカー選手が「神」と崇められるきっかけとなった。6月22日は、後世への影響力において「ワールドカップ優勝」というサッカー界での栄光を遥かに上回る叙事詩が生まれた日なのである。

 その「世紀のゴール」の35周年を祝うため、アルゼンチンサッカー協会はツイッターで「#GritaloPorD10S」(神のために叫べ)というハッシュタグを作り、「天まで届くようにみんなで叫ぼう」と呼びかけた。ゴールが決まった同時刻となる6月22日16時09分、ビクトル・ウーゴ・モラレスによる当時の実況音声をかけながら、天国のマラドーナに向けて一斉に「ゴール!」と叫んで称えようという企画だ。

 平日の午後とあり、職場で仕事中の人にとっては実践がやや困難となったものの、自宅にいた人、散歩中の人、学校の児童たちなどが一斉に歓喜の叫びをあげ、道行く車はクラクションを鳴らしながらゴールを祝い、国営放送をはじめとする主要メディアもゴールシーンの映像を流して35年前の感動の瞬間を再現。SNSでもクラブチームの公式アカウントやスポーツ専門アカウント、サッカー界や芸能界の著名人、ジャーナリストたちが16時09分ジャストに「GOOOOL!」の文字や5人抜きドリブルの動画、画像などを投稿し、マラドーナの偉業を称えた。

 だが、全ての人がこのアイデアに賛同したわけではない。オンライン審議中だったアルゼンチン下院議会では、ある議員が「今16時09分になりました。さあゴールを祝いましょう」と言いながら他の議員の演説を遮り、参加者全員に拍手を促したが、一部の議員は議会の進行を妨げる行為に憤慨。その中の一人が後にツイッターで「私はあのお祭り騒ぎに参加した誰よりも熱心なサッカーファンだが、我々が国から金をもらっているのは真面目に議会を進めるためだ」と書き込んだことが発端となり、メディアやSNSで「コロナ禍で9万人を超える犠牲者が出ている中、議員が任務を中断してまでマラドーナを称えるべきかどうか」の議論に発展、様々な意見が飛び交った。

 1986年当時は生まれてもいなかった子どもたちまでが参加し、死後もなお世論を二分する事態を招くほど、マラドーナの影響力を改めて感じさせた今回の企画。それはまるで、現役時代に彼のパーソナル・トレーナーを務めたフェルナンド・シニョリーニによる「今日我々がプラトンやソクラテスの話をしているように、次世代も、その次の世代も、人々は永久にマラドーナについて思い出し、語り続けるだろう」との先見を裏付けていたかのようだった。