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和歌山の果物農家が「銀座」にフルーツパーラー直営店を開店した狙いとは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
果樹園で収穫する児玉典男会長(五代目、左)と芳典社長(六代目、右)(柑香園提供)

10月18日、東京・銀座、昭和通り沿いのホテルの1階に「観音山フルーツパーラー」がオープンした。続いて11月3日、表参道にもオープンする。オープンの告知には「これが和歌山の実力!」と書かれている。商品力に絶大な自信があることが伝わる。これらの店を営んでいるのは和歌山県紀の川市の果物農家、農業生産法人有限会社柑香園である(銀座店は直営、表参道店は共同経営)。

10月18日にオープンした「観音山フルーツパーラー 銀座店」。歌舞伎座から至近距離にあり銀座の名所となる佇まいだ(10月16日、筆者撮影)
10月18日にオープンした「観音山フルーツパーラー 銀座店」。歌舞伎座から至近距離にあり銀座の名所となる佇まいだ(10月16日、筆者撮影)

銀座店は9月に入ってから内装工事等が進み、店前を通る特に女性たちはフルーツパーラーが出来ることに目ざとく立ち止まっては店頭を眺める光景が見られた。10月上旬から開店準備を進め、同店のあるじである児玉典男氏(柑香園会長)は店頭で立ち止まる女性たちにみかんが5~6個入ったサンプルを手渡した。「うちらのつくったみかんです。味が濃いですから、楽しみに食べてみてください」――こんな解説付きでみかんを手にした女性たちは、みな「オープン楽しみにしています」と言って嬉々としていた。

和歌山の果物農家がなぜ「銀座」でフルーツパーラーを営むことになったのか。これからのビジョンをどのように描いているのだろうか。

「観音山フルーツパーラー」のパフェ。生クリームの食味は軽くなっていて、フルーツの甘味や食感を引き立てている(筆者撮影)
「観音山フルーツパーラー」のパフェ。生クリームの食味は軽くなっていて、フルーツの甘味や食感を引き立てている(筆者撮影)

明治44年創業から営々と続くチャレンジャー

柑香園会長の児玉氏の名刺には「五代目」とある。同社の本部は和歌山県紀の川市粉河にあるが、本部から半径1キロ圏には民家が存在しない。広大な果樹園の中で農業生産法人を営んでいる。五代目が銀座にフルーツパーラーを開店するに至るまでは、果物農家としての基盤づくりと業容拡大に向けた情熱が存在している。

同社の初代は吉兵衛氏。払い下げのあった官有地を開墾して、みかん農家を始めた。明治44年(1911年)のことである。

二代目、長治郎氏は雑木林を開墾して果樹園の拡大に努めた。

三代目、正男氏は農業生産者であると同時に商才を発揮した。昭和元年(1926年)より個人で出荷を手掛けた。付近の農家からみかんを購入して、国内での販売と並行して北米や朝鮮・満州へと海外での販売を広げた。商標「ヤマチョー」を取得した。

四代目、政藤氏は出征先の満州より帰国。農地解放で所有農地の8分の5を手放すことになる。戦中・戦後のみかん園の荒廃は甚だしく、肥料不足によってその復興は困難であったが、昭和23年(1948年)より始められたカナダ向けみかん輸出に参画して、その見返り肥料を果樹園の回復にあてた。収入は増加したが所得税が重圧となり、それを合理化するために法人を設立、昭和37年(1962年)11月に農業生産法人有限会社柑香園に組織替えをした。同時に果樹専業農家となり、農協や任意出荷団体には加入せず、あくまでも生産と直売に徹した。

そして、五代目の典男氏に引き継がれる。

柑香園会長の児玉典男氏。「私の強みは50年間農業の現場にいること」と語り、ITを駆使して農業の可能性を切り拓いてきた(筆者撮影)
柑香園会長の児玉典男氏。「私の強みは50年間農業の現場にいること」と語り、ITを駆使して農業の可能性を切り拓いてきた(筆者撮影)

典男氏は三重大学農学部農芸化学科を1972年に卒業後、柑香園に入社した。以来50年間農業の現場に携わっている。

就農して以来、海外産オレンジが輸入されることによってみかんの需要が低迷。市場出荷を行っていたが市場価格も下がり始めたことから、スーパーとの直接取引を行うようになった。1990年代の半ば、インターネット黎明期の中でホームページを作成、個人への直接販売を行うようになった。

その後、見た目は良くないが味は良いフルーツを加工品にするためにフルーツ加工品事業も手掛けるようになった。

一貫した直接販売が開花する

2018年に現在の本部である新社屋が完成。生産、加工、出荷、販売に加えてフルーツパーラーが一体となった施設となった。この「観音山フルーツパーラー本店」は同年4月にオープンした。

「観音山」のブランドは西国三十三巡礼札所に由来する。ここの特徴はすべての寺院が観音様を祀っていること。児玉氏は地元に三番目札所の「粉河寺」があることに常々縁を感じていた。ここの一帯には観音という地名は存在しないが、昔からこれらの山々を通称観音山と称していたことから、柑香園の商品に名付けようと考えた。こうして「観音山」は2003年に商標登録した。

同社が代々注力してきたことは、直接販売ということ。そして五代目がインターネットに着眼して個人向け直接販売を全国ネットに広げたことによって、販路が拡大したと同時に、商品を購入した顧客からの声が直接届くようになった。これが果物農家としての生産意欲を高めていった。

「生産者にとって一番うれしいことは、自分がつくったものを消費者がどのような場所で、どのような表情をして食べているのかを見ることができるということ。『おいしかった』と言ってくれると素直に嬉しいし、『あれはもっとこうした方がいい』ということであれば、改善するための意欲が増す。それを消費者の状況が分からない流通に頼っていると、消費者の反応が伝わってこないし、価格も業者に決められてしまう」

さらに、柑香園が個人向け直接販売に傾注していく中で出来上がっていった仕組みは、商品を一年間絶やすことなく販売するということだ。このために近隣の果物農家と連携するようになった。さまざまな産地とのネットワークが出来上がり、消費者に届ける1年間のメニューを作り上げていった。これが「フルーツパーラー」を運営するというアイデアにつながった、これらのメニューは旬で最もおいしい果物が使用されていて、それによって季節感を十分に味わうことが出来る。

2018年に完成した本社社屋。1階が本社機能と集荷場、フルーツ加工品工場、2階が「観音山フルーツパーラー本店」となっている(柑香園提供)
2018年に完成した本社社屋。1階が本社機能と集荷場、フルーツ加工品工場、2階が「観音山フルーツパーラー本店」となっている(柑香園提供)

果樹園の本店はウエーティング3時間

「観音山フルーツパーラー 本店」は店内40坪、テラス席10坪で60席の規模。フルーツパフェは1品目2000円前後となっている。連休ともなるとウエーティングが200人で3時間待ちということが珍しくない。自動車のナンバーは沖縄、札幌という遠隔地のものもある。和歌山県の南側に位置するリゾートの白浜町の周遊観光で利用されている模様だ。

柑香園の年商は6億円となっているが、そのうちこの本店と関連商品の売上げで1億5000万円を占めている。

個人向け直接販売の売上げは増え続けている。現状、顧客情報は30万件を保有していて、商品情報をメールで送信して購入動機につなげている。商品は配送業者が届けるが商品の合計金額が5000円以上の場合は送料半額、1万円以上の場合は無料としている。

全国に30万件の顧客情報を持ち、フルーツのブランドである「観音山」は旬のおいしいフルーツを届けてくれる存在となっている(筆者撮影)
全国に30万件の顧客情報を持ち、フルーツのブランドである「観音山」は旬のおいしいフルーツを届けてくれる存在となっている(筆者撮影)

顧客の増加に伴って栽培面積が不足するようになり耕作放棄地約8haを借り受け、現在の果樹農園は14ha(東京ドームの約3.5倍)となっている。近隣の委託栽培農家は300軒となっている。

さて、「観音山フルーツパーラー」は本店がオープンしてからその魅力がにわかに広がり、FCを申し出る事業者が現れるようになった。2019年11月、12月と京都店、神戸店がFCとしてオープン、2020年6月南紀田辺店(和歌山県、直営)、2021年3月河口湖(山梨県、FC)、8月和歌山市店(FC)とオープンが続いた。今年はさらに銀座店(直営)、表参道店(共同経営)がオープンし、来年は尾道店(広島県、FC)と駒沢店(東京都、FC)が控えている。これで11店舗となる。ますます店舗数が広がる勢いだ。

六次化を活発にして持続可能な力となる

「FC店の展開で『観音山フルーツパーラー』は全国に広がることになりますが、各店では観音山からの果物だけではなく地場の生産者の果物をどんどん使って欲しい。そうすることによって地場の農業が活性化することにつながります」

こう語る児玉氏は、銀座店では「今月のコラボ産地」という形で、和歌山県以外の産品も同時にアピールしていきたいと考えている。

「和歌山の田舎の果物農家が銀座に店を出す意義とは、銀座が消費地の象徴ということ。生産者が消費者に近づくために、銀座ほど絶好の場所はありません。銀座でたくさんのお客様からご意見を頂戴し、全国の生産者に発信していきます。一方地方で励んでいる生産者の姿も伝わることになるでしょう。こうして果物の生産が活発になって、農家の収入が増えていきます。銀座店はこのようなロジックをつくっていく旗艦店として位置付けていきたい」(児玉氏)

銀座店の店内の壁には和歌山現地の果樹園の様子がプロジェクターによって投影されている。生産者と消費者との距離が著しく近いことが同店の魅力だ(筆者撮影)
銀座店の店内の壁には和歌山現地の果樹園の様子がプロジェクターによって投影されている。生産者と消費者との距離が著しく近いことが同店の魅力だ(筆者撮影)

店内の大きな白い壁にはプロジェクターによって和歌山・観音山フルーツガーデン現地の様子が投影されている。銀座にいながら、みかんを手摘みしている様子を見ることが出来る。このような一次産業と三次産業の距離の近さは六次化を活発にして、さまざまな分野に持続可能な力をもたらすことになるであろう。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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