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「先祖は名門杜氏」だと知った女性が焼酎プロデューサーに 活動2年半で思うこと

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
メーカーのレストランで焼酎と発酵食を合わせる会を開催。(黒瀬暢子氏提供)

「焼酎プロデューサー」を名乗る女性がいる。福岡県在住の黒瀬暢子氏がその人だ。焼酎プロデューサーの仕事とは黒瀬氏によると、焼酎の商品を考えることもさることながら「焼酎の文化を広げるために、焼酎を楽しむ人を増やすこと」だという。「女性の中には、焼酎が苦手という人もいて、自分も女性であることからその気持ちは理解できます。そこで『女性に焼酎を広める』ということをミッションに掲げて活動をしています」という黒瀬氏は、女性目線で焼酎文化を広めようとしている。

「あなたは杜氏の名門の末裔ですね」

焼酎に詳しい人であれば、「黒瀬」という姓は杜氏の名門「黒瀬杜氏」に関係しているのではないかと推察するという。

黒瀬杜氏とは、明治時代から昭和中期にかけて南九州を中心に活躍した「焼酎造りのプロフェッショナル集団」である。その呼び名は発祥地である鹿児島県南さつま市笠沙(かささ)町の地名「黒瀬」に由来する。

黒瀬杜氏を生んだのは明治32年(1899年)に自家用酒税法が廃止されたことがきっかけ。個人の酒造りが禁じられ、免許が必要になったことで、鹿児島では多くの人々がこれを取得して、集落単位で焼酎造りを行うようになった。

軌道に乗った焼酎蔵は大規模化し、人手を求めて黒瀬地区から出稼ぎの職人を雇い入れた。ここで焼酎造りを学び、技術を磨いた職人たちが後に各地の焼酎蔵で杜氏として活躍するようになった(一部『たのしいお酒.jp』より)。

黒瀬氏は、この由来にある黒瀬杜氏の末裔なのである。そこで、焼酎プロデュースをミッションとして活動するようになった。

「焼酎プロデューサー」の黒瀬暢子氏。海外でモノづくりを行う会社員との2足の草鞋から、昨年9月に退社をして、本格的に女性目線で焼酎を広げる活動を行っている。(黒瀬暢子氏提供)
「焼酎プロデューサー」の黒瀬暢子氏。海外でモノづくりを行う会社員との2足の草鞋から、昨年9月に退社をして、本格的に女性目線で焼酎を広げる活動を行っている。(黒瀬暢子氏提供)

黒瀬杜氏と関係があることに気付いたのは2018年の8月のこと。東京・渋谷、宮益坂の焼酎バー「黒瀬」に行ったことがきっかだった。Facebookに「私と同じ名前の焼酎バーに行ってきました」と投稿したところ、知人から「黒瀬さんは名門ですね」と書き込みがあった。「名門とは何ですか?」と尋ねたところ、知人は前述のような黒瀬杜氏のことを教えてくれた。

黒瀬家100人の家系図を独力で作成

父に黒瀬杜氏のことを尋ねたところ、黒瀬杜氏との関係性がだんだんと明確になっていった。初めて聞かされたことだが、父は黒瀬杜氏の庄屋の直系であるという。

「私は本当に黒瀬杜氏の末裔なのか?」

この確信を得ることに強烈に興味が湧いた。

黒瀬氏は当時、アジア・東南アジアの国々でモノづくりを行う会社に勤務していて、一年の半分は海外で活動するという忙しい日々を過ごしていた。その合間に時間をつくって自分のルーツを探ることに没頭するようになった。

叔父が黒瀬家の江戸時代からの戸籍謄本を持っていることを知り、それを譲り受けて黒瀬家の家系図をつくることを始めた。この作業をしている過程で、途中まで出来上がった家系図を持って、これまで会ったことのない鹿児島の黒瀬集落の親戚を訪ね歩いた。訪問先で訪ねた理由を伝えると、家の中に招き入れてくれたという。こうして家系図の空白の部分を教えてもらい、書き足しを進めていった。

同時に祖母方の家系図もつくることを進めた。ここにも黒瀬集落でのたくさんのつながりがあることを発見した。ここには実に多くの杜氏が存在した。

そして、100人の家系図が完成した。その瞬間、焼酎造りの志、技、そして誇りが脈々とつながっていることを実感、先祖の優しさが温もりとなって伝わり黒瀬氏は感極まったという。この時の状況を筆者に語った黒瀬氏は目が潤み出し、涙があふれた。

神々から守られた酒造りの里

この活動の過程で神話に触れることになり、黒瀬杜氏は日本の神々とゆかりがあることを知った。

天照大神(アマテラスオオカミ)が天上界に居て、葦原中国(アシハラノナカツクニ=日本)を治めるために降ろしたのが自分の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。その場所は宮崎の高千穂で、そこから舟で南下して、たどり着いたのが黒瀬杜氏の集落、笠沙のある黒瀬海岸である。ここは現在、神渡(かみわたり)海岸ともいう。

ここにもともと住んでいた木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と瓊瓊杵尊が恋をして、生活を営んだところが笠沙であった。

この二人から生まれた子供が火照理命(ホデリ=海幸彦)、火遠理命(ホヲリ=山幸彦)である(もう一人いて三兄弟)。

瓊瓊杵尊は狭名田(サナダ=現在の霧島市霧島田口)で水穂をつくっていた。木花咲耶姫が三兄弟を生んだ時に父の大山祇命(オオヤマツミ)が大層喜び、狭名田で採れた米で酒を造った。そこで大山祇命は酒造りの祖神として祀られるようになり、酒造りのきっかけをもたらした木花咲耶姫は酒解子神(サカトケコノカミ)として扱われている。

黒瀬杜氏はこの神話を誇りとして酒造りに励んだという。この神話のストーリーを知った黒瀬氏は、この中に出て来るポイントをすべて巡った。そこの場所に立っては、「神様はどのような気分でいたのか」ということに思いを馳せたという。

「焼酎女子会enjoy!」で親睦の輪が広がる

黒瀬杜氏の末裔だと確信してから、Facebookでの投稿をはじめた。最初は自分で飲んだ銘柄についての印象、次にさまざま割材と試してみたことの印象など。このようなことを継続していくうちに、他の女性たちと一緒に楽しみたいと考えるようになった。

そこで、2019年1月より「焼酎女子会enjoy!」をはじめた。参加した人々は、焼酎のいろいろな割り方を楽しみながら、お互いがだんだんと親しくなり、見ず知らずの間柄だったのが肩を組んで帰るような光景が見られた。開催するたびに好評で、月に1、2回の頻度で開催するようになった。

2019年1月より開催した「焼酎女子会enjoy!」は昨年9月の段階で累計50回、参加者総数で600人を超え、100回の開催を目指して継続している。(黒瀬暢子氏提供)
2019年1月より開催した「焼酎女子会enjoy!」は昨年9月の段階で累計50回、参加者総数で600人を超え、100回の開催を目指して継続している。(黒瀬暢子氏提供)

焼酎女子会enjoy!を継続しているうちに「女性に欠かせないものは料理だ」ということに気が付いた。そこで「料理と焼酎を合わせる」という趣旨も加わった。これは料理と焼酎との相性について見識の高いメーカーやレストランとコラボレーションで行うようになった。

コロナ禍となって、焼酎女子会enjoy!はオンラインに移行した。ある分野で活動する専門家がメインスピーカーとなり、そのレクチャーを聞きながら焼酎を楽しみ、親睦を深める活動を継続している。メインスピーカーの分野は、小顔矯正インストラクター、えんぴつで名画講師、江戸語り等々、ユニークで多岐に及んでいる。2020年の1年間だけで30回以上開催した。

実際の焼酎プロデュースでは、2019年に福岡県宗像市の「宗像観光おみやげ館限定」で地元素材を使用した焼酎ベースのリキュールである「三女神」を商品化した。福岡名産の苺である「あまおう」をそれが採れる4月に焼酎に漬け込み、8月に完成。300mℓ1200円、300本製造した。アルコール度数は14度で、ヨーグルトやアイスクリームにかけるのも楽しい。お酒が苦手な女性でも焼酎を体験する入り口としては受け入れやすい。

黒瀬氏が初めて商品開発にかかわった焼酎「三女神」は、「焼酎女子会enjoy!」のメンバーの協力のもとで個性的で印象深い販促物を作成し、たくさんの注目を浴びた。(黒瀬暢子氏提供)
黒瀬氏が初めて商品開発にかかわった焼酎「三女神」は、「焼酎女子会enjoy!」のメンバーの協力のもとで個性的で印象深い販促物を作成し、たくさんの注目を浴びた。(黒瀬暢子氏提供)

予期せぬ新しい「おいしい」に感動

黒瀬氏は、焼酎プロデューサーを専門的に生業としていこうと思いを募らせ、2020年7月に会社を辞めることを決意し、9月に退社した。

2021年1月に東京から福岡に住居を移しインキュベーションセンターに活動拠点を構えた。

福岡にしたのは酒蔵の現場を深く知るためである。九州で酒蔵が多いのは鹿児島だが、福岡に拠点を置くと、九州の全域にアクセスがしやすい。また、福岡は個性的で主張を持った飲食店が多く。焼酎のよりおいしい飲み方やより楽しく飲んでいただくためのヒントを探る上でも効率的である。このようなことを考える上で酒蔵の人々がさまざまなアイデアを寄せてくれる。

「焼酎女子会enjoy!」はオンラインに移行。さまざまな分野で活躍している女性をゲストに招き月2~4回のペースで開催している。オンラインの特性を生かして蔵元や海外ともつないでいる。(黒瀬暢子氏提供)
「焼酎女子会enjoy!」はオンラインに移行。さまざまな分野で活躍している女性をゲストに招き月2~4回のペースで開催している。オンラインの特性を生かして蔵元や海外ともつないでいる。(黒瀬暢子氏提供)

焼酎と食べ物との相性の研究を継続している。シンプルなことでは焼酎の素材と食べ物が共通している場合はとてもよく合う。小麦が素材のうどんとやパスタ、餃子は麦焼酎と合う。さっぱりした料理や塩干しにも向いている。さつま揚げや甘いみりん干しに芋焼酎と米焼酎が合う。栗焼酎はケーキのモンブランに合う。こうして、予期せずに新しい「おいしい」が口中に現れる瞬間に日々感動を覚えている。

これまでの焼酎プロデューサーとしての経験から、黒瀬氏はさまざまな媒体が焼酎と食べ物の相性を語る時に「なぜ合うのか」というロジックを論述してほしいと考える。読者に対して情報を与えるだけでなく、「なぜ?」という考察を深めることによって、焼酎と食べ物のベストな相性を発見した瞬間の感動は深まることであろう。

焼酎は日本酒と比べて旨味成分が少なく料理を引き立てやすいことから、飲食店にとっては顧客への提案が豊かになっていくのではないか。相性のマトリスクや一覧表をつくれば、より分かりやすくなり、飲食店にとっては客単価が上がり、リピーターも増えていくことだろう。このような情報発信も黒瀬氏の活動の一つとなっていくことであろう。黒瀬氏はこう語る。

「旅には『あれがおいしかった』という体験が鮮明に記憶に残ります。食べ物が主演であればお酒は助演。このような関係性は旅の楽しさを引き立てます。街の飲食店を訪ねることも同様、食べ物とお酒は日常の中にある旅なのです」

蔵元を訪ね歩いては、おいしい焼酎の飲み方の探求を一緒に行っている。(黒瀬暢子氏提供)
蔵元を訪ね歩いては、おいしい焼酎の飲み方の探求を一緒に行っている。(黒瀬暢子氏提供)

先祖の黒瀬杜氏のバトンを受け継ぐ

このようなことを確信するようになったのは、焼酎女子会enjoy!を数多く重ねてきたことが背景にある。それは、女性に焼酎を広めようと考えた時に、料理との組み合わせで新しい物語をつくるということが重要になっているという想いを深めてきたからだ。

「私はそもそも大酒飲みではありません。焼酎のことを知らなかった。だからお酒を飲めない人の気持ちも分かります。お酒を飲む人と飲まない人とのちょうど中間の位置にいるのです。焼酎の文化を広げるために、焼酎を楽しむ場面を増やしていきたい」

黒瀬氏は焼酎プロデューサーとして本格的に歩み出してから半年が経過した。先祖の黒瀬杜氏からのバトンを受け継いでいることの実感を深めているとともに、日々焼酎にかかわることで新しい発見があり、この感動の発信に余念がない。

「三女神」を宗像大社(福岡県宗像市)に奉納した時の写真。黒瀬氏は黒瀬杜氏の末裔であると確信してから焼酎プロデューサーとなった黒瀬氏は、日を追うごとに活動が深化し多岐に及んでいる。(黒瀬暢子氏提供)
「三女神」を宗像大社(福岡県宗像市)に奉納した時の写真。黒瀬氏は黒瀬杜氏の末裔であると確信してから焼酎プロデューサーとなった黒瀬氏は、日を追うごとに活動が深化し多岐に及んでいる。(黒瀬暢子氏提供)

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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