「毒ぶどう酒事件の街」名張で抱いた疑問(前編)

夜の近鉄名張駅(撮影/カベルナリア吉田)

今も付きまとう「毒ぶどう酒」の5文字

 近鉄特急で大阪難波から55分、三重県西部の名張で降りた。「三重県」は名古屋圏のイメージだが、ほぼ西端の名張は、むしろ大阪に近い。電車で1時間足らずというアクセスの良さも手伝い、近年は大阪のベッドタウンとして発展中だ。

 駅を出ると江戸川乱歩さんの像が、来訪者を迎えてくれる。乱歩さんは名張出身で、本名を「平井太郎」といい、幼少時を名張で過ごした。ちなみに妻の隆(りゅう)さんは同じ三重県の坂手島出身で、島の年配の人は今も乱歩さんを、親しみを込めて「太郎さん」と呼ぶ。そして乱歩さんの生家跡付近には、むかし伊勢神宮参拝の旅人が歩いた初瀬(はせ)街道が延びている。

 駅前に貼られた「赤目四十八滝」の、大きなポスターが目に留まる。名張市街の西部は渓谷で滝が何本も流れ、散策人気が高い。ちなみに滝がピッタリ48本あるわけではなく「たくさんある」ことを意味する「四十八」だそうだ。

 昔ながらの街並みが残り、豊かな自然に恵まれる名張は、手軽な観光地として人気上昇中。加えてここに居を構え、大阪まで通勤通学する人も多い。

 だが――どうしても「名張」と聞くと、今でも「毒ぶどう酒」の5文字がつきまとう。事件からもう半世紀以上が経っているのに。

 

江戸川乱歩さん生家地の碑(撮影/カベルナリア吉田)
江戸川乱歩さん生家地の碑(撮影/カベルナリア吉田)

事件発生から半世紀以上が経つ

 1961(昭和36)年3月28日、事件は名張市の葛尾集落で起きた。

 その日、葛尾の公民館で生活改善クラブ「三奈の会」の会合が行われ、集落の若手を中心に男女30名少々が参加した。決算報告と役員改選のあとは懇親会となり、男性は日本酒で、女性はぶどう酒で乾杯。だがその直後――ぶどう酒を飲んだ女性たちが次々と苦しみ倒れ、5名が亡くなってしまった。

 事件から6日後の4月3日、同じ葛尾に住み、宴会にも参加していた奥西勝氏(当時35歳)が逮捕された。葛尾には奥西氏の妻のほかに愛人もいて、三角関係を清算するための殺人だと自供。そして亡くなった5人の中に、妻も愛人も含まれていた。

 だが逮捕後、奥西氏は「自白は強要されたもの」として供述を翻し、一転して無罪を主張。一審で津地裁は無罪を言い渡したが、二審で名古屋高裁は逆転の死刑判決を言い渡す。そして最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。

 時間の経過と共に、さまざまな矛盾があぶり出された。目撃者がなく、唯一の物証とされた「奥西氏が歯で噛んだとされる」ぶどう酒の王冠には、不自然な点がいくつも見られた。ぶどう酒に毒物を混入するため使い、その後燃やしたとされる竹筒の跡も、川に捨てたという毒物の瓶も見つからず。

 そして不自然に二転三転する住民たちの証言。葛尾の住民の大半は何らかの血縁関係にあり、そして不倫は珍しいことではなかったという。奥西氏と妻と愛人の三角関係も半ば公然のことで、大それた大量殺人を犯してまで、関係を清算する必要があるのかとも思われた。

 再審請求が何度も行われたが、その都度退けられ、奥西氏は死刑囚としてズルズルと獄中に囲われ続けた。そして2015(平成27)年10月4日、40年以上にわたる獄中生活の末に肺炎で死去。享年89。事件発生から実に、54年もの歳月が流れていた。

 果されなかった再審への思いは、奥西氏の妹さんへと引き継がれ、今も係争は続いている。奥西氏は犯人なのか、そうではないのか、真実は今もって明らかになったとは言い難い。

なぜ「名張」「名張」と連呼するのか

 この事件を、人生を捧げて追い続けている人が何人もいる。だからブラリと旅で名張を訪ねただけの自分が、素人推理をめぐらせるつもりはない。ただ名張を歩くにあたり、葛尾の基本的なことを調べたら、奇妙な事実に行きついた。

 事件が起こった葛尾集落は、ある点において珍しい。葛尾は名張市のほぼ西端にあり、隣の奈良県山添村と境界を接している。そして実は山添村にも、同じ名の葛尾集落がある。

 葛尾は国内でも珍しい、2つの町村そして2つの県にまたがる集落なのだ。奈良県側の葛尾は「大和葛尾」「北葛尾」と呼ばれ、三重県側の葛尾は「伊賀葛尾」「南葛尾」と呼ばれている。

 事件発生時の宴会は、ふたつの葛尾合同で行われていた。そもそも三重県と奈良県にまたがるから「三奈の会」なのだ。「名張毒ぶどう酒事件」ではなく「名張・山添毒ぶどう酒事件」なのである。

 そして地図を見れば一目瞭然、葛尾は名張市西端の端も端。盲腸のように細長く西に突き出て、奈良県側に食い込む部分の付け根が葛尾なのだ。名張の中心市街からは遠く、山添村の一部と言っても差し支えない位置にある。

 それがなぜ「名張」毒ぶどう酒事件なのか。なぜ名張の中心で起こったかのように、ことさらに「名張」「名張」と連呼するのか。市の端っこで起きた事件が原因で、名張はすっかり「毒ぶどう酒」のイメージが浸透してしまった。一方の山添村の名を、この事件に関連して思い浮かべる人は、たぶん少ない。

消された地図と、少なすぎるバス

名張市の西端に、盲腸のように突き出る葛尾地域。付け根あたりに集落と公民館がある。グレー部分が名張市で、黄色い部分が山添村(撮影/カベルナリア吉田)
名張市の西端に、盲腸のように突き出る葛尾地域。付け根あたりに集落と公民館がある。グレー部分が名張市で、黄色い部分が山添村(撮影/カベルナリア吉田)
駅前の観光マップ。葛尾周辺がスッポリ隠されているのは偶然か(撮影/カベルナリア吉田)
駅前の観光マップ。葛尾周辺がスッポリ隠されているのは偶然か(撮影/カベルナリア吉田)

 僕は車を運転しない。そして名張駅の隣の桔梗が丘駅から、葛尾にバスが出ているという。近くに名所があれば、寄ってみようか。駅前に掲示された観光マップを見る。

 ……これは? 葛尾があるはずの部分に、市街の拡大地図がドーンと乗せられ、葛尾が消えている。意図的に? まさか、偶然だろうが、何か腑に落ちない。

 とりあえず駅前の食堂で昼飯。会計を済ますと店の女性が「おおきに」と言う。関西弁なのだ。そして駅の地下通路には、名張への定住を誘う方言ポスター。「来てだあこ 見てだあこ 暮らしてだあこ」「思いのほか近いよ名張」の文字。

 近鉄電車で、隣の桔梗が丘駅へ。駅前のバス停で、葛尾行き乗り場を探す。

 あった「葛尾公民館行き」。時刻は……え?

 月曜と木曜、各1往復。水曜日に2往復。運行は週3日、計4往復だけ?

 しかも発着の起点は桔梗が丘ではなく葛尾で、月曜と木曜は葛尾を出たバスが桔梗が丘で折り返し、また葛尾に戻る。桔梗が丘からの日帰りはできない。じゃあ水曜日は――1便で葛尾に行き、2便で桔梗が丘に戻ることはできるが、葛尾での滞在可能時間はわずか5分。

 これは行けない、わけではないが5分では何も見られない。そして行ったとしても、さもさも「毒ぶどう酒事件の場所、葛尾を見に来ました」感が濃厚に漂いそうだ。

 名張市は人口8万人弱、特急も停まる中堅都市だ。なのに市内をめぐるバスが、こんなにも不便とは。

 とりあえず葛尾に行くのは早々にあきらめて、初瀬街道周辺を歩いてみることにした。(後編に続きます)

桔梗が丘駅前バス停。葛尾行きバスは、週たった4便(撮影/カベルナリア吉田)
桔梗が丘駅前バス停。葛尾行きバスは、週たった4便(撮影/カベルナリア吉田)