「もんじゅ」の街ぶらり旅 敦賀(3)

敦賀半島北端の白木海水浴場から「もんじゅ」を間近に望む/筆者撮影

欧亜国際連絡列車

 一夜明けて朝6時前。敦賀駅前のオシャレなバス停に、大型バスがズラリと並んでいる。観光バス? だがフロントガラスに貼られたカードには「美浜発電所行き」の文字。

 ホテルの朝食は早めの午前6時スタート。のはずが5時50分にフェイントで始まり、作業服姿のオジさんお兄さんが列をなし、パパッと朝食を済ませて出かけ――バスに乗る。

 皆さん朝が早い。原発で働く人も、その人たちを乗せるバスの運転手も。

 僕はノンキに、午前中は街角散策の続き、海沿いに立つ「敦賀鉄道資料館」へ。その建物は、大正2年に建造された旧敦賀港駅を復元したもので、館内には敦賀港100年の歩みが展示されている。

 明治時代に敦賀港は、国際航路向けの開港場に指定された。東京の新橋から直行列車が走り、敦賀に着いた客は船に乗り換えウラジオストクへ。そこからまた列車に乗り、イルクーツク、ウィーン、ベニス、ローマ、ベルリンを経てパリへ。壮大な「欧亜国際連絡列車」の拠点となった敦賀は、日本海側最大の交通要衝として大いに栄えた。

 当時の敦賀駅前の様子を伝える、モノクロ写真の展示。客待ちの人力車でごった返す駅前、国際郵便を扱う瀟洒な郵便局。たくさんの人、活気にあふれる街角。

 外国人観光客向け「敦賀ホテル」も開業し、国際都市・敦賀は大いに盛り上がったが、昭和20年7月12日に大空襲で街は壊滅した。それでも戦後、一時は観光都市として戦前以上の水準まで復興したが、昭和40年代以降は観光人気も下降していく。入れ替わりに原発の誘致が始まる――。

 この街は、世界に開いた交通の要衝であり「日本の玄関口」だった。だが観光業の衰退と相次ぐ原発誘致で、いつしか「原発の街」になってしまった。そしてその原発も、今や苦境に立たされている。

敦賀鉄道資料館/筆者撮影
敦賀鉄道資料館/筆者撮影

「ヘブン」と呼ばれた街

人道の館 敦賀ムゼウム/筆者撮影
人道の館 敦賀ムゼウム/筆者撮影

 午後のバスで「もんじゅ」の情報施設に行ってみよう。ここで施設のWEBを見ると、見学前に1本電話を入れるほうがいい感じ? 原発PR館は、ひとりで行くなら予約は必要ないのが普通だけど、一応電話してみる。

「ご予約はしてください。今は通常は入口を閉めていますので」え、そうなの? 電話対応の女性に、午後のバスで訪問することを告げたものの「案内の者は必要ですか?」など少々面倒くさい。自由気ままに見たいのでガイドは丁重に断った。

 とりあえず時間があるので、続いて「人道の館 敦賀ムゼウム」へ。第二次大戦が勃発し、ユダヤ人狩りの嵐が吹き荒れる中、リトアニアの日本領事館の領事代理・杉原千畝氏が「命のビザ」を発行し、多くのユダヤ人が日本に逃れたのをご存じの人も多いだろう。その「命のビザ」によりユダヤの人々がたどり着いた「日本」が、ここ敦賀だったのである。

 ひとりでも多くの命を救おうと、杉原氏は不眠不休で6000人分のビザを発給。そうして手にしたビザに運命を託し、ユダヤの人々はモスクワからシベリア鉄道に揺られウラジオストクへ。船に乗り換え、荒波立つ日本海を超えて敦賀へ――。

 ビデオ映像の中で生存者が、当時の記憶を語っている。

「敦賀は悪夢から覚めた楽園のようでした」「敦賀の街がヘブン(天国)に見えました」

 街に降り立ったユダヤ人たちにはリンゴが配られた。銭湯が無料で開放された。言葉は通じなくても敦賀の人々は親切で、街を自由に闊歩できることに、人々は感動した。

「日本がなければ、私は何もなかったでしょう」――敦賀で子どもを産んだ女性が、映像の中で話している。ここで歌が流れる。船がソ連領海を出たときに、全員が甲板に上がって歌った「自由の国に暮らす希望の歌」。「ヘブン」と呼ばれた街、敦賀――。

 あ、いかん、涙が。

 しかしその後、日本が日独伊三国同盟により戦争に参加すると、ユダヤ人たちはアメリカやオーストラリアへ渡った。今もボストンには、ユダヤの人々による杉原千畝さんの記念碑が立っているそうだ。

 世界に開いていた国際都市、敦賀。平和の象徴として歴史を刻む、由緒正しい街。「原発の街」という呼称に甘んじる街ではなかったはずなのに。

 昼飯はショッピングビル1階のフードコートで「スガキヤ」の肉入りラーメン。店内はスマホのゲームに没頭する中学生だらけで「ヘブンの街」の感動がマッハの速さでしぼんでいく(ありゃま)。

 食べ終わり駅に行くと、13時10分発「白木もんじゅ」行きバスがやって来た。

「もんじゅ」がある白木行きバス/筆者撮影
「もんじゅ」がある白木行きバス/筆者撮影

「もんじゅ」応接室に通される!

 1日5本だけの貴重な「もんじゅ」行きバスの2本目の客は、僕ひとりだけ。「食と祭りの若狭路」と書かれたゲートをくぐり、国立病院前を過ぎると、住宅は途切れた。途中フイに建物が現れたと思ったら――ラブホテル。

「次は~関電社宅前ですー」

 四角く大きな集合住宅と、ホテルも立つ。バスは幹線道路を離れ、海に突き出る半島の突端へ進んでいく。海沿いギリギリの道を抜けた先に――美浜原発が見える。ふもとには海水浴場「水晶浜」が広がり、ビーチでくつろぐ人の姿も。

「丹生大橋」の手前にキャンプ場と、原発PR館がある。そして橋を渡った先は、美浜原発。キャンプ場のノンキな雰囲気から一転、橋の入口には警備員が仁王立ちして、ものものしい雰囲気だ。

 旅館が連なる丹生集落の細道を抜け、バスはさらに進む。サーフボードを積んだ車とすれ違い、そしてトンネル。

「次は~もんじゅ白木、もんじゅ白木です」

「白木もんじゅ前」バス停にバスが着くと――制服姿の女性が僕を待っている?

「ご予約の吉田様ですね。お待ちしていました」ええっ、お待ちしていたの?

「どうぞこちらへ」と案内され「もんじゅ」敷地内の一角にある情報施設へ。さらに「こちらでお待ちください」と通されたのは、応接室! ちなみに訪問したのは初夏で、俺はTシャツ×チノパン×ビーサンという大人失格のファッションだった。そんな俺が応接室に?

 革張りソファのそばでドギマギしていると「お待ちしておりました」と、作業服姿の男性が現れた!

全く整理はつかないのですが

 展示は飛び出す3D映像からスタート。専用メガネをかけ、ジャーンと始まった映像を見る。

「地球にはさまざまな生き物が暮らしています」

 画面から飛び出すキリンの首! 目の前をハラハラと散る桜の花びら! そこ飛び出してどーする? と思ったら、各種資源の埋蔵量が棒グラフでドーン! そして高速増殖炉が生み出すエネルギー量を示す、長~い棒グラフもドーン!

 お次は地球温暖化の点からの、核燃料の必要性の説明。続いて立体マスコットキャラが原子炉とナトリウム冷却を説明。さらに立体模型による、核燃料サイクルの説明も。ウラン238に中性子がぶつかると3つに分かれ、その1つがプルトニウムに……文系の俺にはわかんねー! しかし案内の男性が「ここはよろしいですね?」「ここまで大丈夫ですね?」と優しく言うので、ついついわかったフリして頷いてしまう。理系と文系の壁だなー。

 続いて世界各国の高速増殖炉の現状。もともと増殖炉を推進していたアメリカは、21世紀を前にして開発を中止。その理由は主に「採算が取れないから」と報じられたが、実はインドが原爆開発に成功してしまい、プルトニウムを扱うこと自体が危険になったので中止したのが本当?らしい。ちなみに開発当時の大統領のひとり、カーター氏は理系出身で、原子力に関する造詣も深かったそうだ。

 そしてこの辺りからタブーと思っていた「廃炉」の2文字も現れ始める。国内での高速増殖炉運転をあきらめた日本は、フランスとの共同開発に活路を見出したものの、フランスの大統領が変わり計画もどうなることやら。状況次第では、日本の高速増殖炉開発の道自体が絶たれるかも――。数十年がかりで知力を結集した開発研究も、政治家の鶴の一声で進退が決まるのだとしたら、現場の人たちもやっていられないだろうな。

 さらに1995年のナトリウム漏れ事故に関する説明も。液体ナトリウムは空気や水と触れると大爆発を起こす。その爆発力は日本全土を揺るがす大規模なもので、事故は重大なものだったが――いつの間にか報道は、事故映像のビデオを隠した隠さないの「ビデオ隠し」にシフトしてしまった。

 テレビも週刊誌もこぞって、当時の開発事業体である動力炉・核燃料開発事業団、通称「動燃」の隠ぺい体質をコキおろしまくり。だが今となってみれば、それは日本のメディアの「報道力の貧弱ぶり」を露呈する出来事だったとも思える。理系的な「もんじゅ」のメカニズムは、よくわからん。それよりも企業の体質を批判するほうがラクだし、ストレスがたまっている多くの国民もそのほうが喜ぶし……そんな状況に乗じてメディアが暴走した現象だったとはいえないだろうか。

 本来は重篤な「事故」であったナトリウム漏れを、ビデオ隠し報道に終始することで三面記事的な「事件」にしてしまったメディアの罪は大きい。また一連の報道を通じて「動燃=悪の権化」みたいなイメージも定着したが、実際に「もんじゅ」を訪問してみて――旧動燃が統合再編を繰り返し、現在は「日本原子力研究開発機構」が運営――そうした不誠実な印象は特にない。案内の男性も、理系的な説明を聞くほどに頭脳明晰、物腰柔らかで――。

 ふと全く違う観点から、こんなことも思った。原発開発の現場には、非常に優秀な理系人材が投入されていると聞く。人柄も含め優れた人材を集結し、数十年がかりで開発した結晶が「もんじゅ」だとしたら――その廃炉こそが最大の損失ではないだろうか。

「もんじゅ」といえば「金食い虫」、1兆円以上をつぎ込んで、稼働日数も少ないまま廃炉が決まった「税金の無駄遣い」イメージばかりが強い。だがそこに長年にわたりつぎ込んだ「人材力」の蓄積が無に帰すなら、それこそが本当の無駄遣いかもしれない。

 また一方で、この場で感じた「理系と文系の壁」が、実は問題の根底にあるようにも思った。理系のそれも優秀な人々が携わる原発について、主に文系出身の政治家が何らかの判断を下し、やはり文系が多いであろう裁判の現場で是非が問われ、さらにやはり文系が多いであろうメディアの人々が好き勝手に書き立てる。この構図自体が、原発に関するさまざまな物事を、必要以上に複雑怪奇なものにしてはいないだろうか。

 確実にいえることは、今後日本のエネルギー行政を担う人材を、文系理系に分けて育成するべきではない。法律、経済、科学、その全てに精通した「文理両道」の卓越した人材が、日本のリーダーにならなければいけないのだ。二世三世が「地盤を引き継いで」とか言って政治家や閣僚になり、エネルギーに関する権力を手にするなど論外の外である。

 さらに別の観点。原発開発に携わる人々の労をねぎらいたい一方で、原発政策の未来には限界があるとも感じる。情報施設ではナトリウム漏れを引き起こした機材の損傷も展示されていたが、それは予想外に微細なものだった。ミスを犯さない人はいない、故障しない機械はない。この小さな損傷が、国土を揺るがす大事故につながるのなら、高速増殖炉の実用化は現実的ではない。

 そして高速増殖炉にとどまらず原発それ自体が、ひとたび有事が発生すれば、人間の力ではどうすることもできない。そうしたものに依存するべきではない。加えて最近――非常に個人的な事象で――原発に賛成できない想いがさらに強くなった。

 でもこうして「もんじゅ」を訪問すればこそ、原発についてもあれこれ考えるが、結局日常に戻れば僕は湯水のように電気を使うのだろう。大いなる矛盾。原発を否定したところで、ではほかの火力や水力発電で電力をまかなえるのか――これについてもさまざまな報道はあるが――結局は「人から聞いた話以上のこと」はわかっていない。

 いろいろグチャグチャ錯綜して、何のまとまりもつかないが、とりあえず「何事についても現場を知らず勉強もせずに、SNSほかで意見を撒き散らさないようにしよう」と思った。この記事自体がそうなのかもしれないけれど。

 2時間ほどの見学を終えた。結局途中からチンプンカンプンだったので、一応正直に、

「すみません。よくわかりました、とは言えないのですが」

 と言うと、案内の男性は、

「いいんですよ。また来てください」

 と言ってくれた。

「バスが来るまでどうしますか?」

「白木の海を見ます」

白木海水浴場

「もんじゅ」敷地の一角から階段を下りた先に、白木集落の家々がひしめいている。家と家に挟まれた路地を抜けると、白い砂浜と静かな海が広がった。白木海水浴場。

 砂浜の端、驚くほど間近に「もんじゅ」が立っている。機械音を唸らせそびえ立つ姿は異様でもあるが、丁寧な説明を聞いたせいか不思議と恐怖は感じない。

 白髪まじりのオバアちゃんが、孫らしき少年少女を連れて、砂浜にやって来た。オバアちゃんは僕を見て微笑み、子どもたちは砂浜を駆け回る。その背後にそびえる「もんじゅ」。日本中を騒がせた「もんじゅ」が、すぐそこにあるのが、嘘みたいだ。

 今を生きる自分の満足のためではなく、30年後50年後100年後の子孫のため、僕らは何を遺すべきなのか。原発もエネルギーも含め、僕ら一人ひとりがもっともっと、いろいろ真摯に勉強しなければいけない。

 メディア報道をうっかり信じ、イメージだけで構築した意見をSNSでばら撒き続けていたら、日本は――滅びるだろう。原発でも放射能でもナトリウムでもなく、最も危険なものは、僕らの心に潜む闇かもしれない。

 午後5時。夕日が「もんじゅ」をオレンジ色に染めていく。オルガンの音色で♪遠き~山に~日は落ちて~♪のメロディが、夕暮れの白木集落に響きわたった。

 翌朝6時、再び敦賀駅前のビジネスホテル。朝食会場は昨日と同じく、作業服姿の男性でごった返している。ここでテレビが、福井県の高浜原発4号機再稼働のニュースを伝える。

「○○さん、原発が動きだすということですが、安全性のほうは大丈夫なんでしょうか?」

 メイクもバッチリの女性司会者?がシレッと言う。識者らしきパリッとしたスーツ姿の男性が「そうですねえ」と答えて、深くうなずく。

 作業服姿の男性たちは次々に朝飯を済ませると、駅前に停まるバスに乗り込み「出勤」していった。

白木バス停。奥に「もんじゅ」が見える/筆者撮影
白木バス停。奥に「もんじゅ」が見える/筆者撮影