「もんじゅ」の街ぶらり旅 敦賀(2)

敦賀の名勝、色ヶ浜。市街から原発に向かう途中にある(筆者撮影)

原電行きバスは1日3便

敦賀駅前バス時刻表。「立石」行きが原発前を経由する/筆者撮影
敦賀駅前バス時刻表。「立石」行きが原発前を経由する/筆者撮影

 敦賀駅前のオシャレなバスターミナルから、12時50分発の敦賀原電経由立石行きバスに乗った。バスの車体の柄も、これまた銀河鉄道999。そして1日3本しかない路線の貴重な2本目だが、乗客は僕ひとり。

 と思ったらラーメンの「スガキヤ」が入るショッピングビルの前で、オバアちゃんが4人ドヤドヤと乗ってくる。気比の松原を過ぎると前方に「敦賀原電14km」の表示が見える。

 バスが進み、原発に近づくにつれ、車窓は何やらものものしい雰囲気に……ならない。海沿いに旅館がズラリ8軒。原発で働く人のため? というわけでもなさそうで、海水浴客や釣り人のための宿のようで、看板に魚の絵が描かれたりしてノンキな感じ。

 途中でオバアちゃんは次々に降りてしまい、気がつけば乗客は僕ひとり。それでも風光明媚な「色ヶ浜」バス停前には、立派な観光旅館がドーン! 「海辺の避暑地」の雰囲気は途切れない。

「お待たせしました。原電前ですー」

 そんなわけで「原電前」バス停で降りると……わおっ、目の前に原発が! 路線バスがPR施設の前までは行っても、原発そのものの入口前まで行くのは珍しいかも。警備員が数人いて、ものものしい雰囲気。そしてTシャツにチノパン姿の僕は、さすがに浮いている!

 ウロウロすると怪しまれるので、近くにいる警備員に聞いてみる。原子力館はどこですか?

「あそこに建物見えますね? この道をまっすぐ行ってください」はーい。けっこう気さく。一方でバス停から原子力館に向かう道は歩道がなく、トラックが何台も走り抜けるのでちょっと怖い。そして道の途中にも警備員が途切れずに立っている。

 敦賀原電は稼動していない。でもトラックが行き交い、大勢の人が働いている。

 森に挟まれた道沿いに、原子力館の案内看板。明かりを灯すチョウチンアンコウの絵が描かれ、ゆるキャラらしい。最近は原発PR館に必ず、ゆるキャラがいる。

 原子力館の敷地内に入ると、まさかの野鳥観察遊歩道が。ただし入口にロープが張られ立ち入り禁止。

 入口に日の丸もはためく立派な原子力館に、さっそく突入してみた。

道沿いに原発への道案内看板が立つ。「げん丸」が出迎え/筆者撮影
道沿いに原発への道案内看板が立つ。「げん丸」が出迎え/筆者撮影

郷土名産品コーナー

 まあ詳細を書くわけにもいかないのだが、ほかのPR館と大体同じだった。

 原発にちなんだ子ども向けのゲームがいろいろあり、ママ友数人とその子どもたちがいて、くつろいでいた。

 敦賀原電の歴史は古く、1970(昭和45)年3月14日に営業運転開始。チョウチンアンコウの「げん丸」のほかに、ハイビジョン説明コーナーにはツルみたいなキャラもいた(敦賀だから?)。

 なぜか「郷土名産品コーナー」があり、ヘシコに焼きサバ、カマボコ「いか太郎」に「かにパイ」も並ぶノンキぶり。一方で福島第一原発事故の概要を振り返って反省しつつ、定検中の2号機の直下にある断層については「考慮するべき活断層ではない」と明言(原子力規制委員会は「活断層である」と断言したが)。

 子どもたちは早くも飽きて「お寿司食べたーい」とか言っていたが、母たちはやや真剣な表情で「北朝鮮がミサイル撃ったら怖いわね」「原電が狙われそうよね」とか話している。一見ノンキそうなママたちだが、子どもを育てつつ原発の街に暮らしていると、心配も絶えないのかもしれない。

 というわけでグルリひと回り、見終わってしまったが、戻りのバスが来るまで3時間55分! ボーっと待つ気にもならず、敦賀市街まで14kmの道を(!)僕はテレテレと歩き出した。

そこで暮らす人々がいる

色ヶ浜と同じく、市街と原発の間にある景勝地、手の浦海水浴場/筆者撮影
色ヶ浜と同じく、市街と原発の間にある景勝地、手の浦海水浴場/筆者撮影

「原電前」バス停にも、メーテルと鉄郎が描かれている。

 途中の「浦底」に放射線監視システム。数値は1時間あたり57ナノシーベルト。

 歩道のない狭い道を、大型トラックが途切れず行き交う。真横の畑では、ご老人が農作業をしている。

 観光バスが僕を追い抜く? と思ったら原電関係の会社名の札が貼られている。今日の作業が終わった社員を、市街まで送迎しているらしい。

 色ヶ浜に「芭蕉杖蹟」と書かれた立札が。松尾芭蕉もここまで来たのだ。沖合の小島「水島」行きの船乗り場がある。夕暮れが迫り、大型バスが何台も連なって市街へ向かっていく。

「手の浦」バス停の背後の海には、釣り人用の筏がいくつも浮かび、なかなかの風情。でもバス停にはやっぱりメーテルと鉄郎が。やっぱりちょっと変だよなあ、コレ。

 ビジネス旅館があり、入口が開いていて、脱ぎ散らかされた男性用の靴がいっぱい。敦賀市街はまだ遠く、ここに泊まっても気軽に街には出ないだろう。同僚と飲んで、寝て、また起きて原発へ――。

 17時。どこからかオルガンの音色で『遠き山に日はおちて』のメロディが聴こえる。

 縄間(のうま)集落で道が二手に分かれる。まっすぐ行けば敦賀市街。右に行くと――美浜原発? 敦賀原電から僕は歩いてきたのに、この先にもう次の原発があるのか。

 歩くこと3時間超。氣比の松原と、その先にファミリーマートが見えると、僕はふうっと息をついた。街の灯の温もり。一方で、僕が今来た道を逆方向に、自転車をこいでいく子どもが数人。原発に近い集落に家があり、帰るのだろう。

「原発マネーが~」とか僕らは気軽に言うけれど、そこで働き暮らす人々、家族を目の当たりにすると、ウカツなことは言えないなと思ったりもする。原発を生業にして日々の暮らしを営み、家族を支えている人たちがいる。

 だが「国策」も「メディア」も、そんなことはお構いなしに、思惑だけで彼らの生活を揺さぶり、時にはつぶす。

 駅前に戻り、古いソバ屋でビールの小ビンをお供に、800円のソースかつ丼を食べた。前日食べた1800円の天丼よりも、素朴で美味い。人の好さそうなご主人は、店を出る僕に笑顔で「おおきに」と言ってくれた。

敦賀原発から歩いて2時間超、右に曲がれば美浜原発へ/筆者撮影
敦賀原発から歩いて2時間超、右に曲がれば美浜原発へ/筆者撮影

夜の駅前アーケード街

飲食店が集まる本町一丁目商店街/筆者撮影
飲食店が集まる本町一丁目商店街/筆者撮影

 夜。駅前に延びるアーケード街「ゆめさき通り」は、人通りも少なく閑散としている。飲食店が集まる「本町一丁目商店街」も、人影はまばら。かつてはロシア人が多く「ターリャ」「ナターシャ」なんて名前のスナックも並んでいたと聞いたが、そんなロシアンな店も見当たらない。それでもメイクバッチリ、キレキレのスリットが入ったチャイナ服姿そしてピンヒールを履いた茶髪の女性が、路地を闊歩していく。夜の歓楽街、これから明かりが灯るのだろうか。

 アーケード街でようやくバーを1軒見つけ、入ってみる。初老のマスター。

「お仕事で?」「はい。東京から来ました」

「ご出身も東京?」「いえ、北海道です」

 最近は北海道も何度か周っているが、特に旧炭鉱の街を中心に、過疎化がひどい。巨大なアーケード街のシャッターが全て閉じ、目も当てられない――そう言うと、

「敦賀もヘタすれば、そうなります」

 とマスターは言った。そして「原発止まっちゃったし」と続け、少し笑う。

「〈もんじゅ〉はあれだけイメージが悪くなると、もう動かせない。マスコミがあれだけ煽ると、もう僕ら地元が何を言っても、誰も耳を貸さない」「実際は報道と、いろいろ違うんです。もう今さら言っても遅いけど――」

 敦賀原電から歩き、色ヶ浜など途中の海がきれいだったと言うと、マスターの表情はパッと明るくなった。

「夏は今でも人がたくさん来ます。水島が人気でね。子どものころは泳いでいこうとしたものです」

 福井県の若狭湾は、戦前から京都や大阪の人が訪れた、伝統ある海水浴場。「原発銀座」などと呼ばれる以前から、人気のビーチリゾートだった。

 明日は「もんじゅ」に行ってみよう。(3回目につづく)

夜のアーケード街「ゆめさき通り」/筆者撮影
夜のアーケード街「ゆめさき通り」/筆者撮影
原電前バス停/筆者撮影
原電前バス停/筆者撮影