復興の街 本音ぶっちゃけ?ぶらり旅 女川(2)

フェンスの向こう、港に倒れたままの交番が残る/筆者撮影

原発PRセンター見学をあきらめる

海鮮食堂を出ると、雨が降ってきた。デカい荷物を引きずって、さあどうしよう。とりあえず「プロムナード」のカフェに飛び込む。

「いらっしゃいませー」

そろいのパーカーにキャップ姿の女子が出迎え。オシャレだ。俺が思い描く港町のカフェとは何かが違う。

俺は港町のカフェ、というか喫茶というと愛媛県今治港近くの「早朝喫茶」を思い出す。朝7時ごろに入るとヤサぐれた感じのオジさんがいっぱいいて、みんなモーニングのトーストとサラダとゆで卵を食べていて。マスターはエプロンこそ装着しているが、眼光鋭いオジさん。コーヒーだけ注文すると、

「モーニングは? いらねーの?」

とマスターにギロリにらまれた。俺の中の港町のカフェはそんなイメージ。極端だね、うん。

結局すぐ出てしまった。さてどうしよう。

ピン! 「女川原発のPRセンターに行ってみよう」と思いつく。そして目の前に観光案内所が。ここで聞いてみよう。

――壁一面に貼られた、津波に飲まれる街の写真パネル。「3.11写真集」ほか震災関連本がズラリ、原発の「げ」の字もナシ。結局ここでは聞かず、手元のスマホで調べる。

原発もPRセンターも女川町の端っこで、駅からかなり遠い。でも震災のときはここに避難した人が数百人いて、街から歩いた人もいたかもしれないし――とにかくセンターに電話してみると、親切に対応してくれた。

「女川駅からバスは、ないんです。あとはタクシーかレンタカーか」

「かなり距離がありますよね。タクシーだと3000円くらいですか?」

「いえもっと、たぶん5000円か6000円くらい」ええっ? ってことは往復すると1万2千円?

「レンタカーもこの辺は、そんなにお安くなくて……」

こちらの財布事情を察してか、寄り添い気味の気遣いをしてくれるセンターの人に罪はない。でもマイカーじゃないと行きにくいようで、遠方からのひとり旅人はどうすりゃいいのか? PRセンターなのに、PRしたくないのか。

まあこれまで原発PRセンターはいくつか行っていて、展示は大体同じ。福島の事故にも触れて「おっ、なかなか謙虚じゃないか」と思わせて、でも最後に「原発はとっても安全なんです必要なんです」というオチ。違いといえば、それぞれの原発に必ずいる、マスコットキャラクターが違うくらい。

女川原発のキャラを、スマホでレロレロ調べてみる。

ダンゴウオの「ごろたん」。うーむ、むむむ。お前のために1万2千円は出せん!

原発に避難した人の苦労を体感するために、歩いて行ってみようかとも思ったが、手元には預け場所のない荷物が。結局PRセンター見学はあきらめた。

横倒しになった交番

雨が上がった。「プロムナード」にジャズトランペットのBGMが流れ出す。ここはつくづく「街」というより、アウトレットモールのようだ。

ポスターや看板で、いろいろなキャッチコピーが目につく。「つなぐ」「つづく」「ありがとう。」「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ」。

女川だけじゃない。「復興」にはなぜか、独特のノリがつきまとう。それも場所を問わず共通するノリが。でもそこに「復興」の2文字があると、意見もしづらい。

改めてフェンス越しに「チョー漁港」を見る。重機が動き回る一角に、横倒しになったまま残る2階建ての建物は、旧・女川交番。天井の一部が砕け飛び、基礎からもぎ取られて横たわる壮絶な最期の姿が、津波の凄まじさを物語る。

女川ではほかに4階建ての江島共済会館ビルと、薬局「女川サプリメント」の建物も横倒しになり、しばらく保存されていたが解体された。倒れた建物を保存するか否かで、意見も分かれたそうだ。震災を忘れないため保存しようという人がいる一方で、辛い記憶を見るたび思い出すから残してほしくない人もいる。

倒れた交番を目の前に見て、個人的には残すべきと思った。「街づくり」にのめり込み、本来の目的「復興」を忘れかけた時、この交番は必ず何かを語りかける。

背後のプロムナードに、再びジャズピアノのBGMが流れている。

それでも海鮮食堂から出てきた数人が、交番の前で足を留め、説明文に目を走らせていた。

坂を上り続けた先に

駅の北、役場方面に向かってみる。役場の先に、復興の象徴としてしばしば紹介されるトレーラーハウスの宿があるので、見てみようと思ったのだ。

坂を上る。どんどん上る。カーブに次ぐカーブ。駅前が眼下遥か遠くなる。

高台の役場の裏手に、新しい集合住宅が何棟も立っている。住宅群のふもとを、買い物車を押してオバアちゃんがひとり、所在なさげに歩いている。津波を避けて高台に、住宅街を造成しているようだ。

さらに進むと道の両側に林が茂り出し、秘境の雰囲気に。だがカーブをひとつ曲がると視界が広がった。

森を切り拓いて突如現れた広大な、とにかく広い土のサラ地。その中で点々と、数台の重機が動いている。あまりに広くて、重機がまるでミニカーのよう。サラ地の一角には、新築の住宅が数軒立っている。

駅前プロムナードのカサ上げでは、やはり津波の不安と恐怖が残る。だから宅地をこの高台に造成して移すのだろうか。それにしても山を切り崩してサラ地を作り、そこに家を建て――大工事だ。そして住宅街として整うまでは、まだ相当の時間がかかりそうだ。

でも女川町の人口は減り続けている。震災時は1万人弱だったが、7000人を切り6000人台に突入した(2017年3月現在)。

延々上ってきた坂道を、今度は延々と下り駅前に戻る。そしてプロムナード周辺の工事現場の一角に、それを見つけた。ブルーシートで覆われたビルの壁に、横断幕が張られている。

「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるのだ」

津波の恐怖と、大切な人を家を街を失った悲しみから、逃れられない人がたぶんまだ大勢いる。

一方で「元に戻る」以上のことを望む、何か抵抗しがたい力がある。

流されたものは、何なのだろうか。

高台に突如現れた広大なサラ地/筆者撮影
高台に突如現れた広大なサラ地/筆者撮影

焼き魚は頭が左!

頭が右で出てきた/筆者撮影
頭が右で出てきた/筆者撮影

夕方4時を過ぎると「プロムナード」を歩く人影はマバラになった。春といっても東北の1日の終わりは早い。とりあえず駅と合体する温浴施設「ゆぽっぽ」で、ひとっ風呂。

新しいだけあって浴場はきれいで、いいお湯だった。だけど、ああだけど。

洗い場で隣に、全身刺青のオヤジがいた。ひょえーっ。

夕方5時を過ぎ、プロムナードとその周辺で、居酒屋の明かりがポツポツ灯る。「海鮮」「ウニ・イクラ」ノボリが揺れる1軒に入ってみる。

「それでさー、何とかがさー」「ってかヤバくない~?」

おーいバイト女子、客が来ましたよ案内してください! 「1名様ご来店でーす」とダルそうに言いながら、一応案内されて席につく。サンマの町、女川に来たのだからサンマを食べよう。時季じゃないけど。注文お願いしますー。

「それでさー、ソイツがさー」客が来ているのだ接客をせんかい! というわけでテレテレ来た女子にサンマを注文、ただし開き。

「お待たせしましたーサンマ開きですー」

来た。まあ時季じゃないから開きなのはいいとして。

焼き魚を出すときは、頭は左! 思いっきり頭を右にしてサンマを置くと、女子はスタコラ去っていった。

特に感動することもないままサンマを食べ終わり、続いて天ぷら盛り合わせ、ご飯セット付きで。

「ご飯セットでーす」

白ご飯と味噌汁、漬物(市販のシバ漬け)がすぐ来た。天ぷらが来るのを待って、一緒に食べよう。と思ったら。

天ぷらが来ない。全然来ない。ご飯と一緒に天ぷらを食べたいのだ早くしてくれ!

「そしたらソイツがさー」

ご飯と味噌汁を前にして、俺は天ぷらをひたすら待ち続けた。ってかご飯と味噌汁だけ、懐石料理のシメかっつーの。

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ここまでお読みいただき「被災地の傷口に塩をすり込む、ひでー文章だ」とお思いでしょう。

ただ俺はこの時点で、たぶんまだ女川の人に出会っていません。なので少々お待ちください。

翌日は8年ぶりの江島へ。防波堤を出た小さな定期船「しまなぎ」は、両側を陸地に挟まれた細長い湾の中を、延々と進んでいく。この湾の中で津波は高さを増し、そのまま街に襲いかかった――。

進行方向右手に、牡鹿半島が延々と続いている。ひたすら緑に覆われた、山がちな半島……あっ!?

緑の隙間に、工場風の白い建物が並んでいる。背の高い塔も2基。これは原発?

女川原発は高台にあったため、壊滅的な被害は免れたと聞いた。だが船から見る限りでは、施設の一部は海岸ギリギリに立っているように見える。

この海に高さ10m超の津波が押し寄せ、よくも無事だったものだ。波に洗われそうな場所にある施設を目の当たりにして、思わず身震いがした。(次回につづく)

江島行き定期船から牡鹿半島を見る/筆者撮影
江島行き定期船から牡鹿半島を見る/筆者撮影