原発の街ぶらり旅 伊方(3)

伊方町の中心部/筆者撮影

原発は伊方町に何をもたらしたのか

それまで「伊方村」だった愛媛県伊方町が、合併に伴い「町」に昇格したのは1955年。ただし当時すでに財政再建が町の課題で、赤字体質からの脱却が必要だった。ちなみに町になった時点での人口は約1万3000人。

町が原発誘致に踏み切ったのは1969年。その背景には人口が減り続け、止まらない町の過疎化があった。1972年には原発設置が認可され、建設が始まり、1977年には伊方原発1号機が稼働する。続いて1982年には2号機も稼働。

2005年発行の『続・伊方町誌』はこの時期について「繁栄の時代」と見出しをつけ記述している。原発受け入れによる電源交付金事業が始まり、公共施設の建設を中心に98事業が行われた。1979年にはアメリカのスリーマイル島原発事故が発生し、原発安全神話に大きなヒビが入るが、伊方町は続いて原発3号機の増設に向かっていく。

だが1986年にチェルノブイリ原発で、出力調整の失敗が原因で大事故が発生。原発の安全性に対し、世界規模で疑念が強まっていく。そのころ伊方町では国道197号線のバイパス「佐田岬メロディライン」が全通(今回バスで通った、半島を横断する道)。それまで197号線は「酷道行くな(197)」と言われるほど悪路だったのが改善された(逆に言えば、避難路が整備される前に原発が稼働していたわけだ)。

伊方原発は、トラブルが少ない優等生原発と評価されていた。だがチェルノブイリ事故の翌1987年、同事故の原因となった出力調整に関する実験を行い、大きな批判を浴びる。批判は全国規模の抗議活動に発展し、優等生神話にミソをつけた。さらに1988年には原発から約1kmの至近距離に米軍ヘリが墜落。原発立地の安全性に、大きな疑問が持たれることとなった。

しかし1994年には3号機が稼働し、新たな交付金事業も始まる。『続・伊方町誌』によれば、この頃の期間については「飛躍の時代」の見出しで記述がなされている。

そして町の経済が潤い、各種施設も整ったはずなのに――人口は減り続ける。2000年の人口は7000人弱、町政施行時の半分強だ。2005年にはついに佐田岬半島の西側~先端にあった瀬戸町、三崎町と合併するが、少子高齢化は止まらない。ここ数年では二名津小、佐田岬小、二見小と、町内の小学校が相次いで閉校した。

3.11のあと伊方原発はいったん停止。だが その後、原子力規制委員会が伊方原発3号機に「新規性基準に適合」のお墨付きを出す。すると隣の八幡浜市長、県議会、伊方町長、そして県知事が次々に再稼働を容認し、瞬く間に再稼働が決定した。

途中の運転差し止め訴訟も何のその、2016年8月には伊方3号機再稼働。それを見届けたかのように、任期途中で病に倒れた町長は辞職し、10月には町長選挙が行われた。

八幡浜で一杯飲む

伊方町に隣接する八幡浜市のアーケード街。平日の昼間、人影は少ない/筆者撮影
伊方町に隣接する八幡浜市のアーケード街。平日の昼間、人影は少ない/筆者撮影
八幡浜のB級グルメ、八幡浜ちゃんぽん/筆者撮影
八幡浜のB級グルメ、八幡浜ちゃんぽん/筆者撮影

訪ねた日は町長選挙の少し前、9月末。伊方から八幡浜に戻り、夜の飲み屋街に繰り出す。店の数は多いものの、あまり明かりは灯っていない――「おでん」の看板が灯る小さな1軒を見つけ、入ってみた。

カウンターだけの小さな店で、妙齢のママさんは見知らぬ僕を見て「原発の関係?」と普通に聞いてくる。

「この辺は飲み屋が多かったんだけど、原発が止まって閉じた店もけっこうあるわね」

とママさん。「やっぱり影響ありますか?」と聞くと「そりゃそうよー。ほかに何の用で人が来るっていうのよ」と笑った。最初の原発が稼働した当初は、とにかく各種出張で人がやって来て「年に億単位で稼いだスナックもある」のだそう。

「ホテルはどこ? 再稼働してからどこもいっぱいだって聞くけど」「とにかく良かったわ。再稼働してくれて」ママは晴れ晴れした表情で、そう言った。

ここで店内のテレビは町長選挙の話題。立候補者は2名で、原発容認派の元県議と、原発に反対し廃炉を唱える共産党の人。

「今こそ原発依存の経済から脱却し~」

原発反対の候補者が熱弁を奮うのを見て、ママは「何言ってんのかしら」と鼻で笑うようにつぶやく。そのあと何やらコメンテイターが登場して、ああだこうだと何か言う。すると、

「東京のマスコミは、勝手なことばかり言って」

ママの笑顔が消えて、ほんの一瞬、いまいましそうな表情がのぞいた。

人は仕事を得て生きていかなければいけない。そして東京と違い地方の小都市は、選べるほどいろいろ仕事があるわけじゃない。原発がなければ、伊方も八幡浜もたぶん、生きてはいけない。

だが一方で、再稼働に至る流れの性急ぶりが気になった。まるで難儀な避難路の現状を見まいかとするような。再稼働を急ぐ理由は何か。そこには町民や市民全体の幸せより、特定の人々の利権を優先する図式が見えてならない。四国だけの話ではないだろう。

そういう物事の上に成り立ち供給される電気を、結局僕らも自由気ままに使っている。3.11の大被害を忘れてはいないけど、記憶の片隅に強引に追いやって。

伊方原発は再稼働した。だがやがて寿命が来る。そのときに世論が、さらなる新しい原発の建設に賛成するとは思えない。この町はどうなるのか。そして先の見えないエネルギー行政に依存する日本は、どうなってしまうのだろうか。

店を出る僕にママは「これ持ってって、冷えてないけど」と缶ウーロン茶をくれて、人の好さそうな笑顔を見せた。

僕は商店街で見た川柳を、ふと思い出した。

再稼働 許してみんな 極楽へ

直後に行われた伊方町長選挙は、原発容認の候補者が圧勝した。

街角で普通に、原発関連の案内を見た/筆者撮影
街角で普通に、原発関連の案内を見た/筆者撮影