人口日本最少の市に行ってきた(2)

歌志内市の中心「歌志内市街」。かつては近くに鉄道駅もあった/筆者撮影

炭鉱労働者を支えた味「なんこ」

「1番のかたあ、なんこ定食のかたあ」

日本でいちばん人口が少ない市、北海道歌志内市の道の駅「チロルの湯」の食堂。店内に流れるJ-POPに割り込むように呼ばれて、1番の食券を手に歌志内名物「なんこ」定食を受け取る。「なんこ」は馬の腸の煮込みで、炭鉱の街・歌志内で労働者の間で食べ次がれてきた伝統の味だ。

固形燃料が燃やされる上で、平鍋に入った「なんこ」が、味噌仕立ての汁の中でグツグツと煮えている。普段豚モツや牛モツは下町の居酒屋で食べているが、馬のモツは初めてだ。クニュッとしたヒダヒダが生々しい「なんこ」は、いかにも内臓という感じで、箸を延ばすのがためらわれる。恐る恐る、一切れつまみ上げて、コワゴワと口の中へ。

歯ごたえはさすがに豚や牛のモツより固く、それでいてクニュクニュと捕えどころがなくて、噛み切るのに難儀する。クチャクチャとしばらく噛み続けてからゴクリと飲み込み、ご飯をかきこむ。鼻先にほのかに戻ってくる、モツ独特の獣の香り。だが味噌味の香ばしさが程よく臭みを消して、食べにくくはない。二口、三口とまたクチャクチャ。ゴクリと飲み込むほどに力が湧いてくる気がして、ああ肉体労働者の体力を支えたんだなと妙に納得する。

途中から酒も欲しくなったが、昼なので我慢した。歌志内「市街」に、品書きに「ナンコ」を掲げる居酒屋もあったから、日が暮れたら行ってみようか。

そして道の駅「チロルの湯」だけに、食後の間を少し置いてから温泉施設へ。だが平日午後のせいか高齢者ばかりで、少々いたたまれなくて、カラスの行水ですぐに出てしまった。 

人口4千人足らずの歌志内市、その実に47%、約1700人が65歳以上の高齢者である。(2016年4月末)

市制施行で過疎化を止めようとしたが

夕暮れを待ちながら、市内をもう少し歩いてみる。雪をいただく夕張山地の山々に挟まれて、ペンケウタシュナイ川が流れ、集落は川沿いに細い線のように連なっている。平地が少なく、山間に細長く延びる市街は「ふんどしの街」と呼ばれたりもする。

歌神、神威(かもい)市街、文殊市街と続くバス停、だが周辺には商店が数軒立つくらいで「市街」と呼ぶには小さい。それでも「市街」名義のバス停が立つ辺りには、かつてJR歌志内線の駅があった。歌志内線の前身である北海道炭礦鉄道空地線支線は、明治24(1891)年開業。砂川―歌志内間の14.5kmを結び、歌志内市内には文殊駅、西歌駅、神威駅、歌神駅、そして歌志内駅があった。だが昭和63(1988)年、全線が廃止された。

歌志内市街と文殊には、それぞれ交番と駐在所はあるが「赤歌警察署」の文字。「市」でありながら、歌志内市単独の警察署はない。昭和51(1976)年に、隣接する赤平市の警察署と合併して「赤歌警察署」ができて、2市にまたがる警察署の管轄下に交番がある。

資料を調べるほどに、歌志内市の厳しい現状が見えてくる。住民1人あたりの生活保護費は道内でもトップクラス。市内にあった歌志内高校は平成19(2007)年に閉校。地方自治体の財政力を示す財政力指数(基準財政収入額÷基準財政需要額/要は自治体の必要経費に対し、どれだけの収入があるか)、その数値は「0.12」(平成22年度)。1.0を上回れば財政は健全なのだが(まあそんな自治体は少ないのだが)、0.12は国内最弱レベルといえる。歌志内市は財政再建団体への指定こそ免れたが、平成21(2009)年度には財政健全化団体に指定されている。

歌志内市に市制が施行されたのは意外にも、炭鉱の全盛期ではない。むしろ石炭産業の斜陽化が始まった後の昭和33(1968)年に市制施行。それでも当時は約4万人の人口を擁し、エネルギー政策の転換によるさまざまな衰退を、市制施行で食い止めようとしたようだ。だがほかの炭鉱都市にも増して、石炭以外に基幹産業を持たない歌志内市の衰退は、予想以上に早かった。人口はあっという間に3万、2万、そして1万を割り込み、高齢化も止まらない。

たびたび見直される振興計画の中で、昭和60年代に「スイスランド構想」が打ち出され、かもい岳のスキー場を軸とするリゾート観光開発が進められた。だが石炭に替わる基軸産業になったとは言い難い。

歌志内「市街」で一杯飲む

ダダダダダダダッ!

すさまじい音にギョッとした。住宅地の背後すぐ、山の斜面を爆走していく鹿の群れ! 20頭以上はいるだろうか、荒々しい勢いに身震いがした。日が暮れてきて、市街を挟む夕張山地の息遣いが聞こえてくるかのよう。夕闇の向こうに、北海道の圧倒的な大自然の鼓動を感じる。

歌志内市街の、貴重な居酒屋の明かりが灯っている。暖簾をくぐってみると、店主はグンゼシャツ姿のオジさん、先客のジャンパー姿のオジさんもひとり。

「泊まり?」と店主のオジさん。店は民宿も兼ねているようだ。「いえ、最終のバスで滝川に戻ります」と答えて席につき「なんこ、ありますか?」と聞くと、ご主人は厨房に「おーい、なんこ!」と声を張り上げた。厨房には若い奥さんの姿も見える。

ジャンパーおじさんは地元出身ではなく、道内のほかの場所から移住してきたそうだ。

「歌志内で石炭掘ろうと思ってきたのによ、閉山しちまってよ。いつ閉山したか? 覚えてねえなー。30年くらい前じゃねーかな」

とここでオジさんの携帯が鳴る。

「……ねーよ。1円も2円もねえ。じゃあな」

憮然として電話を切る。借金の申し込み?

「月アタマに生活保護出てんのによ、もう使っちまったって。まだ5日だぜ全く」 

なんこが出てくる。道の駅のよりも濃いめの味つけで、タマネギに白菜、ゴボウなど野菜もたっぷり。七味を振って、ビールと一緒に。やっぱり酒と一緒のほうが美味い。

「昔はこの辺は炭鉱だらけでよー」「店も本当になくなったよ。滝川も店がない? ここはもっとない。そこにセイコーマート(コンビニ)があるだけ」

「自宅の壁が壊れてさ、修理費200万だって。でもウチの土地、100坪で200万だぜ。土地買ったほうが安いって話だよ。歌志内の地価なんて、全国でほとんどビリのほうなんじゃねー?」

チロルの街おこしはいつから?

「……チロル?」

ほらスイスランドの、と言った瞬間「なーにがスイスだよ!」とオジさん大笑い(個人の感想です)。苦境に立ち役場も「何かしなきゃいけない」と考えた末のスイス構想だろうが、基軸産業を失った街の再生は本当に難しい。炭鉱さえ閉じなければ、と言っても始まらないが。

バスの時間が迫り会計を頼むと、ご主人も先客オジさんも「こっち来たらまた寄ってねー」と言って送ってくれた。厳しい話題の多い歌志内だが、こんな明るさは、せめてもの救いかもしれない。

時刻は夜7時過ぎ、だが外に出るともう、真夜中のように真っ暗だった。

炭鉱を閉じなければよかった?

昭和37(1962)年の原油輸入自由化をきっかけに、日本の基軸エネルギーは石炭から石油へと転換した。けっして枯渇したわけではない国内石炭の生産は大幅に縮小され、低価格の輸入石炭に移行。いわば国策により多くの石炭の街は基軸産業を奪われ、過疎化を余儀なくされた。

だがその後石油ショック、そして揺らぐ原発政策。資源に乏しい日本は常に、エネルギー政策に翻弄される。国益を追求する中で、言い方は悪いが「切り捨てられた」ともいえる炭鉱の街。その閑散とした光景は、日本の身勝手を象徴する姿なのかもしれない。

原発政策が岐路に立つ中で、石炭の街を歩くほどに「こんなことなら炭鉱を閉じなくてもよかったのでは?」という思いも湧く。だがその思いをそのまま炭鉱の街の人にぶつけてみると、予想もしない答えが返ってきた。(次回UP「炭鉱の街で、原発について聞いてみた」に続く)

馬の腸の煮込み「なんこ」/筆者撮影
馬の腸の煮込み「なんこ」/筆者撮影
「なんこ」近影。ちょっとグロテスク?/筆者撮影
「なんこ」近影。ちょっとグロテスク?/筆者撮影
公衆トイレもチロル風/筆者撮影
公衆トイレもチロル風/筆者撮影
ドラマ『昨日、悲別で』でも使用された悲別ロマン座は、かつての娯楽施設跡/筆者撮影
ドラマ『昨日、悲別で』でも使用された悲別ロマン座は、かつての娯楽施設跡/筆者撮影
夜7時の歌志内市街は、まるで深夜のよう/筆者撮影
夜7時の歌志内市街は、まるで深夜のよう/筆者撮影