人口日本最少の市に行ってきた(1)

訪ねたのは4月だが、道央そして山間の街・歌志内は、まだ冬景色/筆者撮影

バスを1時間、ひたすら待つ

JR滝川駅前のバスターミナルに行くと、ちょうど目の前で歌志内方面行きバスが出てしまったところだった。次のバスまで……1時間か。滝川駅前をブラブラして、時間をつぶす。

以前は歌志内まで列車が出ていた。滝川の南の砂川からJR歌志内線が出ていたが、昭和が終わる少し前に廃線になってしまった。今は歌志内に行く公共交通手段は、路線バスしかない。

大きなロータリーがあり、大きな再開発ビル「スマイル」も立ち、滝川駅前は整った街景色。だが道行く人は、あまりいない。「スマイル」の中も店は少なく閑散としている。そして長いアーケード街も延びるが、閉じたシャッターが目につく。それは今や全国どの地方都市でも目にする光景だが、街が大きいだけに、寂れ具合の印象も強い。

北海道の中央つまり道央、旭川の南西に位置する滝川市は、道内きっての交通の要衝だ。函館と旭川を結ぶJR函館本線の途中駅であり、根室本線の起点でもあり富良野、帯広、釧路方面へ向かう路線が分岐する。またかつては周辺に、炭鉱の街が数多くあった。赤平、上砂川、そして歌志内。滝川は石炭をはじめとする物流の拠点として、また炭鉱労働者とその家族のための一大商業地として栄え、店が並び大いににぎわったそうだ。

だが道央の炭鉱は、次々に閉山してしまった。基軸産業の衰退と共に炭鉱の街は寂れ、滝川も昔日のにぎわいはないようだ。

かつて炭鉱で栄えた街があった。これから向かう歌志内も、そのひとつである。

人口は4千人以下

滝川の東約18kmに位置する歌志内市は、道内でも歴史の深い炭鉱の街である。明治23(1890)年に炭鉱が開かれたのを皮切りに、以後多くの炭鉱が開坑。明治30(1897)年に3千人強だった人口は急増し、明治40年代には1万人を突破。途中で分村を繰り返しながらも第一次大戦、満州事変に日中戦争と戦争が続く中で石炭の需要は伸び続け、昭和18(1943)年には人口4万人に迫る勢い。戦後も石炭業は衰えず、昭和23(1948)年には人口4万6171人を記録する。

だが昭和30年代以降、国策によりエネルギーの主力が石炭から石油にシフトすると、石炭業の衰退と共に歌志内の人口は減り続ける。炭鉱の閉山も相次ぎ、人口は昭和42(1967)年に3万人を、昭和46(1971)年には2万人を、そして昭和56(1981)年には1万人を割ってしまう。炭鉱により生まれた街は、石炭業以外にこれといって産業がなかったため、人口の減り方も早かった。気づけば歌志内市は全国で、最も人口が少ない市になってしまった。

地方自治法では原則として「市」の人口は5万人以上が基準とされている。だが平成28(2016)年3月31日の歌志内市の人口は、3,627人である(市WEBより)。

意外な街の風景

歌志内経由、赤平行きのバスに乗る。バスは途中で砂川市、上砂川町を経由して歌志内に向かう。グルリと南周りの迂回コース、少々遠回り。滝川から18kmしか離れていない歌志内まで、たっぷり1時間かかる。

砂川市を抜けて上砂川町に入ると「鶉(うずら)」名義のバス停が続く。下鶉、鶉本町、東鶉。ウズラだらけの上砂川町を抜けて、バスはようやく歌志内市内に入る。まず歌志内中学校。そして「文殊市街」「中村市街」とバス停は続く――市街? そのつどバスの車窓に目を凝らしてみるが「市街」というほどの街は見当たらない。店が数軒立つ程度で、人影もまばらだ。

途中からバス停が、何だか立派になる。三角屋根の、絵本に出てくる家のような可愛らしいバス停。何をモチーフにしているのだろうか。バス停は「神威(かもい)市街」「歌神」と続く。

簡素な歌志内市役所前を過ぎると、バスは道道から脇道へ入った。そしてバス停は「歌志内市街」――たぶんここが歌志内市の中心だろう。降りてみる。

整った道沿いには、新しく立派な住宅が並んでいる。「人口最少の市」=「古い木造民家が並ぶ風景」のイメージがあったが、予想とはだいぶ違う。そしてトンガリ屋根がひときわ高くそびえる建物は「郷土館ゆめつむぎ」。西洋風、というかアルプスの山小屋を思わせる日本離れした建物。その隣の建物もアルプス風……え、これ消防署? さらに公衆トイレもアルプス風。

足下のマンホールを見て、何となく合点がいく。スイスアルプスとみまごう、雪山を背後に従えた街景色の絵が刻まれ、「スイスランド」の文字も。どうやら人口最少の市・歌志内は「スイス」をキーワードに街起こしを行っているらしい。

とはいうものの「歌志内市街」に店は少ない。スナックが数軒、元スーパーマーケットらしき建物の下半分が、残雪に埋もれている。

それでも少し歩くと居酒屋が1軒、電光掲示板が灯っている、ということは現役で営業中らしい。ガラス窓にジンギスカン、ホルモンと並んで「ナンコ」の3文字。ナンコって何?

道道に戻ると、ひときわ大きなスイス風建造物が見えてきた。トンガリ屋根が連なりまるでお城、と思ったら集合住宅。そばに「団地分譲中」の看板が立ち「住宅建設費など最大300万円助成」ともある。

スイス風味のバス停を伝いながら、バスで来た道を戻ってみる。ほどなく雪山が見えてきた。リフトも見える。雪山は「かもい岳スキー場」で、ゲレンデのふもとには「かもい岳温泉」もあるとのこと。

さらに戻ると、これまたスイス仕立ての大きな温泉施設、その名も「チロルの湯」。市内には温泉施設がふたつあるわけだ。道の駅もあり、看板に「漬物処チロル」の文字も踊る。漬物×チロルか……とりあえず中に入ってみる。

食堂がある。食券販売機を見ると、ここにも並ぶ「なんこ」の文字。なんこ定食、なんこラーメン。だから「なんこ」って何? と思ったら食堂入口に説明書きが。

「なんこ」は馬の腸を玉ネギや長ネギ、ショウガなどと8時間以上煮て、味噌で味を調えた料理。秋田県の鉱山労働者が、明治時代に道内の産炭地に持ち込んだ馬食文化の産物で、秋田では江戸時代からビタミンB2欠乏予防に食べていた。共に働く馬を食べることに抵抗があったため「馬」とは呼ばず、「午(うま)」の刻(とき)に太陽が南に来るから「南向(なんこう)」と呼んだ、などなど。

炭鉱とチロル、温泉とスキー場、そして馬の腸の料理「なんこ」。人口最少の割にはいろいろあるが、やや脈絡がない印象も。炭鉱と「なんこ」はスンナリと結びつくが。

とりあえず食堂に入ると「なんこ定食」を注文。曲名のわからないJ-POPが店内を流れていった。(続く)

滝川駅前から、歌志内方面行きバスが出る/筆者撮影
滝川駅前から、歌志内方面行きバスが出る/筆者撮影
トンガリ屋根の建物が「ゆめつむぎ」/筆者撮影
トンガリ屋根の建物が「ゆめつむぎ」/筆者撮影
マンホールにスイス?の絵/筆者撮影
マンホールにスイス?の絵/筆者撮影
チロリアンな雰囲気漂うバス停/筆者撮影
チロリアンな雰囲気漂うバス停/筆者撮影
道の駅の前に連なる「なんこ」のノボリ/筆者撮影
道の駅の前に連なる「なんこ」のノボリ/筆者撮影