原発の街ぶらり旅 高浜(3)

白砂が美しい高浜町の海水浴場。昭和の全盛期には年100万人以上が訪れた/筆者撮影

古い商店街と、いくつかの施設

白砂青松の和田から、若狭高浜駅前に戻ると午後3時。居酒屋の明かりが灯るまで、もう少しだけ駅前を歩いてみる。

国道から海側に数本奥まって、古い商店街が東西に延びている。昔はここが、高浜の中心通りだったのだろうか。開いている店は多くない。「リゾート旅館」の文字が残る廃宿に、与党の選挙ポスターが数枚貼られている。

古民家のガラス越しに、机を並べた事務所らしき様子が見え「空き家情報バンク」の看板も掲げている。移住者もいるのだろうか。一方で「売物件」の看板が立つ民家、「売地」看板が立つ更地も目につく。小さなスーパーマーケットの前に乗り合いの「赤ふんバス」が停まり、高齢の女性が数人乗り込んでいく。

小浜線の南側も歩く。図書館も併設する、なかなか立派な高浜町文化会館。続いて武家屋敷風の、これまた立派な郷土資料館も。入場料200円を払い中へ。入館者は自分ひとり。高浜の一年、各地区の獅子舞の展示。農民具展示に祭りや仏像、行事の案内。古墳~弥生時代の高浜の様子にスペースを割き、民俗歳時記、天然記念物、そして中世の高浜。

暮れなずみ、夕空に青葉山のシルエットが浮かび上がる。居酒屋の赤ちょうちんがひとつ、またひとつ灯り始めた。

「別に怖くない」

2日目の夜。ぶらり入った店に先客はなく、カウンター中央の席に座ってみる。ご主人は寡黙で、余計なことはしゃべらない様子。片隅のテレビを眺めつつ、客が来るのを待つ。

来た。70歳前後と思しきオジさん。「チャンネル野球に変えて」「パ・リーグはもう始まったっけ?」と、見慣れない僕に気を留める様子もない。

壁のメニューに「イサザの玉子焼き」……「イサザ」って何? ご主人に聞くと「シラスみたいな魚です」とのこと。すると隣のオジさんが「仕事で来たの?」と声をかけてきた。

「昔はイサザだけの店あってな。まあアゴ落ちるゆうもんやあらへん」「昔は小浜に芸者呼ぶ店もあってなー」

いろいろ聞いてみる。古い旅館が多いですが、海水浴客が泊まるんですか?

「昔はな。今はココに泊まるもんは、95%原電の関係や」

「海がキレイですね?」と、あえて話題をそらしても「アンタみたいに、海に興味ある者おらへん。みーんな原電」と答え、そのまま原発の話をオジさんは続ける。

「報道はみんなヒドい。物事を平均して伝えていない。目立つ所ばかり切り取って」

近くに原発があって、怖くないですか?

「地元の者は、意外に気にしとらん。ここに津波は来ない」(※注/個人の感想です)ここで、それまで黙っていたご主人も口を挟む。

「怖くないですよ別に。原電なけりゃ暮らしていけないし」(※注/個人の感想です)

本当に怖いのは原発よりも、日々の仕事を失うこと……なのだろうか。このあと選挙の微妙な話も聞いてしまったが、ウラの取れない話なので、ここでは伏せておく。

「海水浴のピークは昭和40年代やなー。夏は11両編成の臨時列車も出て、乗りきらないくらい人が乗って」

昭和40年代――高浜で原発が動き出したのも、昭和40年代だ。

かつてたくさんの、海水浴客がいた

1985年発行の『高浜町誌』によれば、高浜で最も早く発祥した産業は漁業である。なんと応神天皇の代(西暦300年代?)に漁が行われていた記録があり、鎌倉時代~戦国時代を通じて漁業は営まれ、魚介は献上もされていたそうだ。

観光業の起こりも早く、大正時代にはすでに、京都からの避暑客でにぎわったという。昭和2年には高浜海岸が日本二十五勝のひとつに選ばれ、観光客誘致のため『高浜小唄』も作られたとか。

戦後には観光協会が設立され、昭和30年には若狭国定公園の指定も受ける。そして昭和30年代後半には、道路整備と自動車の普及により海水浴客は倍増。その数は昭和53年にピークを迎え、150万人を記録。民宿は500軒を超え、海岸には100軒以上の浜茶屋が並び、活況を呈した。

だが一方で昭和30年代後半から高度経済成長の影響で、高浜は労働力流出による過疎化が進んでいく。用地と水、労働力の面で企業誘致もままならない中、過疎化脱却のため原発誘致に目が向けられる。高浜町は昭和40年、関西電力に発電所建設のための調査検討申し入れ。翌昭和41年に調査、町議会は全会一致で誘致を議決。建設工事が着工され、昭和49年11月に1号機が、昭和50年11月に2号機が運転開始した。

また昭和48年の第一次オイルショックで石油依存への不安が高まり、さらに原発への期待が強くなっていく。高浜町議会はさらなる原発の誘致を議決し、昭和59年(1984年)に3号機と4号機が運転開始された。

福島第1原発事故後に施行された改正原子炉等規制法には「原発40年廃炉ルール」が盛り込まれている。そして運転開始から40年を超えた高浜1号機と2号機は停止中。今回再稼働と停止で揺れている3&4号機は、この40年廃炉ルールに従うなら、再稼働にこぎつけても10年を待たず「定年」を迎える。

ただし最近は高浜を含め、老朽原発の「延命」も図られ、最長20年の延長が可能とも聞く。だがその間に新たな原発を建設できなければ、高浜町はいずれ「原発の町」ではなくなる。それともその間にまた、この町に新たな原発が作られるのだろうか。

福島の事故で安全神話が崩れた以上、代替燃料によるエネルギー政策の再構築は避けて通れない。今も故郷に帰れない人々がいる。なのに政府は原発を推進する。

矛盾がある。それは政府だけではない。今もなお電気まみれの生活を送る、僕らにも矛盾がある。

日本のエネルギー政策の将来は、鮮明に見えているとは言い難い。なのに僕らは相変わらず、電気に頼って日々を暮らしている。

美しい海の間近に、原発がある風景。それは日本が抱える、そして直視すまいと目をそらしている矛盾の象徴なのかもしれない。

高浜町が今後「海水浴の街」に戻れる日は来るのだろうか。

さて高浜の旅のあと、グルメ取材で北海道央の空知地方を訪ねた。こちらは元・炭鉱の街。やはりエネルギー国策を担い、そして――炭鉱終焉と共に基軸産業を失った。奇しくも短期間で、エネルギー政策の過去と現在を映し出す地域を歩いたので、近いタイミングでこの石炭の街の旅もレポートしてみたい。

若狭和田駅近くの国道沿いにて/筆者撮影
若狭和田駅近くの国道沿いにて/筆者撮影
温泉施設の近くで見た看板
温泉施設の近くで見た看板
高浜漁港/筆者撮影
高浜漁港/筆者撮影
古い商店が残る通り/筆者撮影
古い商店が残る通り/筆者撮影
高浜駅近くの通り/筆者撮影
高浜駅近くの通り/筆者撮影